潮風が運んだ、名前も知らない君に。
咲山けんたろー
短編
生きていて、不思議に思うことがよくある。
不意に出る涙。
見たことのある場所。
聞き覚えのある音楽。
知らないはずなのに、知ってるような人。
そんな風に感じるのってきっと、私たちが【ここに存在してる】ってことの証明だと思うんだ―――。
大学2年生・春。
季節は、あっという間に過ぎ、あと1日経てば、私は大学3年生になる。
東京の空は、今日も青く、ほんの少しだけ暖かい。でも、だからといって、何も珍しくもない日々。
高層ビルが並んでいて、地下鉄がたくさん通っている栄えた街。行きたいお店も学校も、全て公共交通機関で行けてしまうような場所に私は住んでいる。
そんな、便利すぎる毎日だからこそ、長期休みには、人が少ないところへ出かけたくなるのだ。
大学生といえば、サークルや部活へ行き、友情や愛情を育む人も多くいるが、休みの使い方は、人の数だけ存在すると思う。
私は、1人旅がすきだ。
ワイヤレスイヤホンを耳にはめれば、自分だけの独自の世界に没入することができる。リボンやフリルがついたワンピースを着て、ツインテールをくるくる巻いて、見たことのない街に行けば、自分が主人公になったような気分になって、もっと先へ進みたくなる。
必ず、この日になると、【ある場所】へ行きたくなるのだ。
都会から、緑で囲まれた町へ変わる瞬間。まるで、知らなかった色で全てが塗られていくような。
そして、今日――。 私は旅に出る。
眠い目をこすりながら、期待を胸に、家の扉を飛び出した。
非日常に行くという躍動感は、何度行っても慣れない。
通勤ラッシュの電車にも巻き込まれるが、いつものストレスは感じない。
私は今から、乗客とはおそらく反対方向の田舎に行く。
この背徳感も、またたまらないのだ。
電車のアナウンスが鳴り、私は改札をあとにした。
東京駅につき、電光掲示板に『しおさい 特急 銚子行』というのを目をしたとき、更に目が輝く。駅内にいる人に飲まれそうになったが、私は器用に避け、胸を張って歩いた。
特急に乗れば、もうこっちのもんである。平日は、銚子に行きたい人もそんなに多くないので、隣の席に座ってくる人もいない。周りを見渡すと、1人で座っている乗客が多くいた。
みんなも、私と同じように旅をするのだろうか。
彼らは、今までどんな物語を歩んできたのか、なんて、深いところまで考えてしまう。私の悪い癖だ。
発車ベルが鳴り、いよいよ去年初めて訪れた、あの場所へ――。 お腹がすいたので、家から持参したおにぎり2個を口に入れながら、景色を静かに眺める。
私は目を細めながら、慣れ親しんだ都会の景色を一望し、『行ってくるね』と心のなかで思いながら、口角を上げた。
私が去年から行っている、【ある場所】とは、千葉県にある犬吠埼灯台。昔から灯台へ行くことが好きだったが、この場所は別格である。
東京駅から銚子駅までは、しおさい特急で約2時間ほど。大学1年生のときに初めて乗った時は、これから私の物語が始まる予感がして、信じれない興奮を覚えた。
終点のアナウンスが鳴ると、私は急いで下車の準備をする。
毎回思うのだが、乗車中に居眠りをするのは本当にもったないことだと思う。疲れていたらしょうがないのだが、せっかくの旅なのに、景色を焼き付けておこうという考えはないのだろうか。
そして、特急から外へ1歩、踏み出すと、去年に行ったあの懐かしい感触が蘇ってくる。
東京とは違う、鮮やかな空気。冷たい風。人通りが少ないホーム。
全てが、去年のままで、まるで1年前にタイムスリップしたかのようだった。
ちなみに銚子駅では、PASMOが使えない。銚子電鉄を使うときには、乗務員が1人1人の行き先を確認して、その場で切符を払うのだ。
不便に感じるが、まだ古くからの風習が残っていることはなんとも感慨深い。東京では味えないことを、ここでは色んなことを教えてくれる。
私は、乗務員にお金を渡し、切符を受け取った。
