愛するはずが、ない

赤川ココ

第1話

 舅である伯爵が、妻を迎えに来た。

 一人で出迎え、一人で相対する侯爵に怪訝な顔を浮かべ、伯爵は切り出した。

「娘との契約は、本日で満了となりましたので、迎えに参ったのですが……」

「そのことだが、伯爵。私は、妻を愛してしまった。どうか、契約の更新と、変更をお願いしたい」

 驚いた伯爵は、返す。

「それはできません。三年の契約結婚を終えるのを見越し、娘の縁談は進んでおります」

「早計が過ぎる。あなたの娘さんが、私の心を射止める可能性もあると、考えていなかったのか?」

「娘本人の意思です。あの子は元々、私の事業の失敗の犠牲となり、貴方様に嫁ぐ形となりましたが、本意ではありませんでした」

 険しい顔で訴える伯爵に、侯爵は困ったように告げた。

「人というのは、心変わりする生き物だ。愛さない、愛されないと契約はしたが、互いに思い合ってしまったのだ。契約を破棄し、新たに婚姻関係になることを、希望している」

「それは、娘本人の希望、でしょうか?」

「勿論だとも」

「では、ここに娘を連れてきてください。まさか、軟禁してはおりますまいな?」

 険しい顔のままの伯爵の強い疑いに、侯爵は一瞬詰まったが、すぐに穏やかに答えた。

「息子と部屋で過ごしている。あの子は人見知りなのだが、彼女には懐いていてな。ぜひ、正式に母親として、私の妻として迎え入れたいのだ」

「……契約は、破棄、ですか。では、契約書通り、慰謝料を言い値でお支払いください」

 この契約は元々、伯爵の経営が思わしくないのを憂う王室が、三年間の援助と引き換えに、丁度前妻と離縁したが、息子の教育に不安を持った侯爵家に契約結婚を命じたのが始まりだ。

 その時に、伯爵家と侯爵家は、王室を間に入れて契約を結び、書面にも残してあった。

・この婚姻は白い結婚で、三年間とする。

・互いに思慕を持つことは、違反とする。

・夫人は侯爵子息を、後継ぎとして立派に教育する。

・契約違反した場合、慰謝料を相手の言い値で支払う。

 そんな契約書を作成し、王室に預けてあった。

 勿論、その契約書の事は頭にあったが、伯爵が提示する額など、侯爵家が恐れることはなかった。

「勿論だ。今、現物で支払おうか?」

 鼻で笑いそうになった侯爵は、それを抑えて言ってしまったが、伯爵は激昂することなく言い切った。

「では、爵位をいただきます」

 は?

