第1話 整地跡

 見渡す限り、区画整理された白い土地が広がっている。

 道路は真新しく舗装され、区画を分けるコンクリートブロックも真っさらだ。


 そんなブロックの隙間から一輪の花が咲いていた。控えめで小さなピンクの花。

 風に揺れるその花はあの子に似ていて、『ようこそいらっしゃい』と手招きしているようにも見えた。


 平たい土地の向こうには防波堤が見える。更にそのずっと向こうに青い水平線が隠れている筈だ。

 ただ穏やかなその光景。いつかの牙など微塵も感じさせない淡然とした時間。


♪ 花は 花は 花は咲く


 聴くたびに涙がこみ上げるあの歌詞を、亜朱沙は無意識に口ずさんでいた。

小さなピンクの花を揺らした海風は、亜朱沙の心と髪をも揺さぶって、建物疎らな町へと抜けてゆく。


 あれから14年。亜朱沙は初めて梓の終焉の地に立っていた。


+++


 広くて新しい歩道を、藪 亜朱沙(やぶ あずさ)は一人で歩く。


 川端市役所危機管理課に所属する亜朱沙は、当地行政機関へのヒアリングを兼ねて、初めてあの未曽有の災害跡地を訪れていた。風と光を浴びながら、沈殿した14年の思いを抱えながら、遥々持参した小さな花束を忍ばせて亜朱沙は歩く。


 この風景が徐々に日常になってゆくんだ。海藻の匂いもガラガラの笑い声も日焼けした深い皺も感じさせない、整って乾いた風景。何を捨てて何を取るのか難しい判断。歩道は緩やかにラウンドし、丁字路にたどり着いた。


 ようやく見えた。あれが梓が転校していった中学校の校舎。窓も扉もなくなっていて、黒ずんだボロボロのコンクリートの建物遺跡になっている。きっとそのうち取り壊されるのだろう、校舎を取り囲む周辺の道路は通行止めになっていて、それ以上は踏み込めない。亜朱沙は花束を取り出した。


「梓、ごめん、見えるかな。お花は置きっぱにしちゃいけないんだって。だから見せるだけなんだけど、見えるかな。北端中学の校庭のコスモスも入ってるよ」


 涙が零れる。かつての同級生、飯野 梓(いいの あずさ)のその後のことは詳しく知らないけれど、14年前の梓に対する自分のふるまいを思い出すと、ただただ恥ずかしく情けない。


「ごめんね。本当にごめん。あたし、最初は梓がどんな気持ちで転校して行ったかとか大して考えなかったけど、今になってみると、あたしがしたこと、ほんっとに酷かった」


 亜朱沙は中学校を見下ろす歩道の手摺の根元に座り込んだ。ぽろぽろと涙が出る。市役所に勤めていると苛め被害者の声がよく聞こえるのだ。自分も加害者だったと思うと、その度にいたたまれなくなる。梓にもあのような思いをさせて来たに違いない。亜朱沙は地面にへたり込み、涙を拭い、時々校舎を眺め、また涙を零した。


「苦しかったでしょう。もっと生きたかったよね。カレシは出来てたのかな。将来の夢も、きっとあったよね。本当にごめん。あたしなんかがのうのうと生きててごめん。今さら懺悔したって仕方ないのは判ってる。梓のその後も噂程度しか知らない。だけど、仮に梓が生きていたとしても、やっぱりあたしは謝ることしか出来ないの。本当にごめんなさい」


 太陽は既に傾いている。亜朱沙は下げた頭を戻して洟をすすり、頬の涙を拭って眩しい西陽にしびを見つめた。


 その時、背後に軽い足音が聞こえた。


「駒切中学の卒業生ですか?」


 涙目のまま亜朱沙は振り返った。初老の女性が一人、杖を突いて立っている。


「いえ、違います」

「そう。私は以前、あの中学の先生だったのよ。あなた、その時の教え子に見えたから、ちょっとびっくりして」

「え?」

「津波で亡くなった子だったからね。多分、たくさんの人を助けて」


 亜朱沙はゾクッと背を震わせる。


「な、なんて子ですか?」

「梓ちゃんだったねぇ、飯野梓ちゃん」


 亜朱沙は突然立ち上がった。梓が天から舞い降りたのか? 

 こんなことがあるなんて。


「す、すみません! その子の、梓の話を聞かせて下さい! 私、と、友だち…だったので」


 亜朱沙の言葉の語尾は小さくなった。


 ごめん。どのツラ下げて友だちなんて言ってんだ。友だち…なんて思ってないよね、梓。嘘ついてごめん。でも、


「あの、あたし、梓がこちらに転校してくる前の中学で同じクラスだったんです。それで、今回はたまたま仕事の出張で来たんですけど」


 亜朱沙は事情を話した。


「そうなの。それは何かのご縁ね。今日はどこにお泊まりの予定?」

「えと、今からネットで探そうかと」

「あらあら、無いわよ、この辺じゃ。ウチに来る?」

「え?」

「だってさ、元々民宿ばっかりだったのが、津波と再開発できれいに無くなったし、ウチはすぐそこの新しい宅地に息子が小さな家を建ててくれたのよ」

「はい」

「息子は東京に出てるから、私だけなのよ。暇だしいらっしゃい。家の方がゆっくりお話しできるしね」

「はい…、あ、有難うございます」


 亜朱沙は駒切中学の元教師・綿木 妙子(わたき たえこ)と連れだって、夕暮れ時の広い歩道を戻り始めた。

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