彼女はホラー
@fujinoyamai
第1話
日が傾いて行く。
烏も飛ばぬ夕闇を蝙蝠が飛び回っている。
古い灯りは不規則に点滅しその光の残り香を求めてか虫がはたはたと飛び回る。
三人の学生が廃れた工場街の隙間を縫って進む。先頭の女子は長い金髪をたなびかせ深い青緑の瞳で前を見つめて歩く。そして背の高い女子がその怪しい輝きに惹かれるように彼女の後に続いた。
そしてそこから少し離れた後方、私は足元に散らばる何に使うかもわからない工具を恐る恐る跨いでいた。
「ほんとに行くの?」
思わずそんな声を上げた。はっきり言えば段々と怖くなってきたせいだ。
「怪我する前に帰ろうよ」
立ち止まり振り返った二人の瞳からは僅かな意志の揺らぎも感じられない。どうやら私にこの二人の行動を止める術は無いらしい。
あれは三日前の事だ。
帰りのホームルームで近所の霊園にある慰霊碑が壊されていただとか深夜に小学校付近で不審者の情報があるとか、そんなつまらない話を聞くと私は図書室へ向かう。家に帰っても仕方ないので私は時間ぎりぎりまで図書室で本を読むのが習慣となっている。何を読むか、そんなことは決めていない。適当に目に入った本を読んでいて今日はオカルト関連の書籍を読み耽っている。
「幽霊大辞典、読了、と」
読み終えた本を閉じて元の場所へ返しに向かう。今日はまだ時間がある、途中までにはなるだろうけどもう一冊読んでしまおうか。
そんなことを考えて書棚の角を曲がった時。
思わず目を奪われた。そこにあったのは星の輝きだ、天の川の星々をかき集め人の形を成したのならばきっとこうなるのだろう。
……或いは、天の川に人の魂が流れているのだとすればこれこそが人の持つ本来の輝きなのだろうか?
そんな奇妙な事を考えて立ち止まっていると、彼女がこちらに振り向く。
「……あら、ごめんなさい。お邪魔だったわね」
金色の髪をたなびかせた彼女は深い青緑の目を申し訳なさそうに伏せる。
「え?」
「本を返しに来たのでしょう?」
「あ……、はい……」
言われて初めて気が付いたけれど彼女が立っていたのは正しく私が借りていた幽霊大辞典の書棚の前だ。本を返しに来たところに人が立っていたのでどうしようか悩んでいる、そんな風に思われたみたいだ。
私はどくどくと鳴る心臓を抑えながら彼女の所まで歩き本を元の位置へ戻す。
「……あなたは幽霊って信じてるかしら?」
「え?」
たぶん、私は相当変な表情をしていたと思う。まさか声を掛けられるなんて思っていなかったし、彼女の持つ怪しい魅力に気圧されて、或いは異様に惹かれていたからだ。
「……あ、あ、これですか? えと、いや、別に、その……、本を読むのが好きなだけで、たまたま読んでただけなんです」
「あら、そうなの」
失敗した。端的にそう思った。
こんなのただの世間話みたいなものだ、持っていた本を見てちょっと尋ねてみた。それぐらいは誰にだって有り得る事なのに、何で私はこんなに挙動不審な返事をしているのだろう。もう少しまともな返答をすれば良いのに、などと一人反省会だ。
「私はね、幽霊がいるって信じてるの」
しかし彼女は話を続けた。それも、その内容は下手をすれば奇人変人の類と認定されかねない内容の。
「もし時間があるなら少しお話ししない?」
はっきり言っておくと私は幽霊の存在に対して否定的だ。今までそんなものは見たことがないし、それらしい現象にも遭ったことが無い。そんなものの存在を信じるなんて馬鹿らしいし、幽霊が憑いているなんて言われようものなら相手をペテン師呼ばわりするつもりなのに。
それなのに。
「……少しで良かったら」
思わず彼女の提案に頷いたのは、きっと既に私が彼女の魅力に取り込まれていたからに違いない。
話をしてみればわかるけど彼女、簡単に済ませた自己紹介によると彼女はリリーと言うらしい、リリーはちょっとおかしな子だ。
「私はね、幽霊が存在するって信じてるの」
「はぁ……」
ここまではいい。
初対面の相手に話す事かはさておきここまではまだ納得できる範疇の話。私は全く信じていないけれど赤の他人が幽霊を信じていようがどうしようが関係ないのは確かだ。幽霊はいる! と声を大にして叫ぶぐらいは許してあげるのが多様性というやつに違いない。
「それで今度近くの廃工場に行こうと思ってるの」
「え?」
しかしそれに行動が伴うとどうだろう?