電車で揺れること20分。私今、銚子駅の先にある犬吠駅に向かおうとしている。
犬吠市は、犬吠埼灯台が有名である。
世界の灯台100選にも選ばれ、見学者数日本一歴史的灯台。また、最近では
2国の重要文化財に指定されている場所。
海も見れ、灯台も見れ、美味しい海鮮を食べれるため、私は穴場だと勝手に思っている。
列車の扉が開くと、先ほどより更に冷たい風が髪を靡かせる。
寒い。明らかに東京より寒い。海がすぐそこにあるため、当然と言えば当然なのだが、寒さに弱い私は、思わずくしゃみをした。
同じ駅で降りた老夫婦が私を見て、微笑ましそうに笑った。なんだか恥ずかしくなって、顔をそらす。
駅内にはお土産屋があったり、くつろぎスペースがあったり、駅らしさはないが、古くからの名残は残っている。
私は駅をあとにし、灯台へと歩いた。
体が軽い。足が弾む。心が躍る。
気がつけば、私は前へ前へと走り出していた。
左手には、新鮮な海の幸を使ったお寿司屋さんが見え、さらに奥へ進むと、使われなくなった水族館見えた。
そして、正面を見つめると――――
大きな山から、先がちらりと見える、灯台の先端。
私は目を大きく見開き、瞳に星がかかったような気分になる。
そして、その先へとさらに走り出した。
犬吠埼灯台。
今年もまた、これを見れるなんて、私はなんて幸せ者なんだろう。
灯台が好きな理由は、人それぞれだと思うが、私は【なんだかロマンチックだから】という単純な理由だ。
中に入れば正面からの海を見れるし、犬吠市を真上から見れるというなんとも贅沢な楽しみができる。
私は、急いでカバンからスマートフォンを取り出し、写真を収めた。
遠くからさざなみの音がする。
咄嗟にワイヤレスイヤホンを外し、私はその音と、潮の香りを楽しむのである。
息を思いっきり吸い込み、静かに耳を澄ませた。
世界で私しかいなくなったような気分になって、独りぼっちなのに独りじゃない。そんな、気持ちになる。
お昼の時間になったので、私は灯台の近くにある、海鮮丼が食べれるお店に訪れることにした。
自動ドアでなく、手動ドア。こうした細かいことでさえも、非日常感を連想させ、私を興奮させる。
ドアの音に気づいた、腰が曲がったお婆さんが、私を上から下まで見つめて目を大きくする。
「あらっ……。 やだぁ。お人形さんが来たのかと思ったわ。」
その例え方に、私は思わず顔を赤くする。彼女が私のことを【人形】だと言ったのは、白いフリルのリボンコートにくるくる巻いたツインテールをしていたからだろう。
「どこがいいかしら…。 やっぱ窓側がいいわよねぇ。」
私は軽く会釈をし、指定された席へ座った。
気を利かせてくれ、私は窓側の海が見える席へ。
今日は普通の平日なため、人が多くない。奥の方に女性が1人で食事をしているくらいだ。
そして、机の上には、灯台のミニチュアが置いてあった。なんと可愛らしい。
手のひらサイズのちょうどいいフィット感。今日の旅にピッタリだと思った。あとで、お土産で買いに行こうと思った。
頼んだのは、去年と同じ【サーモンとイクラの海鮮定食】である。
海鮮丼の他に、温かいおみそ汁と漬物がついてくる。これでなんと1500円。物価高で感覚がおかしくなっているのか分からないが、割と手ごろな値段だと思っている。
「ほれ、お嬢ちゃんにあげる。」
料理を待っていると、先ほどお婆さんがなにやらお菓子のようなものを机に置いた。
びっくりして、顔を見つめると、『サービスだよぉ。ここの濡れせんべいおいしいからぁ。』とニコニコ笑っていた。
濡れせんべいは、銚子の名物。大きな丸に醤油のような茶色がかったものであり、銚子電鉄が今でも通っているのは、これがあったおかげなのだ。
今年もお土産として買っていこう。と思った。
「はいよ。 お待ちどおさん。」
しばらくして、お待ちかねの料理が出てきた。今日の私のお昼ご飯。湯気かったおみそ汁に、大きな器の中に入っているぷりっぷりのサーモンに、輝くいくら。漬物も小さいお皿にちょこんと置いてある。