 間抜けな声は声にならず、空気に抜けた。


「実は王室より、昨今の功績をたたえていただきまして、爵位が空き次第、譲位するとおっしゃっていただけたのです」

 口を開け放ったままの侯爵に、伯爵は穏やかに笑って見せた。

「王室をはさんでの契約を、破棄するのですから、爵位の返上は、勿論覚悟されていますよね?」

「い、いや、そこまでの話じゃないだろう。私と妻は、愛し合っていて……」

「そうならば、父親が迎えに来ているのに、断りのためにでも、顔を見せないのは可笑しいでしょう? 本当に自分の意思で、娘はご子息と一緒にいるのですか?」

「も、勿論だ。息子は、妻に懐いていて……前妻と違って、厳しい躾をせず、優しく接してくれると、この人を、母と呼びたいと……」

 必死で言いつのる侯爵を、伯爵は鼻で笑った。

「っ。伯爵っ?」

「血のつながらない、赤の他人の子供を、甘く育てるのは当然でしょう。この屋敷で娘は、ただの雇われなのですから」

「そんなことはないっ。家の者たちも、目下に優しい妻と、評判で……」

「ですから、それも当然です。似た処遇の者たちを、どうして無下にできますか? 出来るだけ荒波立てず、三年を乗り越えようとする気持ちが、そうさせていたのでしょう」

 あわあわと言葉を濁す侯爵を見据え、伯爵は言った。

「監禁は、犯罪です。どうか、これが王室に報告される前に、娘をお返しいただきたい」


 侯爵家を後にした伯爵は、馬車の中で向かいに座った娘を、静かに労った。

「よく、辛抱してくれた」

「はい」

 涙ぐむ娘を見ながら、伯爵は良かったと号泣したくなった。

 伯爵が時間を巻き戻ったのは、まだ娘が生まれていないどころか、夫人となる女と出会った頃だった。

 幼馴染の公爵令息と、完全に絶縁する大喧嘩をした直後だ。

 気づくと二人は、双方尻もちついて顔を見合わせていた。

 殴り合いの末に、両者とも顔は血まみれ痣だらけ、整っていた顔も腫れあがって、見る影もないほどになっていたが、そこで互いに捨て台詞を吐いて決別した、前の人生では。

 伯爵の娘と契約結婚することになった侯爵は、初めその公爵の娘と婚姻を結んでいた。

 そして、何らかの不具合があったのか、離縁が成立すると、侯爵は何故か伯爵に契約結婚を提案したのだ。

 その時は、本当に窮地に立っていて、藁にもすがる気持ちで乗ってしまったが、後々後悔した。

 三年の白い契約結婚と言われていたのだが、それが継続になり、十年経った頃に突然、娘の訃報が届いた。

 子が生まれなかった、という理由で返されてきた娘の体は、骨と皮しか残っていない、やつれた姿になっていた。

 呆然としながら葬儀の準備に取り掛かる家に、公爵家一家が久しぶりに訪ねてきたのだ。

 公爵は、夫人との間に二人の子を儲けていた。

 一人は、侯爵家から出戻った娘、もう一人は後継ぎの若者だった。

 訃報を聞いて訪ねたと、悲壮な顔で告げた公爵は、夫人に消沈した伯爵夫人を任せると、娘の身に起こったことを、血を吐くように並べた。

 公爵令嬢が侯爵家に嫁いだ時、まだ前侯爵夫妻が健在で、すぐに冷遇が始まった。

 子に恵まれないまま体調を崩した娘は、離縁されてしまった。

「……学園で、伯爵令嬢とは、親しくしていたのです」

 悔やむように歯を食いしばり、公爵令嬢は言った。

「その時、当時婚約者だった侯爵の、伯爵令嬢を見る目が、不気味な感じで。ですが、令嬢と会う時は私も一緒でしたし、時々兄も窘めてくださっていたので、大丈夫だと軽く考えてしまっていたのです」

 その異様な目を見てから、公爵令嬢の思いは、侯爵令息から離れていたが、家同士のつながりだからと、そのまま結婚するに至った。

 そしてすぐに、冷遇が始まった。

 社交に出る必要があるため、外見が脅かされることはなかったが、夫人の心はズタボロになってしまい、それを父親と社交の場で会った時に見とがめられ、実家に戻ることになったのだった。

