#15


 暗がりから陽の光の下に出てきたナットは、目を細めることになった。滝の裏から出ると雨はあがっていて、雲間には青い空が輝いていた。


 仲間ハリーの声を聴いた。

「おう、〝払暁の英雄ヒーロー〟の御出座おでましだ。怪我は…――」

 声の方を向いてやると、ハリーの笑顔が近寄って来て、短矢クォレルを受けた頬をわざわざ覗き込んで来る。


 傷の程度をあらためたハリーは、大きく肯いて言った。

「なんだ、じゃねーか。……お姫さんレイディが蒼い顔して素っ飛んでいったもんだから、大怪我してんじゃねぇかと、そりゃ心配したんだぜ」


 腰の酒袋の栓を抜いて後輩従騎士ナットへと手渡し、そのナットの傍らに付き添うように立つエステルを向いて片目を瞑っウィンクしてみせる。年長として二人の馴れ初めを揶揄してやったのだ。

 それが解かるエステルは、とりあえず顔を横に――…ふいっと――背けただけで応じた。


 ナットは、手渡された酒袋からワインを一くち含んで息を吐いた。それは、先ほど頬を拭った布を漬した〝北部の酒〟と比べれば、果汁を溶かし込んだ水のようだった。




 さて、そうして渓流の奥の滝の前で改めて一同は顔を合わせ、それぞれに必要な〝名乗り〟を上げることとなった。



 ナット、デリク、ハリーの三人は、河間平野のリーク家が主催した戦機武芸試合トーナメントでの顛末を説明し、リーク卿の許しを得て戦機〈ウォレ・バンティエ〉をたるサイラス・グロシンの許に送り届けるために〈グロシン砦〉を目指していた旨を説明した。


 説明はもっぱらデリクがしたのだが、その際彼は、一行の頭目をナット・ジンジャーとして語った。そのことについてハリーも異を唱えていない。


 途中、シャイトンバラの南の街道で技師メイスターバートランド・ホジキンソンを拾った顛末を語ったとき、当のバートは慇懃に一礼をして、現在の〈ウォレ・バンティエ〉の〝機付け技師〟は自分であると主張してみせたのだが、それ以上は無暗むやみに口を開くような――例えばハリーがよくするような…――ことを彼はしなかった。

 知識層に属する人間として、〝人を見て〟ものを言うことが出来る人間ということである。

 ……尤も、素っ裸で〝優歩〟なる奇行をしていたことを語りたがる人間など、そうそういないだろうが。



 さて話を聞かされたエステルの方は、自分がサイラス・グロシンの一人娘であると改めて明かし、父が四カ月ほど前に急死したことを語って聞かせた。

 そのときエステルは、父の死が〝狩場での不審な事故死〟であったことを隠さなかった。


 そうしてその上で、ここ北部に広まりつつある混乱――…北部総督への叛心を隠そうとしないアシュトン・アンヴィルと現総督アントン・ウェッバーとの対立が北部諸家の係争に飛び火して広がり、アシュトンの執拗な挑発を現総督は御せずに、いよいよ北部の全域を巻き込んでの争いに発展しつつある様子――を簡潔に説明した。


 彼女の主観によればアシュトン・アンヴィルとアントン・ウェッバーの違いは〈ノルスタリー王家〉の権威の下から脱するか留まるかの違いでしかなく、その〝王家の権威〟も、形ばかりの貢納によって得られる〝総督の地位〟に価値を見出すかどうか、くらいのことでしかないようだった。

 もともと北部は王国の中枢から遠く、現実的な支配を受けるということは考えにくいという。



 ここまでの話を聞いていて、デリクやバートは、このエステルという――まだ十代も半ばを過ぎていない年頃だろう――娘の聡明さに、内心、大いに感銘を受けている。土地の情勢に疎い外部の者よそものに、このように簡潔に状況を語って聞かせるということは容易いことではない。


 それはさておき――


 エステルは、この状況下、女子とはいえグロシン家の血を継ぐ唯一の直系の子女である。〈グロシン〉の家督と砦を相続する身なのであるが、これに異を唱える者が在るという。

 ――サイラスの (……そしてサー・ウェズリーの姉)であるアリスの子ダライアス・エイジャーで、エステルとは従兄妹同士という間柄である。アシュトン・アンヴィルの少年時代からの取り巻きの一人で、いまでは近習衆に名を連ねている。


 〈グロシン砦〉の戦略上の価値を見抜いていたアシュトン・アンヴィルは、そういうよしみを通じて父サイラスの葬儀に際して砦に手兵を入れるという暴挙の手引きをダライアスにさせ、砦を押さえてしまった。そうしてダライアスに、従兄妹であるエステルとの婚姻でグロシンの家督と砦を相続してしまえと吹き込んだのだった。


 エステルとしてはそのような不浄な婚姻を受け入れられようはずもない。さし当り北部総督に婚姻の無効を宣させる必要から、何とか隙を窺っては砦からの脱出を試みていたところ、小川に落ちて流され、ナットら一行に助けられて知己を得た、ということなのだった。(……少なくともこのときのエステルは、そういう説明をした。)