私は静かに手を合わせた。
ぱくりと、サーモンを口に入れた途端、私の中の時が止まる。
噛み締めると、じわりと油が伝わり、魚臭さもない、新鮮な味。いくらがぷちゅと口の中ではじけた瞬間のときめき。
味噌汁も手を抜いていない。アサリの出しが効いた優しくて温かい味。この季節にはぴったりのちょうどいい、熱い温度。
すると、奥から足音のような音がする。誰かお客さんが来たようだ。
どんな人なのかなと、ついつい顔を覗いてしまう。
覗いて――――
不意に目が合った。
私と同じくらいの青年。背が高く、髪はストレート。目はくっきり二重。
左手で白いバックを持ち、黒い上着を着ていた。
今。私だけの時間じゃなくて、私と彼との時が一瞬だけ重なって、一瞬だけ止まっている。
お婆さんの声で、彼は私から目を逸らし、席へと誘導された。
私もまた、視線を料理へと戻す。
手で胸を抑えると、激しい鼓動がしていることに気づいた。
恋ではない―――新しい気持ち。
私、この人を知っている。
なんでか知っている。見覚えがある。
自分でも、この感情に戸惑っている。過去に好きだった人の顔に似ている? いや、似ていない。元彼? いや、全然違う。
この既視感の正体はなんだろうか。
振り返っても、それらしいヒントが出てこない。
彼は、何を注文したのだろうか。窓に映る海と灯台を見つめている。
その姿が、非常に絵になっている。思わず写真で収めたいくらいだ。
彼も私と同じように、1人で来ていた。一体何のために。何の目的でここまで来たのだろうか。どこから来たのか。
――いや、やめよう。これじゃ、ただの気持ち悪い人だ。
彼も彼なりに何か事情があって、ここまで1人で訪れたのだから。1人の世界に勝手に入るわけには行かない。
そう思うと、私は急いで会計を済ませ、観光を続けることにした。
次は、犬吠埼灯台の中へ入ることに。係員に声をかけ、300円を支払うと、観光がさらに充実するのだ。
私はお金を渡すと、すぐに中へ入ることにした。
灯台の中は、意外と暗くて、階段も長い。
体力の自信はないので、ゆっくりと登ることにした。幸い、後ろに人もいないので自分のペースで登ることができる。
1段、1段と登っていくうちに、予想通り、息切れがしてきた。余計に階段が急なので、膝の力も必要となるのだ。
私は登るスピードを落とし、少しずつ進むことにした。
タン、タン、と足音が響く中、私は一筋の光を目にした。
まぶしくて、思わず目をそらしてしまったが、この瞬間を焼き付けておきたくて、無理やり目を開いた。
思わず、手で口を抑える。
陽の光で照らされた銚子の景色は、東京にはない異空間そのものだった。
きれいな海に、冷たい風が吹いてきて痛いくらいなはずなのに、街並みがきれいで、高層ビルもなく、ギラギラしたような店もない、純粋無垢な景色。
私が胸が苦しくなって、静かに涙を流した。
「綺麗―――――。」
こうやって、人の目を気にせずに、涙をボロボロ流せるのもまた、1人旅のいいところだ。
自分が主人公になったような気がする。
私を軸に世界が回っているような、そんな気分にさえ、旅はさせてくれるのだ。
「本当だ。 綺麗だね。」
隣で、男性の声が聞こえる。
ハッと振り向くと、先ほど目が合った青年の姿だった。
どうやら、思わず口に出していたらしい。
しかし、なんで彼は私に話しかけてきたのだろうか。驚きと戸惑いで、会話をつなげる事が出てこない。
1人で思いにふけり、涙を流していたことも、思わず『綺麗』と言ったことも、はたから見れば痛い人に思われてそうで、羞恥心が増した。
「ここの灯台、いいよね。人も少ないし、どこか切ないんだよな。」
彼は私の様子を気にかける様子もなく、1人でペラペラと話し始める。
泣いていたのバレていないだろうか。証拠を少しでも消そうと、必死に涙を拭く。潮風で髪を隠しながら。
「君、さっきのお店で僕のこと見てたでしょ。」
「え!」
「やっぱり。」
彼は優しく微笑む。どうやらこの表情からして、嫌悪感は抱いていなさそうだった。その様子に私はホッとする。
