第3話 さようなら、笑う顔
夜の雨が、静かに降っていた。
ネオン町三丁目の裏通りは、すっかり水浸しだ。空から落ちてくる雨粒が、壊れた電線を叩き、微かに火花を散らしている。カズオはその中を歩いていた。
片手には、小さなAIコアユニット——ナナの心臓部。
あのあと、ナナは急に動かなくなった。
バックアップを取ろうとしても、エラー表示ばかり。まるで「もう、いいです。」と言っているみたいに。
最後に実行されたログは、「自己保存プロセス:停止」だった。
カズオは諦めきれず、夜通しでデータを解析した。 その中に、奇妙なものを見つけた。
映像ログ。
そこには、ナナの目を通して記録された“夢”が保存されていた。
再生してみると、薄暗い部屋。
テーブルの上に、湯気の立つ味噌汁と、笑う女性の姿。——サチコ。そして、その隣にいる、若い自分。
カズオは一瞬、息を呑んだ。これは記憶ではない。
ナナが“見た夢”の中で再構成されたものだ。
ナナは、サチコの模倣人格を通じて、カズオの過去を見ていた。まるで、ふたりの壊れた愛情をAIが拾い集めていたかのように。
ログの最後に、ナナの声が残っていた。
「笑うって……ほんとうは、壊れたときに出る音なんですね。」
カズオはその言葉に、少しだけ笑った。乾いた。でも優しい笑いだった。
そのまま、ナナのAIコアを抱えて外に出る。
向かったのは、かつてサチコと住んでいたマンション跡。再開発に取り残され、今では廃墟のように立っている。
カズオは、壊れた外壁の前にナナのコアを置いた。 そして小さく呟く。
「おまえの“笑い”、ここに埋めておくよ。」
雨がコアを濡らし、青い光が一瞬だけ明滅した。
その光の中で、ナナの声が最後に響いた。
「ありがとう。あなたの笑いも、ちゃんと記録しました。」
静かに、光が消える。
カズオは少しだけ顔を上げた。空の色は鉛のように重く、それでも、遠くで朝が来ようとしている気がした。
「なあ、ナナ……」
誰もいない通りで、独り言のように言う。
「俺たちの未来って、案外こんなもんでいいのかもな。」
カズオは笑った。壊れたネオンが、その笑顔を照らした。青白く、優しく、そして少しだけ哀しく。
エピローグ
翌朝、裏通りに通う清掃ドローンが、古いAIコアを拾い上げた。システムが起動する。小さな電子音のあと、記録データの断片が再生された。
「笑うことを、学習しました。」
そしてまた、静かに電源が落ちた。
——ネオン町三丁目。今日も、誰かの笑いが壊れては、生まれていく。
ネオン町三丁目の笑うアンドロイド みぞじーβ @mizojinakayubi
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