#12


 バートは戦機の整備の場となっている門塔に戻ると〈ウォレ・バンティエ〉の置き位置が動かされていないことを確認した。


 今頃、サー・ケネスは本砦ダンジョンの牢獄からナットを連れ出しているだろう。

 向かいの〝東の別棟われているレイディ・エステルの許には、ターラを走らせてある。そこで皆が落ち合うことにしたのだ。

 門塔ここから〈ウォレ・バンティエ〉を持ち出しエステルの許へと運ぶのはバートの役回りである。そこまで持って行けばサー・ケネスと共に現れるナットに〈ウォレ・バンティエ〉を託し、あとは脱出行だ。


 バートは戦機と交感し〝動かす〟ことが出来る戦機技師だった。

 もちろん戦機で戦うようなことまではできない。だが〝歩かせる〟ことぐらいはできる稀有な存在だったから、この役回りを自ら買って出たのだ。



 都合の良いことに、〈ウォレ・バンティエ〉は一番手前に佇立して置かれている。整備のために組まれた足場が機体の周囲を囲っていた。〈ウォレ・バンティエ〉の機室キャブに通じる跳上げ扉ハッチは背中側にあった(北方の戦機に多く見られる艤装様式である)が、これなら直立した状態でも取り付くのは容易だ。


 バートはしばらく様子を窺って意を決すると、何食わぬ顔をして〈ウォレ・バンティエ〉へと近づいていった。


   ♠   ♡   ♦   ♧


 サー・ケネスに牢獄から連れ出されたナットは、そのまま本砦ダンジョンの地階を駆け上がり、中庭へと出た。

 夜半からかれ続けて火勢を減じた篝火かがりびが、あちらこちらで燻っていた。

 夜明けの風に東の空を見上げたとき、ぽつりと水滴が降ってきたのを頬に感じた。


「爺さん、そのお姫さんレイディの居る部屋にはどうやって?」

 ハリーがサー・ケネスに問う声が聞こえた。〝爺さんサー・ケネス〟が答える。


「――戦機でお迎えに上がる。あの者はウォレ・バンティエの機士なのだろう?」


 なるほど、〈ウォレ・バンティエ〉の全高は〝二と三分の二〟パッスス(≒4m)ほど……。いかにも戦機が腕をかかげれば建物の二階に手が届く。人間ひとり降ろすことは容易たやすかろう。


 が、それを聞く〝あの者ナット〟はといえば、心中で気怖きおじしていた。


 ――おいおい……‼

    腕の甲片レーム(装甲片)はしっかり固定されてるわけじゃないんだぞ!