あなたのことを、知ってる気がするなんて言ったら、今度こそ本当に気持ち悪がられると思い、気持ちを押し込む。
「どうして、私に声をかけたんですか?」
「敬語なくていいよ。僕ら、多分同じ年ぐらいだし。」
「じゃあ、どうして――。」
「君に見覚えがあったから。かな。」
彼は、自然に間を取り、私のほうを見つめた。
冷たい潮風が靡き、あまりにも激しく吹くものだから髪の毛が少しだけうっとおしく感じる。
でも、そこがまた、いい。
本日2度目だ。 彼とこうやって見つめるのは。
やっぱり、さっきの既視感は気のせいではない。この人を、私は見たことがある。知っている。
ただ、どんな人は知らないだけで。
私が硬直していると、彼は視線を景色へ戻す。
「あはは。怖がらせちゃったかな。変な人じゃないから安心して。 僕は、去年も、同じ日付に同じ場所を訪れたんだ。君は去年、この灯台へ来た?」
「うん。」
2025 年 3月31日。 去年私がここへ来た日付。
次の日は新しい学年に上がるから、最後の節目として、心を統一させようと、この灯台へ来るのが当たり前になっていたのかもしれない。実際、今年も気がつけば、足を運んでいたし。
「それじゃ繋がった。去年の君が、僕にとって印象深かったんだよ。この灯台をいろんな角度から一生懸命撮っててさ、すごい人いるな〜と思って。おまけにその髪についてるリボン。」
「これのこと?」
彼が指をさす方向を私をたどり、髪についている赤いリボンバレッタを軽く触る。
「そう。その可愛いのね。それでそうかな〜と思った。」
「1年前に来たこと、よく覚えてるね。だって、見知らぬ人なら覚えてるはずないじゃない。」
「確かに。見知らぬ人に見えなかったのかも。君が。」
彼も、私と同じような感情を抱いてたことが何よりも驚いてしまい、瞬きの回数を早める。
その優しく微笑んだ笑顔も、恋のような胸のときめきではない、なんだか切ないような、胸が敷き詰められる感情に襲われた。
さらさらな前髪からちらりと見えた、大きな黒色の瞳。
今度はバッチリ目があい、私のほうが先に目をそらした。
「……あなたも灯台が好きなの?」
「うん。なんだか落ち着くから。ほっとできるしね。まあでも、こんなこと誰も分かってはくれないんだけど。」
「…わかる。私もそう。」
「それじゃ、今なら話せるね。僕に。」
「……うん。」
これがナンパというものなのだろうか。
本来私からすれば、せっかく1人旅をしているのに、知らない人にこうやって話しかけるなんて、嫌悪感の大渋滞だ。
なのに、この感情はなんだろう。
気持ち悪くない。自然な流れ。
私は何か騙されている? 変な罠にかかっているのではないか? そう思ったけれど、考える暇もないくらい、物語はスピーディーに進んでいく。
「よかったら、ここのすぐ隣にあるお土産に行ってみない? 僕あそこも好きで。」
「私も。行こう。」
彼の後を追いかけるように階段を下る。
タン、タン、と階段を下る音が帰りは二重に重なってる。
彼は、私の頭1個分背が高く、振動で揺れる黒髪が綺麗。肩の骨も、がっしりしているのに、どこか繊細で、触れたら消えてしまいそうな、そんな儚い印象を覚えた。
先ほど私たちが訪れた食堂の隣にある、お土産コーナーとくつろぎの場。
誰でも入れることができ、2階に上がれば、灯台とは違う景色を堪能できるのだ。
エレベーターで2階へ。 まず、迎えてくれたのは、犬吠埼灯台をイメージした可愛らしいミニチュアキーホルダー。
小さいものだけではなく、中程度やビックサイズもあった。
それだけではない。海があるからなのか、イルカのブレスレットや、プロの写真家が撮ったようなフィルムも販売されており、私の心も躍る。
「グッズがいっぱいだ。これ全部欲しいくらいだね。」
「本当にたくさん売っている。ほら。これとか、小さくて可愛い。」
彼が私に向けたのは、私も1番最初にいいと思った、灯台のキーホルダーだ。
