ペンネーム沼

松原凛

ペンネーム沼

 私は優柔不断である。

 ここ一年ほど、いろんな人に「ペンネーム何にしよう……」とボヤきまくり、相談に乗ってもらい、何度も「決めた! もう変えない!」と声高らかに宣言したにもかかわらず、「いややっぱりもう少し考えよう……」とまた悩みだす優柔不断っぷり。じぶんでも呆れるくらいだから、まわりの方々もこいつどんだけ悩むんだときっと呆れていることだろう。


 なぜ私はこんなに真剣に悩んでいるのか。

 正直言って就職より子供の名付けより悩んでいる。というかいままででいちばん長い期間悩んでいる気がする。

 書き始めたばかりの頃なんて、本名をローマ字にしただけの(わかる人にはわかる)なんの意味もひねりもない名前だった。本当に何も考えていなかった。

 もし何か考えていたとしたら、学生時代にどハマリしたケータイ小説にあこがれて「私もあんなピュアな小説で読者をキュン死(死語?)させてみたい!」と思っていた節はある。

 しかし小説を書き続けていくうちに気づいた。

 私はキュンキュンする小説が好きだが、心を抉られるような闇深い純文学も大好きなのである。

 どっちも好き。どっちも書きたい。でもこの名前だと純文学とかかかなさそう。実際知り合いにも「中学生のケータイ小説作家みたい」と言われた。

 そんなとき思いついたのが「松原凛」。

 思いついたというより、最初は子供の名前として考えていた名前だった。

 ペンネームは子供と同じくらい大切にしたいという思いから考えたのだが、これってよく考えたらいったんボツにした名前だよね、大事なペンネームがそれでいいのか?

 と優柔不断な私はまたしても悶々としてしまうのである。

 そんな頃、当時まだデビューして間もなかった作家の汐見夏衛さんと知り合った。

 汐見さんはデビュー当時からすでに圧倒的な存在感を放っていて、透明感があって恋愛のときめきも書きながら読者の心を抉るような文芸っぽさのある素晴らしい文章を書かれる方だった。

 こんな文章ほかの誰にも書けない。私もこんな作家になりたい、と思った。

 実際、面と向かって「私は汐見さんの後を追いかけます」と偉そうなことまで言った。

 その汐見さんに「ジャッ◯・イン・ドーナツ」でドーナツを食べながら、ペンネームの相談をしたときのことをよく覚えている。

「いいじゃないですか。幻の名前」

 と汐見さんは言った。

 衝撃だった。

 私が「いったんボツにした名前」と言った名前を、汐見さんが美しく言いかえてくれた。

 人気作家の手にかかれば適当に決めたペンネームもこんなにもいいものに思えるのかと、忘れられない思い出になった。


 私は「松原凛」になった。

 この名前をとても気に入っていた。透明感があってピュアな話も闇深い文学も書きそう。

 この名前には五年くらいお世話になった。

 しかしまた問題が発生する。

 執筆歴も長くなりちょっと調子に乗っていてエゴサでもしてみようかと思ったとき、同姓同名の人を見つけてしまったのだ。

 しかも私よりはるかに知名度のあるお方だった。

 そこでまた久しぶりの「ペンネームを変えたい」衝動が発動する。

 松原を変えるか、凛を変えるか、どっちも変えるか、好きなキャラの名前にするか、そこで思い出す。

 私は学生時代「ちみ」と呼ばれていた。「なんかちみっぽい」というあまりにも適当すぎる理由でつけられたあだ名だが、たしかにそうなのでしっくりきた。当時は呼ばれすぎて自分の本当の名前はちみだと思いかけていた頃さえあった。いまでも友人の多くにちみと呼ばれている。

 検索してみる。「松原ちみ」という名前の作家はいないらしい。自分では当たり前だったけど、案外いない名前。

 これだと思った。ようやくそう思える名前に出会えた。出会ったというより、私は二十年も前から「ちみ」だったのだけれど。


 しかし、またしても問題が発生する。

 字をどうするか。ひらがなにすると全体的に丸っこくてナメられるんじゃないか。もっと作家っぽい名前のほうがいいんじゃないか。

 そういえば私はホラーも書きたいと思っていたのである。もういっそゴリゴリのホラー小説書きますみたいな感じで「松原魑魅魍魎」はどうか。うん。クセの強いホラー小説を書きそうだ。でもサイン書くときどうする。こんな画数の多い名前絶対書けない。しかも名前の届け出ができない漢字がふくまれているらしく、姓名判断すらできない。じゃあ「松原血海」なにか文芸魂が滾りそう。姓名判断では大吉。僧侶に向いているらしい(僧侶が絶対つけちゃいけない名前だと思うが)しかし物騒すぎるので却下。「松原知海」はどうか。知識の海、なんかかっこいい。でも姓名判断が微妙。どこのサイトを見ても微妙。せっかくだから占いにも後押ししてもらいたい。うまくいきますって言われたい。「松原千見」うーんしぶい。いっそ意表をついて「松原珍味」とか……

 もう何がなんだかわからなくなってきた。

 私は書きたいジャンルも話も日によって変わるのだが、ペンネームも日替わりで変えたい。そうしたらこんなに悩まなくてすむのに。


 しかしペンネームは一度決めたらそう簡単には変えられない。そしてこんなに悩みまくるくらい、私にとってペンネームは大事なのだ。

 本屋で並んでいる本の中に好きな作家さんの名前を見つけると嬉しいし、その中にいつか自分も入るかもしれないと思うと気合いが入る。

 気合いを入れたからといって、決められるわけではないのだけれど……。

一年も悩んで悩んで悩みまくってまだ決められないのがその証拠である。

 いい加減この沼から這い出たい。

 でもなんとなく一生抜けられない気もしている。



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