 デリクは話の背景を吟味しながら、ナットとハリーはことの横暴に口元を引き結び、あるいは眉を顰めて、少女の語る〝グロシン家を見舞う奇禍きか〟を聞いたのだった。

 バートは、なるほどそれでエイジャーの者らが〈グロシン砦〉に、と得心もいった。



 いったん話の区切りがつくと、ここで改めてエステルは傍らの老騎士を紹介した。

 サー・ケネス・エイヴォリーはグロシン家の麾下にあるただ一人の騎士で、無き父サイラスの親友であったという。


 戦場でのグロシンの兵士は、長らく彼が掌握してきたとエステルは説明したが、ナットは老騎士は機士ではないと踏んだ。もし機士であるならば、〈ウォレ・バンティエ〉を自分のようなどこの馬の骨とも知れぬ従騎士に乗せるようなことはしない。自ら搭乗して砦を取り戻すことが出来たはずだ、と。

 ……事実、サー・ケネスは戦機との交感能力に恵まれず、戦機を操ることはできないのだった。



 最後がターラの番だった。彼女は〝旅の女芸人〟で〝流れの女博徒〟と自称し、バートに意味ありげな微笑を送ってから、まあまあてらいのない言葉使いでこう言った。

「報酬が目当てでおたすけしました」

 そうして言葉を失っている面々の中からナットを正面に置き、次のように続けた。

「なんでも金貨一〇〇枚以上の財産を持っているとか。わたしは生命いのちを危険に晒してまで姫様が砦から逃げるのを手伝ったのだから、相応の報酬を頂戴する権利があるはず」 と。


「それはそうだ――」

 ナットは応じた。

 聞き終えたハリーが、わざとらしい溜め息を敢えてしてみせようと大きく息を吸い始めたときには、ナットは反応していた。

 ハリーが口を開き直すよりも早く、ナットはターラを向いて肯いた。

「貴女がいなければ、こうも容易たやすくレイディ・エステルを砦の外に連れ出せなかったと思う」

 やはり馴れない言い回しに苦労している、という感じだったが、それでも真っ直ぐにターラを向いて訊いた。「いくら欲しい?」


 少年の思いのほか真摯な眼差しを正面から受けて、ターラは目を細めた。どうやらこの赤毛の少年は、彼女を対等の人間と判じた上で、彼女の〝働き〟を正しく評価し、相応の対価を支払おうと考えているらしい。

 その顔の造形つくりの通りに律儀な子だ。

 お姫様は貴族として苦労しそうだと思ったが、この少年は苦労しそうだ……。


 ――なるほど、これはバート・ホジキンソンのような男は放っておけないわけね。


 ターラの口許には自然に笑みが浮いていた。


「……まだ清算しない。にしといてあげるわ」 ターラはナットに片眼を瞑ってみせたウィンクを寄越した

 どういうことか、と訝るような表情かおになったナットに、しれっと言う。

「あなた、使いきれないほどのお金があるようだし、それならまだまだお役に立てることがありそう…――」

 一人で勝手に肯いてみせ、それから唐突に姉のような声音になった。

「それに、男所帯にレイディ一人を置いておく訳にいかないでしょ。下々の女と違って、名家に生まれついた女には身の回りの世話をする女の手が必要なのよ」


 ターラは、今度は顔をエステルへと向けた。

 視線を向けられたエステルの方は、このめぐり合わせに「助かります」と肯いてみせた。

 それで、当面、ターラはエステルの侍女という役回りに決まったのだったが……

「あれは……?」


 次の瞬間、ターラは腰の短剣ダガーに手を掛けた。

 ターラだけではない。サー・ケネスは大剣クレイモアの束に手を遣り、デリクは細剣レイピアを、ナットは小剣を抜いていた。ハリーも腰のナイフに手を伸ばし、視線を水の流れの先へと遣っている。


 下流に向けたその視線の先に、六、七人ばかりの人影を見た。

 もう追い付かれたか?

 だが人影は敵対する様子を見せず、すぐさま声を掛けてきた。


「俺だ、じいさん」

「レオンか?」

 サー・ケネスが応じた。

「そうだ、俺だ。剣を収めてくれ」

 どうやら互いに知己らしい。


 サー・ケネスが警戒を解き大剣の束から手を離したので、ナットも小剣を鞘に戻しデリクとハリーに頷いて見せる。二人も得物を収めた。


 男達は真っ直ぐ近づいてくると、先ずサー・ケネスに一礼をした。

 ナットはその中に見覚えのある顔を認めた。――〈グロシン砦〉の本砦ダンジョンで牢番をしていた男だ。そういえば彼がサー・ケネスを呼んだのだった。

 男はナットと目が合うと、に、と目で笑って返した。

 すると、隣の男が地面に何かを放った。それは血の滴る何かで、二つあった。


大犲オオヤマイヌ……」

 犲の頭部と思しきそれらについてサー・ケネスが質した。「では〝森の者〟らが」

 先にレオンと名乗った男は頷いて応えた。

「じいさんにしては不用意だったな」

 それから血濡れた犲の頭部を目にして口元を押さえているエステルを見て訊く。「……彼女が?」


 サー・ケネスが肯いて返すと、レオンとその一党は改めてエステルの面前に歩を進めた。

 そしてエステルを向いて膝を突き、深々と一礼したのだった…――。

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騎士にして機士 サー・ナサニエルの旅の記録 もってぃ @motty088

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