「……娘は、この契約が終わったら、嫁に行きたいと願っていた」

 無事に終わらせたら、反対しないでほしいと約束させられ、渋々了承した記憶があった。

 伯爵がそれを告げた時、公爵令息が膝を折って泣き出した。

 令嬢も娘の亡骸に縋って、号泣する。

 鈍い伯爵も、流石に気づいた。

「……お前、まさか」

 それに輪をかけて鈍い公爵も、目を見開いて令息に声をかける。

 答えはなく、ただ泣きじゃくる二人を、呆然と父親たちは見下ろしていた。


 その後の人生は、何の面白みもないものだった。

 ようやくそれが終わったと思った途端、戻った時期がそこだったのだ。

 馴染んだ痛みに顔を歪め、伯爵令息に戻った男は、吐き捨てた。

「くそっ。勝手にしろっ。あんなお前にメロメロすぎる天然女なんか、お前にお似合いだっ」

「ふんっ。そっちこそっ。普段冷たいくせに、お前にだけ激アマな女なんかっ。お前くらいしか、相手にしないだろうっ」

 買い言葉を吐いた公爵令息が、その口から笑いを噴出した。

「何だよ、その憎まれ口はっ。もっとしゃれた言い分、思いつかないのかよっ」

「う、うるせえっ。お前だって、ふざけるなよ。こいつはな、冷たくないぞ。冷たい中に、可愛さを秘めてるんだっっ」

「ち、ちょっと? 何を……」

「? ? 喧嘩、あれ?」

 それぞれの婚約者だった、未来の夫人たちは戸惑っていたが、何のことはない、大喧嘩の原因は、同じ時期にできた婚約者の自慢が、暴発しただけだったのだ。

 各々の婚約者に怪我の手当てをしてもらいながら、二人の令息は頭を突き合わせて話し合った。

 そして、今回は、それぞれの子供たちを、幸せに導こうと決めたのだった。


 結局、侯爵家にいた子息は、何者だったのか。

 元々、前の人生でも、娘は子息の教育係を兼ねることが条件にされていた。

 だが、今回は勿論、前回も、公爵の娘は子を産まなかった。

 伝え聞く子息の容姿は、侯爵の面影が滲んでいるらしいから、彼の種ではあるだろうとは思うが、何処からやってきたのかは、不明だった。

 公爵家に嫁ぐ娘の、花嫁姿をぼんやりと見つめる伯爵は、不意に空気も読まずに尋ねた公爵に、気の抜けた声で答えた。

「ああ、あれは、今回の前妻との間にできた、らしい。つまり前回は、愛人どまりだった。お前の娘は別な縁組をしたからな。繰り上がったんだろう」

 夫人に似て、美しいなあ、と思いつつ答えた伯爵に目を細め、公爵も過去に思いをはせる。

 公爵の娘は本日より一月前に、王家に嫁いだ。

 娘の伝手と、公爵としての権力を駆使し、王室をはさんだ契約結婚にできたのは、僥倖だった。

 本当は、こんなまどろっこしいことをせず、初めから伯爵の娘と、自分の息子の婚約を結んでおけばよかったのだが、そこは伯爵のプライドを重視した。

 伯爵としては、娘が侯爵に目を付けられる前に、一旗揚げるつもりだったらしいのだが、何度か躓いてしまったため、予定より経営の機動が遅れてしまったのだ。

 この時は、息子共々伯爵を責め立てたものだ。

 だが、同時にこれは、前回の人生の復讐の機会ができたのだと思い当たり、父親二人はほくそえんでしまった。

 伯爵令嬢の侯爵家への輿入れには、護衛を兼ねた侍女数名、付き添わせた。

 白い結婚の契約を破ろうとする前に侯爵を拘束し、そのままなし崩しに罪に問うのも、辞さない構えだったのだが、予想に反して契約満了まで、何事もなく済んだ。

 息子に心酔する侍女を選んだのが、良かったのだろう。

 彼らは、正当な報酬を得た後、息子夫婦たちの元で継続して働くことになっている。

 今回も、波乱ではあったが、前回よりは随分ましだなと、父親二人は笑い合った。


「……甘いなあ」

 披露宴で、新郎に祝福を告げに来た友人は、公爵令息に笑いかけた。

 笑い返した花婿も、返す。

「甘いよなあ。過去とは言え、万事に値するよなあ?」

 二人は頷き合いながら、己の夫人たちが笑い合うさまを見やり、そっと言い合う。

「……侍女たちの報告、陛下には?」

「包み隠さず、話しておいた」

「よし。良くやった」

 父親に似た鋭い美貌が、笑みを孕んだ。

 甘いマスクの友人も、やんわりと微笑む。

 二人は前回、令嬢たちを助ける術がなかった。

 だが、今は違う。

 彼女たちを守りながら、諸悪の侯爵を地獄に貶める術を、学びつくして今回の人生に戻った。

 まさか、あんな簡単な方法で、時を遡るとは思わなかったが、二人が同時期に戻ったことを知った時、ついつい抱き合って喜んでしまった。

 当の令嬢たちには引かれてしまったが、そこまで親しくなかった公爵令息と、第三王子という肩書の同級生が、一つの目的をもって動き出した。

 婚姻の方は、父親たちが対処した。

 ならば、その後の制裁は、自分たちの出番だ。

 若い二人は張り切った。

 結果。

 侯爵家は、断絶した。

 領地も没収され、行き場がない元侯爵一家は、子息を施設に預けて行方知れずとなった、らしい。

 後に聞いた話では、幼い子息を残して、強制労働に駆り出された挙句、次々に命を落とした、らしい。

「? らしい?」

「……王太子殿下が、そう教えてくれたんだが……早くね?」

「ひと月、経ってない、よな?」

 王城の執務室で話し込んでいた若い二人は、こっそりと上司である王太子の方へと顔を向けた。

 その視線に気づいたのか、顔を上げた王太子は、意味ありげに微笑んで声を出した。

「仕事、しろ」

「は、はいっ」

 二人はいい返事をして、慌てて仕事に戻った。

 前回は、王城で働くこともしなかった二人は知らなかったが、どうやらあの侯爵、職場でも色々と面倒ごとを起こしていたらしい。

 先輩たちの説明に、二人は、? となった。

 もしや……

 困惑する若いのをしり目に、王城の働き手はしみじみ思う。

 今回のこの国は、安泰だ。

 


 


 

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