第一章:純粋なる修道者
・・・あれから三年後・・・
季節は冬。
朝の最低気温はマイナス四十度近く、日中の最高気温もマイナス十度を上まわらない日々が続いていた。
木々は雪を纏い、全ての動物は冬眠に入っているが如く、ただ静寂だけの世界である。
修道院の廊下は朝日をそのまま反射し、礼拝堂にある礼拝用具は目もくらむように輝いていた。
アリョーシャは朝は4時に起きて祈りを捧げ、そして修道院内の掃除から雑用を黙々とこなす日々が続いていた。
そう、そうしてアリョーシャが修道院内の”美”を保っていたのであった。
ゾシマ長老から受けた教えを忠実に守り、ほんの1歩も脇道に逸れることもなく。
ペトロザヴォーツクという、ほとんどのロシア人すら知らないような山奥の小さな街にある修道院・・・アリョーシャはここを「厳しい自然こそが真の信仰を育む」と信じて選択したのであった。
昼前には皆の食事を作り、そして皆と共に食事をする。
そして午後は祈りと聖書研究に没頭していた。
時にゾシマ長老の”言葉”と会話しながら。
「僕が悪かったんです。父を殺したのは僕でもなければドミトリー兄さんでもありません。そしてイワン兄さんはあんなことになってしまって・・・全ては僕の罪なのです。どうぞ天の父よ、僕をお赦しください」
毎日毎日、同じことをどれだけ祈ってきただろうか。
不穏な風と共に彼はやってきた。
「アリョーシャ、噂は本当だったみたいだよ?」
そっと、彼が囁きかけてきた。
「噂って?」
「君も耳にしているだろ?区司祭が代わるって話さ」
アリョーシャは院庭の草むしりの手を止めなかったが、むしった草の匂いが一変して鼻を突き刺した。
言葉にできず、心の中でつぶやいた。
”僕は彼が嫌いなのか?誰かを嫌うなんて許されてはいないはずだ”
むせそうになりながら、それを隠すようにアリョーシャは顔も上げずに呟いた。
「誰がどう交代しようと、僕は僕の信仰の道を進むだけなんだ。いつもゾシマ長老が一緒にいてくださる。僕はその声に従うんだ」
区司祭が変わり、修道院の司祭も変わった。
そして、その後の修道院生活は一変したのだった。
今までは「祈り」と「奉仕」が中心だった修道院生活が「布教中心」となっていった。
しかし、素直なアリョーシャは「変化に順応することも修練の道」と、変化に従っていった。
アリョーシャは四つ角の隅に佇み、毎日ヨハネ書一章を繰り返し、独り言のように、まるで呪文を唱えるように、誰に向かってでもなく語りかけ続けていた。
「アリョーシャ」
司祭からの呼び出しだった。
「アリョーシャ、君が一番成績が悪いことはわかっているのかい?」
「成績ってなんのことですか?司祭様」
「大きな声では言えないが、布教率とでも言えばわかってもらえるかな?」
アリョーシャは黙り込んだ。
そのまま五分くらい、いや、十分くらいの沈黙が流れただろうか。
「司祭様。どうしてもその(小さな声で)実績(声を戻して)を上げなければならないのですか?上げられないとどうなるのですか?」
閉まった窓から冷たい空気が流れ込んできた。
隙間風が白いカーテンを揺らした。
司祭は目を逸らしながらこう言い放った。
「そうだな、出ていってもらうことになるかも・・・」
司祭の語尾は聞き取れないほど、言いたくないことを伝えているかのようであった。
アリョーシャの心に迷いが生じた。
”僕の信仰は間違っているのだろうか・・・”
”ゾシマ長老の言葉は幻なのだろうか・・・”
”いや、確かに僕はゾシマ長老の教えを守ってきた・・・”
”しかし、ゾシマ長老の教えは正しくなかったのか?”
「司祭様、僕を下働きに格下げしていただけませんか?地下室の掃除でも汚水槽の掃除でもなんでもします」
「アリョーシャ、君は自分が何を言っているのかわかっているのかい?」
「はい、わかっているつもりです。どうしても、どうしても自分を納得させられないのです。ですから罰が必要なのだと思うのです」
「罰?罰とは何か?地下室の掃除も汚水槽の掃除も聖なる行為ではないか」
「司祭様・・・」
アリョーシャは再び布教活動へと出掛けていった。
しかし、足取りは鉛のように重い。
それより、アリョーシャの心の中は鉛よりもっと重いのである。
布教活動でできることといえば、相変わらずアリョーシャは四つ角の隅に佇み、毎日ヨハネ書一章を繰り返し、独り言のように、まるで呪文を唱えるように、誰に向かってでもなく語りかけ続けることだけだった。
ある夜、アリョーシャの心の底に「声」が聞こえた。
”全てを受け入れろ。そして自ら考えろ”
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