アルカナム・パラドクス ショートストーリーズ
あとりはぎ
メルクリウス EP:1 人へと堕ちし神
メルクリウスと名付けられた彼女は、メテンプリコーシスの神都アルカディアにて生を受けた。
始祖たる父より賜りし「錬金の権能」──万物を変換するその力で、彼女は神都の繁栄を支え続けていた。
しかし、後に「千年戦争」と呼ばれる神と人の争いが激化する中、彼女もまた戦場へと駆り出される。
そこで彼女が目撃したのは、自らが編み出した錬金兵器が、敵対する人間たちを無残に蹂躙する光景であった。
かつては誇りとしたその権能。だがその日を境に、彼女は己の在り方に拭いきれぬ疑問を抱き始める。
日々求められる錬金は、生活を彩るものから、人を殺める戦争の道具へと変貌していった。
心を閉ざし、無心で兵器を量産する日々。そんな中、彼女は人間の捕虜の監視を命じられ、牢に繋がれた一人の子供と出逢う。
交渉の駒として生かされているだけの子供の世話。それは今の彼女にとって、兵器製造よりは幾分マシな任務でしかなかった。
食事を運ぶたび、子供は頼みもしないのに自身の境遇を語り出す。何度も繰り返されるその言葉は、関心がなくとも記憶に刻まれていった。
戦火により村が滅んだこと、両親が自分を守って死んだこと、そして逃げられぬよう、その足を奪われたこと。
涙ながらに語る子供に痺れを切らした彼女は、気まぐれに錬金の権能を使い、足元の雑草を花に変えて見せた。
ただ泣きやめばいい。そう思っていた彼女の予想に反し、子供は目を輝かせ、歓喜の表情を見せた。
その無垢な反応に、彼女はかつての夢を思い出す。錬金の力で神都の民を笑顔にしたいと、無邪気に笑っていたあの日々を。
それ以来、子供に錬金術を見せて語らうことが彼女の日課となった。子供は瞳を輝かせて聞き入り、いつしかそれは二人にとって、かけがえのない安らぎの時間となっていた。
だが、温かな時間の中で冷たい疑念が彼女の胸をよぎる。
子供の村を焼き、両親を殺した兵器が、目の前の自分が作り出したものだと知った時──この子は一体、どのような顔をするのだろうか。
破壊された前線の大橋、その修復を終えて二週間ぶりに牢へ戻る。だが、そこに在るはずの子供の姿は消えていた。
胸を突く不吉な予感。上官に詰め寄ると、彼は事もなげにその「処分先」を告げた。
あの足で逃げられるわけもない。捕虜が自由になれるはずもない。明確な悪意を持って連れ出されたのだ。
はやる気持ちを抑えきれず走る途中、返り血に濡れた数柱の神とすれ違う。
──予感は、最悪の現実となって目の前に横たわっていた。
捕虜としての価値を見限られた子供は、神々の鬱憤を晴らすための玩具となり、掃き溜めの中で小さな命を散らしていたのだ。
嬲られ、無残にひしゃげた細い手。それを包み込むと、彼女の瞳から涙が止めどなく溢れ出した。その場を離れることなどできず、彼女は一晩中──冷たくなるその手を握り続けた。
主なき牢へと戻る。悠久の神生に比べれば瞬きするほどの期間。だが、あの子と過ごした日々は、何よりも代えがたい記憶として彼女の胸に刻まれていた。
ふと、いつも子供が座っていた地面に視線を落とす。そこには、ねだられて教えた拙い文字で、最期の言葉が遺されていた。
『村が無くなってから辛いことばかりだったけど、食事の後に話すあの時間はとても楽しかった』
『願うなら、兵器ではなく、花を咲かせるような綺麗な錬金の力を自分も使いたい』
あの子供は最初から気づいていたのだ。村を焼き、両親を奪った兵器を作った張本人が、目の前の自分であると。
それでもあの子は信じてくれたのだ。自分の権能は破壊のためのものではなく、誰かを笑顔にするための優しい力なのだと。
そして、一柱の神が人へと堕ちた。
神が神たる所以──永遠とも言える寿命を代償に、彼女は「錬金の権能」を普遍的なものへと書き換えたのだ。
かつて権能と呼ばれていた力は、もはや特別な物ではなく、「錬金術」として神々と人々に知れ渡ることとなる。
数年が経ったある日、神と人との間で休戦協定が締結された。
その裏では、一人の「始祖たる錬金術師」が戦争を停めるために奔走したと記録されている。
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