口で叫ぶだけならまあ問題ない。しかし実際にどこかへ行くのは……、まあ聖地巡礼みたいなものだろうか?
そう思っていた私はまだ彼女の事を理解していなかった。
彼女は鞄から一冊のノートを取り出し何ページかめくると。
「これを見て」
そう言って私に差し出す。
それを見た時の私の気持ちは恐らく想像するのも困難だろう。実際に見てみなければその異常性は分からないのだから。
ノートにはこの付近の地図が書き込まれていた。そしてその上に何枚もの付箋がびっしりと貼られていて、そこには読むのも面倒なぐらいの小さな文字が端から端まで書かれている。
それを見た瞬間に私はただただ背筋が凍る思いをしていた。季節は秋と冬の境、日が沈むのも早くなって来て吹く風に身震いすることもあるだろう。でもこの図書室は暖房完備で暑苦しいコートをみんな脱いでいるぐらいなのに。
「す、ごい、色々書いてるね」
どうにか捻り出した感想に彼女は笑みを浮かべる。
「そうでしょ。これはね、私がこれまでに巡って来た、或いは今から行こうとしている心霊スポットの記録なの」
言いながら彼女は付箋の一枚を指差す。
「ここは少し前に行ったところで、深夜になるとピアノがひとりでに鳴り出すって噂があった小学校ね。一週間ほど粘ってみたけど残念ながら何も起こらなかったの。所詮は噂ね、こういう空振りも多いのよ」
それは一週間もの間、小学校に不法侵入をしていたという自白に他ならなかったはずだけど、彼女がそれを気にしている様子は無い。
いや、寧ろそれは序の口に過ぎない。
「ここは戦争で亡くなった子供の霊が今も彷徨っているっている霊園でね、中心にある小さな慰霊碑が彼らの心を慰めているって話があったの。だから慰霊碑が無くなれば彼らが出て来るかと思って金槌で叩き壊してみたけれど……、残念ながら何も起こらなかったわ」
器物破損。
「この公園は知ってる? 昔に雑木林に隠れていた子供が火災で死んじゃってね、それからこの公園で火を使うと呪い殺されるなんて話があるのよ。試しに雑木林の一角を燃やしてみたんだけれど今も私はぴんぴんしているわ」
放火未遂……、未遂なのかな、これ。
「こっちの山はまだ行ってないのよね。あ、でもこっちの川は面白かったわよ。噂じゃ青白い幽霊が出るなんて話だったけれどただ水泳の練習をしているだけの変人だったの。残念よねぇ」
他にも彼女は自分が回った心霊スポットとそこで行った数々の所業について簡単にではあるが語って行く。話を聞けば聞くほど私は今すぐにでも彼女に対し何らかの然るべき措置を取らねばならないと思った。
彼女は、リリーはどう考えても野放しにしていていい人間ではない。当然に何らかの監視が付くべきであるし、何なら警察に引き渡しそのまま牢屋に放り込んだ方が良いだろう。今のところ傷害や殺人にまでは至っていないが、彼女は犯罪に対するブレーキなど無いに等しい。それは間違いなく時間の問題だ、私の全細胞がそう囁いている。
幽霊は恐ろしいものだ。死して猶もこの世に残り続ける人の未練、執着が生きとし生ける人々に仇為すらしい。
しかし単に執着と言うだけならば彼女の方が余程恐ろしい。
「なぜそんなに、その、色々な場所を巡って……、何がしたいんですか?」
私の問いに彼女は答える。
「私は幽霊が存在するという事実を探しているの」
幽霊がこの世への執着で人に仇為すのであれば、彼女は幽霊への執着でもって人々に仇為す存在だ。
彼女の持つ美しい金色の輝きは人々を惹き付けるが、おそらく彼女の持つ暗い炎を前に正気を保つことは出来ないだろう。
私も、その一人だ。
