第23話

「唯って、こうだったっけ……?」


晃哉が、隣にいる唯を見ながら、ぽつりと呟いた。


少しだけ間を置いて、


「……でも、そうしてしまったのは俺だよね」


唯は何も言わなかった。


ただ、晃哉の横顔をじっと見つめていた。


大人になった私たちは、何度目なんだろう。


こうして同じ部屋にいて、隣にいる。


離れて、また会って。


それでも、まだ一緒にいる。


もう何度繰り返したのか、二人にもわからなくなっていた。


※


抱き合っているとき、唯は一度だけ、晃哉の耳元で囁いた。


「好き。こうちゃん、大好き」


その声は、いつもの唯より少しだけ小さかった。


晃哉は一瞬だけ目を閉じて、


「俺も好き」


そう返した。


唯は顔を上げた。


晃哉の目を見つめながら、そっと頬に手を添える。


その手は、少し震えていた。


それでも、唯は笑った。


「……うそつき」


責めるような言葉なのに、その表情は優しかった。


晃哉は何も言わない。


唯はそんな晃哉を見つめたまま、微笑んだ。


「それでもいいよ。私が大好きだから」


唯にとっては、それでよかった。


曖昧な関係でも、自分が好きなら、それでいい。


会いたいものは会いたい。


好きなものは好き。


「私、自分勝手だから」


そう言って、いつも明るく笑っていた。


けれど、本当は自分勝手なんかじゃない。


自分の気持ちを、誤魔化さないだけだった。


好きなら好き。


会いたいなら会いたい。


嬉しいなら嬉しい。


寂しいなら寂しい。


そんなふうに、真っ直ぐだった。


優しくて。


素直で。


そして、相手のことを思える子だった。


夜勤に向かう前。


晃哉は部屋の隅に置いてあった布団を敷いた。


仕事に行くまで、まだ少し時間がある。


唯も隣で手伝い、布団を広げて、枕を置いた。


それが終わると、二人並んで横になった。


部屋の明かりを消す。


真っ暗になると、テレビの明かりだけがぼんやりと二人の顔を照らした。


何か特別なことをするわけじゃない。


テレビを見ながら、くだらないことで笑ったり。


番組の内容について、ぽつぽつ話したり。


途中で会話がなくなっても、気まずくならない。


ただ、隣にいる。


それだけだった。


唯は晃哉の肩に少しだけ身体を寄せた。


晃哉も何も言わず、そのまま受け止める。


テレビから流れる音。


時々、二人の笑い声。


時計の針が進む音。


そんなものが、静かな部屋の中に混ざっていた。


テレビの横には、以前から変わらず観葉植物が置かれている。


時間が経っても、そこにある。


唯が、ふと時計を見る。


「こうちゃん、今日夜勤?」


「うん、夜勤」


「何時から?」


「もうちょっとしたら」


そう答えてから、晃哉は小さく息を吐いた。


「行きたくねーなぁ……」


その声に、唯が笑う。


「また言ってる(笑)」


「だって行きたくないもん」


「ちゃんと行ってください(笑)」


「わかってるよ」


そう言いながら、晃哉は唯の身体をそっと引き寄せた。


唯の頭が、晃哉の胸元に収まる。


腕の中にすっぽり入った唯の体温が心地よかった。


「このまま寝ちゃいそう」


唯が目を閉じる。


「寝たら起こすよ」


「起きれるかなぁ……」


「起きろって(笑)」


そう言いながら、晃哉は唯の額にそっとキスをした。


「寝ちゃダメ」


唯が少し笑う。


「こうちゃんも眠そうじゃん」


「俺も寝そう(笑)」


「じゃあ一緒に寝ちゃう?」


「ダメだろ(笑)」


二人で小さく笑った。


それでも、どちらもすぐには離れなかった。


晃哉は目を閉じたまま、唯を抱きしめている。


すると唯が、寝たふりをしながら、ほんの少しだけ顔を上げた。


ちらっと晃哉を見る。


その目が、いたずらっぽく笑っていた。


晃哉はすぐに気づいた。


「……ちゅーしてほしいってこと?(笑)」


唯が吹き出す。


「バレた?」


「バレるだろ(笑)」