バックや筆箱のチャックにも付けられそうな小さなサイズ。お値段は可愛らしくはないが。
私の様子に気がついたのか、彼は軽く苦笑する。
「他も、いろいろ見ようか。」
私は軽く頷いて、彼の後を追った。
すぐそばにあるカフェでホット一息。
私は、ホットココア、彼はアイスコーヒーを注文し、景色がよく見えるベンチに腰を掛けた。
冷えた手を、コップでそっと温める。手先の温度が魔法のように変わっていくようだった。
彼もまた、私の隣でゴクリと一口飲みながら、景色を堪能している。大人しいタイプなのだろうか。私のことをちっとも聞いてこない。どこか来た、とか、何歳で、名前は何なのか、とか。
むしろ、聞いてこなくて助かるんだけど、と思うのだが、やっぱり無言は気まずい。なにせ、今日初めて会った人である。
私は静かに口を開いた。
「…どうして、私に声をかけたの?」
「さあ。僕もわからない。気がついたら、身体が先に動いたんだ。変だろう?」
「うん。変かも。でも、なんかそこがいいね。『旅』って感じする。私さ、旅が好きなの。ほら、普段知り合えない人と喋ったりできるでしょ? なんだか、すごくワクワクするんだ。」
「そうだね。僕はあんまり喋るのが得意じゃないんだけど、こういう場所は別物。身体が前へ動くんだよ。自然と。」
「それじゃ、他の場所でもいろんな人に話しかけてた? 私の時みたいに。」
「いやいや。僕が話しかけるのは、ご年輩の方とかが殆ど。 」
「…年が近い女の子に話しかけたのは、今日が初めてだよ。」
また、目が合った。
彼は、また私に儚く笑うのだ。
その瞳。私を優しく見つめる瞳を。私は思わず奪いたくなる。
ほら、また、胸が苦しくなっていく。
「そっか。なんだか、嬉しいな。」
いつも私から目を反らしてしまう。
それから、色々な事を話したっけ。
好きな食べ物の話、趣味の話、最近面白かった話―――。
でも、お互いの個人情報については、一切触れなかった。
教えてしまうと、旅の思い出が他の色で塗りつぶされていくような気がしたから。純粋無垢な透明に、絵の具が急に混ざるような、そんな感じ。
彼の好きな食べ物は、ラーメン。ちなみに私も好き。でも、二郎系ラーメンが好きみたいだから、ちょっと違う。私は魚介系が好きなんだもの。
趣味は旅と、読書らしい。 本は、ミステリー小説から恋愛小説、ホラー小説まで幅広い。 今日もここに来るまで小説を読んでいたらしい。スマホではなくて、本を読むというところが知的さを感じた。
「最近面白かった話か。なんだろう。図書館に用があったんだけど、間違えて裏口から来ちゃって、柵を飛び越えたの。係員さんがびっくりして腰を抜かしてたよ。」
私がそう言うと、彼が面白おかしく笑った。
「あはは! なにそれ。 君って結構おっちょこちょい?」
「そんなことないよ! ちゃんと地図通りに進んだんだけどね。目が合った時は、『しまった!』って思ったよ。」
「その後はどうなったの?」
「笑って誤魔化したよ。少し苦笑いしていた。」
「おっちょこちょいだなぁ。他にもエピソードあったりするの?」
「うーん…。あとはね――――」
私の恥を晒しただけなような気がしたが、彼がまろやかに話を包んでくれる。
でも、話したいことが、次々と浮かんでくる。その度に、彼が笑うから。私の話を楽しそうに聞いてくるが嬉しくて、時間も忘れるぐらいだった。
話し続けて、約2時間。時間を確認すると私が予定していた帰りの列車の時間だった。
2時間も話していたなんて。人と関わることが苦手な私は、未知の体験だった。
外へ出ると、昼よりも風が強くなり、冷たい。明日で4月なのに。観光客も更に減っているようだった。
彼も、何か思うことがあるのか、ゆっくり深呼吸をし、あの灯台を見つめていた。
「……まだここにいるの?」
「僕は、もう少し先だから。」
「そっか。」
「うん。」
2人の間に無言の空気が流れる。
帰りたくない。
景色が名残惜しいのも、もちろんある。でも、今回はそれだけではない。