彼女は私を心霊スポット巡りに誘った。そして私はそれを承諾し、今、そこに向かっている。
待ち合わせ場所でリリーは後輩だという女の子を連れて来ていた。全く聞いていなかったので私は驚いたのだがその後輩ちゃんも私に対して懐疑的な目を向けていてやたら当たりが強かった。
曰く、こいつはリリー先輩目当てで着いて来ただけで幽霊になんて興味は無いよ、とのこと。確かにその通りで申し開きのしようも無い。
ただまあ来てしまったものは仕方ないし、折角だから行ける所まで行ってみようと思ったのだけれど……。
今いるこの場所は数年前までは賑わいのある場所だった。立ち並ぶ工場からは空へと煙が立ち上り付近の団地には職を求めてやって来た人々が大勢いたのだ。
その歯車が狂ったのはとある工場で起きた事件が切っ掛けだ。
大きなニュースになったから覚えている。多分、みんなその見出しを覚えている。
『人肉ウインナー販売さる!』
極めて悪趣味な見出しだと思う。ただ一度見たら忘れられない悪意のようなものを感じたのも覚えている。
それは肉を加工する工場で起こった事故だ。誰にも気付かれないままひき肉を作る機械に巻き込まれた彼は誰にも気付かれないまま加工に回され、商品化され、販売された。消費者によって服の繊維が混じった商品が発見されて初めてそれが発覚したと言うのが驚きである。
その結果関連工場は管理体制が全く基準を満たしていないことが発覚、あっという間に閉鎖された。そしてその後、なぜかたまたま近くにあるだけで会社も関係なければ業種すら違うような付近の工場も次々と閉鎖されて行った。噂では例の向上を視察に行った途中で何か目を付けられるような事をやっていたのを見つかったのだとか、職を失って近くの工場に再就職しようとして失敗した者が何かしたとか。
まあそれはどうでもいい。リリーのお目当ては最初の加工肉工場だ。
例の潰れた工場では機械に巻き込まれたにも関わらず誰にも気付かれなかったその人が自分と同じような者を作ろうと未だに機械を動かし続けている、という噂がある。この噂が立ったせいで周囲の工場でも辞める者が続出し、結果として人手不足で工場が連鎖的に潰れて行ったとかなんとか。
実に胡散臭い話だ。
そう、幽霊の話自体は胡散臭い。しかしこの場の空気は……、どこか、異常に思える。
「怪我する前に帰ろうよ」
そんな言葉が出たのは間違いなく恐怖から。
私が恐れているのはそこら中に放置されている何に使うかもわからない工具や機械が危ないからだ。もしも何かの拍子に転んでしまえばどんな怪我に繋がるかわからない。例えばあの一部分だけ突き出た鉄の棒に向かえば身体を突き抜けてしまうかもしれない、あっちの工具はのこぎり刃のようなものがついていて皮膚の表面がずたずたになるだろう。
だからこの場は怖いのだ、そうに違いない。
しかしリリーとその後輩は。
「駄目よ、折角ここまで来たんだもの。例の人肉工場を見るまでは帰れないわ」
「いいじゃないですか。あんな人置いて私たちだけで行きましょうよ! 私はリリー先輩と二人の方が嬉しいですよ!」
気楽なものだ。
こんな危険な所には近付かない方が良いに決まっているのに。
……この二人は間違いなく異常者だ。一般的な感性など持ち合わせていないのだろう。そもそもオカルトに傾倒する人間をまともだと思っている私の方がおかしいのかもしれない。
私はここで帰るべきなのかもしれない。幽霊なんて興味は無いのだから。私がこの先まで付き合う理由なんて……。
先を行く二人の背中はどんどん離れて行く。このまま見送って、しまえば、いい。
本当に?