    だいたい生きた人間を戦機で掴むなんてこと機士なら普通考えない


 ナットは、あの小柄な少女の痩せた身体を〈ウォレ・バンティエ〉の掌の中で圧し潰してしまったイメージに顔を顰める。


 と、そのタイミングで中庭が揺れた。


   ♠   ♡   ♦   ♧


 エステルはその振動に寝台ベッドから身を起こした。

 何か堅いものが重いものに打ち付けられたような、そんな振動だった。


 にわかに外が騒がしくなった。

 エイジャーの侍女らが、別棟に詰めている兵士に〝何事か〟を確かめているようだ。

 本来であれば、彼女ら侍女は主人あるじの身を案じなければならないはずだが、そのように動くものなどいなさそうだった。


 エステルは寝台をそっと降りて靴を履き、壁に掛けてあった真新しい丈長の上着ブリオー――少々寸法サイズが大きかった…――を羽織ると細帯を締めた。


 ……カチャリ。


 音がした。

 足音を立てぬようにして壁際に身を寄せる。

 戸口がそっと開き、何者かが入ってきた。

 息をひそめて様子を窺うエステルの前に現れたのは、やはりターラだった。



 後ろ手に扉を閉め室内を素早く見回したターラは、寝台の上にエステルが居ないのを見て取ると、すぐに扉の脇の壁の先にエステルを見つけた。

 すでに着付けを済ませていたことに驚いたターラだったが、そのターラを見たエステルの方も驚いたという表情かおをしている。


「……あなたひとりなの?」

 少し失望の色の滲む少女の声音に、ターラは先ずは頷いて返した。

「〝騎士ナイト〟は後から戦機で参上――」 時間を無駄にすることなく簡潔に答える。「私は〝お姫様〟の脱出のお手伝いに」


 言いながら室内の中ほどに置かれた少々重そうなテーブルに取り付き、それを戸口の引き扉の前へと引きっていく。途中から、エステルが横にきて手伝ってくれながら訊いてきた。

「――どこから逃げ出すのです?」

 ターラは中庭に面して開く窓へと目を遣ることで答えた。


 それでエステルは、卓で戸口を塞いで時間を稼ごうという意図も、戦機の伸ばした腕を伝って脱出しようという意図も察したようだった。……やはり頭の回転はいい。

 そんな少女は、続けざまに訊いてきた。


「何か刃物はない?」

「あるけど、どうして?」

 訊き返した傍から言われた。

「貸してちょうだい」


 少女の、出自からくる〝有無を言わせぬ〟その響きに、腰の短剣ダガー――それは女性の手には少々大きくて重いものだったのだが…――を差し出す。


 エステルは受け取ると、それで自分の丈長の上着ブリオーの膝上の辺りを切り込んで、そこからビリリと裂いていった。健康的な羚羊かもしかのような脚が露わになるのも構う様子はない。結構な音もしたのだが、それは外の騒音が掻き消してくれた。


「――動きにくいの、この上着ブリオー……」


 裂いた布を即席の紐にして袖にたすきを掛け、余った紐で灰金髪アッシュブロンドを束ねながらエステルは言って頷いた。



   ♠   ♡   ♦   ♧



 門塔の扉――それは戦機の規模サイズだ…――を内側から押し開け、〈ウォレ・バンティエ〉が中庭へと歩み出てきた。その手にはサー・ウェズリーから引き継ぎナットが愛用する大剣クレイモアが握られている。

 夜明けの前に降り始めた雨に濡れながら、〈ウォレ・バンティエ〉は覚束おぼつかぬ足取りでこちらに向かってくる。しゃらしゃらという異音を耳が拾うのは、剣身をうまく持ち上げられず、剣先が中庭の石畳を擦っているからだ。


 本砦ダンジョンと〝東の別棟〟とが向かい合う位置にまでようやく辿り着いた〈ウォレ・バンティエ〉はナットの眼前で足を止め、だいぶ危なっかしい動作うごきで片膝を折ってひざまずいた。

 背中の跳上げ扉ハッチが開いた。


「――さあ、持ってきてやったぞ」

 機室キャブから姿を現した、満面のドヤ顔をたたえた(左目の周りには〝青たん〟のある)バートが、ナット、デリク、そしてハリーを順に見て言う。すぐさまハリーが、そのバートに飛びついた。


「あーはっはっ、よくやった! 誰が何と言おうと俺だけは信じてたぜぇ、お前のことをよっ」

 破顔して身を寄せたハリーがバートの脇腹にこぶしを打ち付けているのは、彼なりの親愛の表れスキンシップなのだろうが…――バートにとってはご愁傷様、〝苦痛〟であることにかわりない。



 この頃になると流石さすがに〝エイジャーの手の者共〟にも、中庭で起こっていることの理解が及び始めていた。砦のあちこちから武装した兵が集まってきている。


「……早く戦機に」 サー・ケネスが本砦ダンジョンの側から現れた兵らを前に、大剣クレイモア――もちろん人の寸法サイズのもの――を抜き放って言った。「姫様を」


 反対側、〝東の別棟〟の方からと現れた一団は、すぐさまナットとデリクに斬りかかってきた。三人ばかりが剣を鞘走らせながら距離を詰めてきたのだったが、彼らはデリク――腹の出はじめた優しい顔の男――の細剣レイピア



