褐色の転校生は恋心を隠せない

えどりゅう

第1章 運命の転校生

第1話 四月の予感

 目覚まし時計が鳴る三分前に、俺は目を覚ました。


 藤原翔太、十七歳。高校二年生。特に取り柄もなければ、目立った才能もない。そんな俺が理由もなく早起きするなんて、年に一度あるかないかのことだ。


 カーテンの隙間から差し込む四月の朝日が、やけに眩しい。


 なんだろう、この感覚。胸の奥がざわざわする。別に悪い予感というわけじゃない。かといって、良い予感と言い切れるほどの根拠もない。ただ——今日は何かが違う。そんな漠然とした予感だけが、胸の中で渦を巻いていた。


「……気のせいか」


 独り言を呟いて、布団から這い出る。


 窓を開けると、新緑の匂いを含んだ風が頬を撫でた。桜はもう散ってしまったけれど、代わりに若葉が陽光を受けて輝いている。いつもと同じ四月の朝。いつもと同じ景色。なのに、どうしてこんなに世界が鮮やかに見えるんだろう。


 目覚まし時計が鳴り始めた。慌ててスイッチを切る。


「翔太ー、朝ごはんできてるわよー」


 階下から母さんの声が聞こえてきた。


「今行く」


 制服に着替えながら、さっきの予感のことを考える。きっと、新学期が始まってそろそろ一週間経つから、体が慣れてきただけだ。深い意味なんてない。


 そう自分に言い聞かせて、俺は部屋を出た。


     ◇


「おはよう」


「おはよう。今日は早いわね」


 リビングに降りると、母さんがトーストを焼いていた。父さんはすでに出勤したらしく、テーブルには俺の分の朝食だけが並んでいる。


「別に。たまたま目が覚めただけ」


「へえ」


 母さんが意味ありげな視線を向けてくる。なんだよ、その目は。


「あ、そうそう。葵が週末に帰ってくるって」


「姉貴が? 珍しいな」


「なんか話したいことがあるんですって。翔太にもって言ってたわよ」


「俺に?」


 姉の葵は今年から都内の大学に通っている。一人暮らしを始めてからは、たまにLINEで連絡を取る程度だ。わざわざ帰ってくるなんて、何かあったのだろうか。


「まあ、週末になればわかるか」


 トーストを頬張りながら、時計を確認する。いつもより三十分も早い。ゆっくり食べても余裕がありそうだ。


「はい、お弁当」


「ありがと」


 母さんから弁当を受け取り、カバンに入れる。いつもと変わらない朝の風景。いつもと変わらない日常。


 なのに、胸のざわめきは消えなかった。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 玄関を出ると、朝の空気が肺を満たした。深呼吸をして、俺は通学路を歩き始める。


     ◇


「よっ、翔太!」


 いつもの交差点で、聞き慣れた声が飛んできた。


「おはよう、健介」


 田中健介。中学からの親友で、サッカー部のレギュラー。日焼けした肌と短く刈り込んだ髪が特徴的な、いかにもスポーツマンという風貌の男だ。


「今日、早くね? お前がこの時間にここにいるの珍しいぞ」


「たまたまだよ」


「ふーん」


 健介が怪訝そうな顔をする。こいつは昔から勘が鋭い。余計なことを詮索されないうちに話題を変えよう。


「朝練は?」


「今日は休み。顧問が出張だから」


「へえ」


 並んで歩き出す。新緑の並木道を抜けて、学校へと続く坂道を上る。相変わらず健介は元気がいい。朝から声が大きいのは、体育会系の性か。


「なあ、聞いたか?」


「何を」


「転校生だよ、転校生。今日来るらしいぜ」


 転校生。その言葉に、俺の心臓が小さく跳ねた。


「知らなかった」


「マジかよ。美咲が昨日、職員室で聞いたんだと」


 美咲——佐藤美咲は小学校からの幼馴染だ。情報通で、この手の噂はいつも真っ先に仕入れてくる。


「それだけじゃねえぞ」


 健介が声を潜める。いや、潜めたつもりなんだろうけど、普通に聞こえてるからな。


「外国人らしい」


「外国人?」


「しかもケニアから来るんだって」


「ケニア? アフリカの?」


「そう。すげーよな、アフリカだぜ? 俺、アフリカ人なんて見たことねえもん」


 ケニアからの転校生。確かに珍しい。この辺りは都心からも離れた住宅街で、外国人自体が少ない。ましてやアフリカからなんて、聞いたことがない。


「どんな奴なんだろうな」


「さあ。美咲も詳しくは聞けなかったみたいだし」


「ふーん」


 興味なさそうに相槌を打つ。実際、そこまで興味があるわけじゃない。転校生が来たところで、俺の日常が変わるわけでもないだろう。


 ——なのに。


 胸のざわめきが、少しだけ大きくなった気がした。


     ◇


 教室に入ると、いつもより騒がしかった。


「ねえねえ、転校生の話、もう聞いた?」


 席に着くなり、美咲が飛んできた。ショートカットの黒髪を揺らしながら、目を輝かせている。こういう時の美咲は止まらない。


「健介から聞いたよ」


「あ、もう話したの? じゃあ追加情報ね」


 美咲が声を潜める。今度は本当に小声だ。


「女の子みたいよ」


「……へえ」


「ケニアから来た女の子。どんな子かなあ」


「さあな」


 素っ気なく答えながら、自分の席に座る。窓際の後ろから二番目。隣の席は空席だ。去年、前の席の奴が転校してからずっと空いている。


「翔太、興味なさそうだね」


「別に。来てみないとわからないだろ」


「まあね。でも——」


 美咲が何か言いかけたとき、教室のドアが開いた。


「はーい、席について」


 担任の山田先生が入ってくる。四十代の男性教師で、温厚な人柄から生徒に慕われている。


 クラスメイトたちが慌てて席に着く中、山田先生が教壇に立った。


「今日は皆さんに紹介したい人がいます」


 教室がざわめく。やっぱり、転校生の話は本当だったらしい。


「ケニアから来た留学生です。しばらくこのクラスで一緒に勉強することになりました」


 俺の心臓が、なぜか速く鳴り始めた。


 理由なんてない。ただの転校生だ。今まで何人も転校生を見てきた。今回だって同じはずだ。なのに——。


 なのに、胸の奥のざわめきが、どんどん大きくなっていく。


 山田先生がドアの方を向いた。


「じゃあ、入ってきて」


 その声に、教室中の視線がドアに集中する。


 俺も、自然と顔を上げていた。


 運命の扉が、ゆっくりと開いた。

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2026年1月2日 12:00
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