彼の儚い笑顔が、2度と見れなくなってしまうのでは、と、怖くなってしまうのだ。
せめて、連絡先を聞いておきたい―――。もっと仲良くなりたい。
私の鼓動は速くなるばかりだった。
「ねえ、僕やっぱりお土産コーナー見に行ってくる!」
彼が先に言葉を発した。その瞬間、私の言葉も聞かず、背を向けてしまい、先ほどいた場所へ走って行った。
「君はそこで待ってて! すぐ戻る!」
追いかけようとしたのだが、先ほどよりも大声で止められてしまい、その圧で動きを止める。
ポツンと、1人取り残された私。
振り返ると、さざなみの音が消え、海の流れを見つめる。
夕日が昇ってきて、それに反射した海は光り輝いており、昼とは違う感動を覚えた。
「おまたせ!!!」
しばらくすると、彼が戻ってきた。右手には何やらレジ袋を持っている。
彼は、微笑みながらレジ袋の中身を取り出す。
「手、出して。」
彼に言われるままに手を出す。ふわりと、物の感触を感じた。
その正体は、犬吠埼灯台のミニチュアキーホルダーだった。
「さっき、欲しそうにしてたでしょ? だから、買ってきた。」
「ありがとう。あっ、 お金何円だった?」
「気にしないで。 それより、ほら見て。」
目を丸くする。
「僕のとお揃い。」
そして、また消えてしまいそうな笑顔で、私に微笑んだ。
知らない感情が、電気が走ったようにブワッと伝わり、目頭が熱くなる。
「あっ――。勝手にお揃いにしてごめん! 気味悪いよね。2つあげようか?」
「いいの。 もう1個はあなたが持っていて。」
「これがあれば、また私たちは会えるって―――そういうことでしょ?」
「うん。僕たちは、また会える。来年のこの日に。この場所で。」
「うん。」
「あと1年経ったら、今日の続きの話をしよう。」
「うん―――。」
「僕のこと忘れないでね。」
「忘れないよ。こんな濃い思い出。事故にあっても忘れないもん。」
「じゃあ、答え合わせは来年かな?」
「ふふ。そうだね。あなたこそ、私のこと忘れないでね。」
「忘れない。また、来年も君のことを探しに行くから。」
「―――あの灯台で。」
「うん―――。待ってるね。」
そうやって、私達は約束したんだ。小指を絡ませて。ギリギリの時間まで、お互いの顔を近くで見つめ合って。
こうして、新しい思い出が、増えていく。
旅をすることは、思いがけない出会いがある。
知らない場所で、知らない君に会えるから。
名前も住んでいる場所も知らない、旅でしか会えない、ミステリアスな君に。
特急列車に乗った頃は、もう、既に涙の跡は残っていなかった。
揺れながら、今日取った写真を見返す。
灯台の写真。駅の写真。ご飯の写真。海の写真。どれも私ににとってかけがえのない宝物になった。
スワイプしながら、思わず笑みがこぼれる。
左へ、左へ、スワイプを続けると―――
あ。
彼の手のようなものが写り込んでいた。
私は、先ほどもらった灯台のキーホルダーをぎゅっときつく握りしめる。
さようならじゃない、私たちはあの場所がある限り、また会えるんだ。
あと1年経ったら、物語の続きを進めよう。
私1人だけじゃない。私と彼との新しい物語の続きを―――――。
そう思ったら、4月からの新生活も頑張れる気がする。
彼にまた会ったら、知らない話をたくさんして笑い合おう。
さっき会ったばかりなのに、もう次会うのが楽しみになってしまっていく。
それこそが、今生きているという存在の証明なのだ。
私は、今年最後の、田舎の景色を見つめいていた。
もちろん、想っている人は、1人だけ。
離れていても、想いは一緒なはずだから。
ねえ――あなた。
名前も知らないあなた。
私ずっと待ってるね。来年も再来年もあの灯台で。
あなたの帰りを、ずっと、ずっと待ってるから――――。
潮風が運んだ、名前も知らない君に。 咲山けんたろー @lovenovel_kenkenta
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