ボクにも出来るはず

間川 レイ

第1話

 1.

 ボクにとって、いつからだろう。この世界は酷く窮屈だった。


 塾の成績や学校の成績が悪いと、酷くボクのことを殴ったパパ。ポカポカなんて可愛いものなんかじゃなくて、膝蹴りを受けた日には痩せぎすのボクの体がふわりと浮くような力で。ヒュー、ヒューと荒い息を吐き、上手く呼吸ができなくなって。あまりの痛みに脂汗を垂らしてうずくまっていたら、短めの髪を掴んでそのまま壁に叩きつけて。なんでこんなふざけた成績が取れると絶叫して。何度も何度もボクを殴りつけた。


 それだけじゃなくて、こんな無駄なもの読んでるからだろって、ボクの小説たちを捨てた。何度も読み返して表紙の破れたボトルネック。伊藤計劃のハーモニー。やめて、それだけはと取り縋ったけれど、まるで無駄だった。むしろますます激昂した。何がやめてだ、時間を無駄にしやがって。もっと真面目に生きろといつも言ってるだろう。そう言ってボクの宝物達を次から次へとゴミ袋に突っ込んだ。米澤穂信、伊藤計劃。綾辻行人。ボクの宝物たち。何度も読み返してくたびれたボクの宝物達。それだけじゃなくて、お世話になった先輩から貰った革製のお洒落な手帳も捨てられた。やめてよって何度も言ったのに。


 それは、パパなりの思いやりなのは分かってる。娘が真っ当に生きれるように。真っ当な進路を進めるように。


 でもパパにボクの気持ちはわからない。パパは学生時代死ぬほど優秀で。学校のテストなんて9割取れて当たり前、8割でなんぼ、それ以下なんてありえないみたいな世界で生きて来たパパには。そんなのボクにはまるで無縁の世界。ボクだってボクなりに頑張っているのに、そんなの関係ない、全ては結果だと言わんかばかりにボクはいつだって殴られていた。


 ママも、ボクの味方などではなかった。いつだって新鮮な化粧品の香りを漂わせていた。ママは、いつだって周りに対して無関心だった。興味があるのは新しい化粧品と化粧水。そしてジャニーズ。推しと、どれだけ自分が綺麗で居られるかにしか興味がないような人だった。ボクがパパに死ぬほど殴られていても。やめてよってどれだけ叫んでも。道端に転がっている石を見るような目でしかボクを見なかった。


 ただごく稀にパパと一緒にボクの成績を叱って。こんな成績取れるなんて、ある種才能だね。こんな成績どうやったら取れるのか知りたいんだけど。そんな風に小馬鹿にしたように言い放って。そこで少しでもムッとしていると受け止められては行けない。何なの、親に向かってその態度と喚き散らし、次の食事が出てこないことになるから。いつだって完璧主義者のママ。ボクが自分の事をボクと言うのもいい顔をしなかったママ。女の子なのにと。変わり者のつもりと影でせせら笑っていたことをよく知っている。


 妹だって、ボクの味方ではなかった。いつだって何かに怯えたような顔をして。それでいていつだって嘘くさい笑顔を貼り付けていた。それでいながら、ボクに対してはまるで腫れ物に触るように扱った。まるでいつ爆発するかわからない爆弾でも触るように。ボクは、そんな風に話しかけて欲しいわけじゃなかったのに。ただボクは、一緒に苦しいね、辛いねとこの苦しみを分かち合えたらそれだけで十分だったのに。


 別に助けてくれなんて言わない。助けを求めたりもしない。ただ、一緒に辛いねって言ってくれる人が欲しかっただけなのに。妹はそうはしてくれなかった。いつだって腫れ物に触るような、明らかに壁を感じるような接し方しかしてくれなかった。僕はただ、一緒に苦しみを分かち合いたかっただけなのに。妹は露骨にボクを避けていた。下手に関われば巻き添えになる。そう言わんかばかりに。その服の下には、ボクと同じような傷跡がある癖に。


 だから、ボクは、どこまでいってもひとりぼっちだった。学校でもひとりぼっち。勿論親しい友達だって居たけれど、家族の話なんて、できるはずもなかったから。カウンセラーの先生も利用しなかった。昔、軽く相談した時。そんなことあるわけ無い。親御さんなりに思い遣ってのことなんじゃ無いの。あまり親御さんを悪く言ったらダメだよ。そう諭されて以来利用するのをやめてしまったから。ボクはどこまでいってもひとりぼっち。味方なんてどこにも居なかった。


 そんな折だった。そのニュースを見たのは。


 2.

 そのニュースは、よく言えばありふれたニュースだった。人が人を殺したと言う、ただそれだけのニュース。でも違ったのは、子供が親を、兄弟を殺したと言うニュースだった。みんな殺して、家に火をかけたと。それは、世間一般に言って酷いニュースだと思う。だってパパもママも、酷いねって眉を顰めていたから。妹も何でそんなことするんだろうねって言っていたから。


 でも。でもね。ボクには犯人の女の子が何でそんなことしたかわかる気がするんだ。だってその子とボクはあまりに似ていたから。すぐに殴ってくるパパがいて。キレ散らかすママがいて。味方なんてどこにも居なくって。宝物だって捨てられて。褒められたことなんて一度もない。頭を撫でられたことだって。えらいぞ、よくやったな、なんて言って貰えた試しがない。抱きしめられたことだって。大好きだよ、なんて一度も言われなかった。


 俳句の賞や、作文の賞をとったって褒められなかった。むしろ、何無駄なことに時間使ってるんだと殴られた。だから、それ以来どんな賞を取ったって、ビリビリに賞状を破いて川に捨てている。そんな気持ち、手に取るようにわかったから。痛いぐらいに。死にたくって。消えたくって。手首を切って。その傷跡を見て汚いなと笑われる気持ちなんて、嫌というぐらいよく分かったから。


 だからね、ボクは思ってしまったんだ。ボクにもできそうだって。ボクにもできるはずって。それが許されない思いだっていうことはよく分かっている。でもボクは知ってしまったから。気づいてしまったから。どうすればボクが楽になれるか、わかってしまったのだから。もう、止まれるわけなんてなかった。


 3.

 ありったけのお金を使って買ってきたそれを、ありったけの力で振り下ろす。それで、パパも静かになった。しっかりと突き刺さったナイフ。その下から真っ赤な血潮がどくどく広がっていくのをぼんやり眺める。静かだった。どこまでいっても、家の中は静かだった。先程までの喧騒が嘘みたいに。強いていうなら、叫びすぎて喉がちょっと痛いぐらい。血でベタベタするのが気持ち悪いので、シャワーを浴びることにする。どこまでいっても静かな家に、シャワーの音だけがこだまする。ボクから洗い落とされた血と、股間から流れ出した血が混ざり合う。掃除しないとな。怒られちゃうから。そんなことをぼんやりと思う。


 これからどうしよう。ふと思う。短く切った髪をかきあげながら。伸ばしているとパパにぐいぐい引っ張られるのが嫌で短く切った髪。この髪を伸ばすのも悪く無い。普通の女の子みたいに。これからは私って言おうかな。なんとは無しにそんなことを思う。


 でも今は、とても疲れていたから。ただ、眠りたかった。きっと今日はぐっすり眠れるはず。いつまで寝てるのと、怒鳴り散らす人ももういないのだから。そんなことを考えながらカーテンを締め直す。カーテンの隙間から漏れ出す朝日が、やけに眩しかった。



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ボクにも出来るはず 間川 レイ @tsuyomasu0418

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