 デリク・ノーマンは細剣レイピアの名手であった。

 その家伝の技は〝南部流の剣〟――それは〝北部の剣〟のような激しさはないが、優雅で流麗な動きの中から、理に適った、正確で素早い斬撃が繰り出される〝死の舞いダンス〟。

 決闘の様式スタイルで戦えばナットはおろかサー・ウェズリーでさえ勝てぬほどの使い手なのだ。



 そのデリクもまた、細剣を一振りして血糊を払うと、

「完全に囲まれる前に――」 と、そう言ってナットを送り出す。


 ナットは頷き、一度〝東の別棟〟の上階を見上げると、バートと入れ替わって〈ウォレ・バンティエ〉の機室キャブへと潜り込んだ。ナットが操れば、〈ウォレ・バンティエ〉は、滑らかに、ごく自然な動作で立ち上がる。


 別棟の奥の部屋の窓が開いたのは、〈ウォレ・バンティエ〉が建物の方に向き直ったときだった。


 東の空はもう十分に白んでいて、地上は明るくなってきている。

 内側から開いた窓からエステル・グロシンの顔を見止めたナットは、その生気に満ち満ちた顔に、彼女に対する印象を改めることとなった。


 ――俺があの水辺で助けた痩せっぽちは、本当に彼女だったか?


 水を吸って背中に張り付き〝濡れネズミ〟の印象を与えていた長い髪は、しっかりと乾くと大きく波打ってウェーブし、いまはまったく違った印象を与えている。……〝自分の運命の女主人〟と定めた少女の姿に、知らず息を呑んでいた。


 ふと微睡まどろみの中で見た彼女の顔が浮かんできて重なる。

 朝の水気を含んだ風を受ける顔。この騒ぎに怯えるふうも見せず、真っ直ぐこちらを見据えるその目は、やはり夢の中の少女のものと同じだった。


 ナットは我に返った。ぐずぐずしていられない。


 〈ウォレ・バンティエ〉に、手に持つ大剣クレイモアを中庭に突き刺ささせ、一歩を寄せて、慎重に両の腕を差し出させる。


「レイディ・エステル・グロシン」 視察孔の覆いバイザーを跳ね上げ、窓辺の少女に声を投げる。「俺はナサニエル・ジンジャー――…ウォレ・バンティエを携え、お助けにあがりました」


 視界の中で少女――エステルが頷いて返したので、ナットは〈ウォレ・バンティエ〉の掌を心持ち開かせて、さらに窓枠へと寄せさせようとする。

 繊細な動作に、戦機との交感には慎重にも慎重を期した。


 …――が……、


 少女の〝人に命じることに慣れた物言い〟でありながら〝聞く相手に不愉快とは思わせぬ声〟が、こう言ってナットと〈ウォレ・バンティエ〉の動きをとどめた。


「腕の動きを止めて。そのまま動かさないで――」 と。


 その通りに〈ウォレ・バンティエ〉が動きを止めると、エステルはその差し出された腕に飛び乗り、タン、タタン、タン、と、その上を軽やかに駆けて機室キャブの納まる胴部へと渡った。

 そうして胴から脚部を伝い、スルスルと〝リスのような〟身軽さで中庭へと降り立ってしまっていた。後に続く羽目となったターラの方が、少し腰が引けていたように見えたくらいだ。



「――ありがとう、ナット・ジンジャー」


 無事ターラが中庭に降り立ったのを確認してから、エステルは機室に納まったナットを見上げて言う。

 ナットは視察孔から彼女の姿を捉えようと〈ウォレ・バンティエ〉の向きを変えさせようとした。


 すると、

「――そこまでです、レイディ・エステル!」 金属拡声器スピーキング・トランペットを介した声が、中庭に広く響いたのだった。

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