「……はぁ」
自然と足が前に動く。小走りに、二人の背中に追い付くように。
この時の私に選択肢なんて無かったんだ。それはきっとリリーの、彼女のせいで。
廃工場の入り口は分厚い扉でもあるのだろうか、そんなことを思っていたが実際には朽ちて役目を果たさなくなったシャッターがあるだけだ。
「よかった、道具はいらないみたい」
そう言ったリリーの鞄からは金槌が見えている。もしもあのシャッターに大穴が無ければあれで破壊するつもりだったのだろうか? やはり彼女はどこかずれている。根本的に社会的な価値観と外れ過ぎている。
「先輩早く行きましょう!」
後輩の子も何も気にしていないみたいだ。ここにはおかしな人間しかいないのだろう。
私たちはリリーを先頭に工場の中へ入って行った。
中の灯りは当然もう点いていない。それぞれが用意していた懐中電灯で辺りを照らす。
「お~、雰囲気ありますね~!」
後輩ちゃんはのんきに方々を照らしながら声を工場の中に響かせる。
中に入って私たちを出迎えたのはどうやら荷下ろし場なのだと思う。おそらく毎日こき使われていたであろうフォークリフト、様々な物を載せていたのであろう木の台であるパレットが幾つも放置されているのだ。それらは埃を被り長い間こんなところには誰も来ていないことを示している。
リリーはそれらを興味無さげに一瞥すると奥へと突き進んでいく。
「あ、先輩、待ってくださいよ~!」
心霊スポットに自らの意思で来ておきながらどうしてあれほど興味無さげに出来るのか、リリーの行動には首を傾げるばかりだ。しかし私としてもこんな場所に長居はしたくなかった。こんな気味の悪い社会科見学はさっさと見るべきものを見てさっさと終わりにしよう。
半ば小走りで奥へ、奥へ。
ぎしぎしと音の鳴る建付けの悪い扉を蹴飛ばし、埃の積もった廊下に足跡を残し、かつては金勘定や取引先との交渉で使われていたのだろう事務所の横を通り過ぎ、暗い通路を通り抜けて私たちが向かったのは工場の心臓部。
「ここね」
扉を抜けた先でリリーが呟く。
工場が潰れたというのに機械はそのままに残っていた。肉を運んでいたのであろう巨大なコンベア、螺旋を描く溝が掘られた筒状の物体、こちらから見えない位置には肉を切り刻む刃もあるのだろう。それが動いてもいないのに不気味な威圧感を感じるのはこの機械が人をひき肉にして殺した、という情報を知っているせいなのかもしれない。
「噂だと件の彼はこの機械でその命を奪われ、お仲間を欲しているそうよ。もしも彼が現れるとすればこの付近でしょうね」
「……まあ、そうですね」
リリーは嬉々として語る。そんなに幽霊などに会いたいものだろうか? 私は決して会いたくなどない、幽霊など存在してはならないとすら思う。
ましてやここの主は噂通りだとすれば私たちの死を望んでいるはずだ。そんなものに巻き込まれるなんて御免被るね。
「先輩先輩! こっち来てください! これが例のひき肉機? ですよ! もっと近くで見ましょうよ!」
「あらあら、元気ね」
あの後輩ちゃんも元気な事だ。こんなところに来たというのに飛び回ってはしゃいでいる。或いは、あれこそがオカルト好きのあるべき反応なのかもしれない。
……どちらかと言えば私の方がこの場においては異物なのだ。私が本当に恐れているのは幽霊なんかよりも現実だ。幽霊などあってはならない、そんなものよりも現実の変質者や不審者の方が余程恐ろしい。最近は先生方も帰りのホームルームで警鐘を鳴らしているじゃないか。だから私は用向きを済ませてこんなところ。
パチンッ!
「ん?」
「あら?」
「何の音?」
その音は突然工場内に響き渡った。私は一瞬二人が何かしたのかと思ったが二人の方もその音が何かは把握していない様子ですぐに違うとわかった。
ではそれは何なのか?
それを考えるよりも早く天井に幾つも付けられている照明が点滅を始める。
「……え?」
既に工場に電気は通っていないはずだ。ここまでの道中、廊下の途中にあるスイッチを幾つも押しては何の反応も無い事を確かめて来たのだから。今更それが点くなんてあり得ない、はず。
そんな私の思考を余所に照明は明滅を繰り返す。光っては、消え、光っては、消え、眩さに目を逸らし、不気味さに心臓を掴まれるような気がしている。
「……実は電気が通っていて、今更、時間がずいぶん経った今更になって照明が点きそうになっている。だけどもうあの電灯の方が寿命で明滅を繰り返している、そうに違いない」
私は必死になってぎりぎり有り得そうな言葉を並べ立てた。その可能性が全くないなんて誰にも言えないでしょう?
幽霊だの、オカルトだの、有り得ないんだ、有り得てはならないんだ。
ゴウンッ!
「あっ!」
音が鳴った。それが機械の駆動音だと知ったのは事が終わった後だった。
数年ぶりに動き出した機械はそれと共に床を揺らす。
足を取られて誰かが声を上げた。
そしてそのまま。
ぐちゃぎちゃずろごべちゃちぇ。
機械の轟音の中に僅かに聞こえたその音が私に告げる。
もはやこれより先に平穏などどこにもありはしないのだと。
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