「えへへ」


唯が笑いながら、晃哉にそっと顔を近づける。


そして、唇を重ねた。


ほんの一瞬のキス。


離れたあと、二人で顔を見合わせて笑う。


「何それ(笑)」


「何が?」


「いや、なんでもない(笑)」


またテレビを見る。


けれど、さっきより少しだけ距離が近くなっていた。


唯の手が、布団の上で晃哉の手に触れる。


晃哉も、その手をそのまま握った。


時計を見る。


そろそろ、本当に行かなければならない。


わかっている。


わかっているのに、身体を起こす気になれない。


「……行きたくないな」


晃哉が、もう一度呟いた。


唯は何も言わなかった。


ただ、晃哉の胸元に頬を寄せたまま、小さく笑っていた。


テレビの音が、静かに流れている。


部屋の明かりは消えたまま。


テレビの横には、あの観葉植物。


隣には、晃哉。


ただ、それだけ。


何でもない夜。


何でもない時間。


でも、二人にとっては、それが幸せだった。


こうして一緒に横になって。


くだらない話をして。


笑って。


眠くなって。


それでも離れたくなくて。


夜勤の時間が迫っていることさえ、少しだけ忘れてしまう。


そんな時間が、二人にはあった。


そして唯は、まだ知らなかった。


この何でもない時間を、いつか何度も思い出すことになるなんて。


この部屋の明かり。


テレビの音。


隣にいる晃哉の体温。


テレビの横に置かれた観葉植物。


その全部が、いつか遠い記憶になってしまうなんて。


あの頃の二人は、まだ知らなかった。


ねぇ、こうちゃん。


あなたは、あの時、自分のことを責めてたよね。


「そうしてしまったのは俺だよね…」


最後に会った日、そう言ったあなたの言葉を、私は今でも覚えている。


私は、自分が傷つくのが、もう嫌だった。


こうちゃんを困らせるのも嫌だった。


だから、少しずつ変わっていった。


それを、人は「大人になった」と言うのかもしれないね。


昔の私は、もっと真っ直ぐだった。


好きなら好き。


会いたいなら会いたい。


それだけでよかった。


でも、私にもいろんな経験があった。


嬉しいことも。


悲しいことも。


傷ついたことも。


その全部を重ねていく中で、私は少しずつ変わっていった。


本当は、変わりたかったわけじゃない。


嫌でも、大人にならざるを得なかったのかもしれない。


だから、こうちゃん。


あの時、私を見て、


「唯って、こうだったっけ?」


って思ったのなら。


それは、こうちゃんだけのせいじゃないよ。


ねぇ、こうちゃん。


どんな関係でも、私はこうちゃんを失いたくなかったんだ。


恋人じゃなくても。


ちゃんとした名前のついた関係じゃなくても。


ただ、こうちゃんが私の人生からいなくなることだけは、嫌だった。


大親友。


昔、こうちゃんは言ってたよね。


「恋人より切れない縁だな」


その言葉を、私はずっと覚えている。


好きとか、嫌いとか。


もう、そんな言葉だけでは説明できない。


私たちは、どうしてこんなにもお互いを求めてしまうんだろう。


離れても。


時間が経っても。


それぞれの人生を生きていても。


こうして会えば、また隣にいる。


まるで、離れていた時間なんてなかったみたいに。


私はずっと、不思議だった。


どうしてなんだろう。


どうして、こんなにも忘れられないんだろう。


どうして、こんなにも離れているのに。


また会いたいと思ってしまうんだろう。


きっと、好きだから――だけじゃない。


嫌いになれないから――だけでもない。


何度も離れて。


何度もまた出会って。


そのたびに、またお互いを見つけてしまったから。


だから私は、今でも思う。


こうちゃん。


私たちは、どうしてこんなにも――


お互いを求めてしまったんだろう…

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