第9話

「唯、おはよ」


目を覚ますと、晃哉が優しく唯の寝顔を見つめていた。


「……おはよぉ……こらぁ……見ないでよぉ」


そう言って、唯は照れたようにもう一度目を閉じる。


「はは。ほら、唯。起きて。俺、そろそろ仕事行かなきゃ」


布団から半分だけ顔を出し、唯はいたずらっぽく囁いた。


「……休んじゃえぇ、笑」


晃哉は吹き出して、唯の頭をくしゃりと撫でる。


「行きたくないけどね。俺、大人なんで」


「ちぇ~、こうちゃんのいじわる~」


しぶしぶベッドから出ようとする唯の腕を、晃哉がそっと掴んだ。


「……あと10分だけね?」


そのままベッドに引き戻される。

それだけで、唯の顔はぱっと花が咲いたみたいに明るくなった。


少しの沈黙のあと、晃哉が静かに口を開く。


「唯? 俺、今日からまたしばらく帰れないと思うんだ。帰って来れても、少し休んでまたすぐ行かなきゃない日が続くと思う。いっぱいいっぱいになって、返事とか遅れたらごめんな。ちゃんと読むし、遅くなっても必ず返すから」


「うん。大丈夫だよ。昨日、話してくれたもんね。……あ、でもメールしたいときはしてもいいかなぁ?」


ほんの少しだけ寂しさを滲ませた唯の表情を見て、晃哉は迷わず答えた。


「もちろん。唯がしたいときに、我慢しないで送って」


「こうちゃん優しいね。大好き~」


「……俺も、唯は特別だな。じゃなきゃ、わざわざこんなこと言わないよ」


いつもははぐらかすのに、その日の晃哉はなぜかまっすぐだった。


目が合う。

優しく撫でられる髪の感触に、胸の奥がじんわり熱くなる。


「……あ! こうちゃん、10分たったよ!」


照れ隠しのように勢いよく起き上がる唯。

二人は並んで身支度をしながら、何気ない言葉を交わした。


「行ってくるね。気をつけて帰るんだよ?」


晃哉は手を振り、仕事へ向かう。


その背中が見えなくなるまで、唯はずっと見つめていた。



ねぇ、こうちゃん。


あなたはいつだって、私といるときは大人だったね。


あなたに出会って初めて、

誰かを本気で好きになるって、こういうことなんだって知ったんだよ。


わがままだった私が、

自分よりも大切に思える人ができた。


あなたの「特別」という言葉が、

あの頃の私には世界のすべてみたいに嬉しかった。


無邪気だ、素直だって言ってくれたけど——

きっと私は、疑うという感情をまだ知らなかっただけなんだと思う。


あなたと経験することすべてが初めてで、

ただ、あなたの言葉も行動も、まっすぐに信じていた。


あのとき、私の世界はあなたでできていた。


だからね。


あなたの嘘は、

子どもだった私の心を壊すには、十分すぎるほどだった。


でも今は思う。


嘘をつかなきゃいけないほど、

あなたも苦しかったのかなって。


それを人は“ずるい”と言うのかもしれない。

それでも——


あなたと過ごした日々まで、嘘だったとは思えない。


ねぇ、こうちゃん。


もう少しだけ。

ほんの少しだけでいいから。


せめて、あなたの転勤が終わるまで——


この気持ちを、抱えさせて。

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Say That You Love Me いろは @pappi5021

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