揺らぐ糸は静かに語る
@study-v
1-1 『朝の匂いを吸い込んで』
朝の光が、村の屋根をなぞっていた。山と森に抱かれた小さな村は、まだ眠りの残り香を漂わせている。石垣の隙間を抜ける風は柔らかく、それでも季節が少し変わったことを告げるように頬を撫でた。鶏の声、牛の鼻息、井戸の滑車が擦れる音──ばらばらだった音が、やがて一日の始まりを形づくっていく。
村の中央近く、小さな家が一軒。屋根は少し傾き苔がむしているが、窓枠は磨かれ、戸口には野の花が挿されている。そこがアレクの家だ。
窓辺で、アレクは靴紐と格闘していた。昨日慌てて結び直したまま固くなり、何度引いても緩まず指が赤くなる。
「……なんで、こうなるんだよ。」
背後から柔らかな声が落ちる。
「力を入れすぎ。ほどく時は先に隙間を探すのよ。」
振り返れば粉の跡をつけた母がしゃがみ、結び目をつまむ。撫でるように指を動かすと、固かった結び目が嘘のように緩む。
「ほら。」
「どうして母さんがやると……」
「何度もやってきたからね。アレクも深呼吸しながらやってごらん。」
言われるまま吸って吐き、指先の力を少し抜いて引くと、結び目は素直にほどけた。
「……できた。」
「できた時は、自分で褒めるのよ。」
「母さんが褒めてくれるからいい。」
「それでもね。」
母は笑みを残して台所に戻る。
アレクが再び紐を結んだところで影が一つ、道の向こうから近づいてきた。村長の次男、レオンだ。
「遅いぞ、アレク! 競技会の練習するんだろ!」
「靴紐が……」
「またかよ。」
呆れた声で笑い、アレクの腕を引き走り出す。
朝の光の中、並んだふたつの影は土の道を伸びていった。完璧に重なるわけじゃない。けれど確かに寄り添うように──。
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