第2話


 あれらの正体はよく知らない。

 

 妖怪かもしれないし、宇宙人かもしれないし、はたまた異次元からやってきた未知の生命体なのかもしれない。いずれにせよ大差のないことだ。

 

 ただ奴らの目的だけはわかっている。世界侵略だ。その目標は、大方おおかた達成されたのだろう。

 

 何年か前、米国の大統領の就任式をテレビで見た。聖書に手を置いて宣誓する彼の顔には風穴が空いており、丸い穴の奥から合衆国議事堂が垣間見えた。顔面の内側を絶えず蠕動ぜんどうさせて、高らかに就任演説を行なっていた。

 英語の発音とはかけ離れた未知の言語で繰り出される演説を、頭や手足の数がおかしい三十万人の聴衆が聞き入っており、肉塊としか形容できない存在も多数見受けられた。まともな人間は一人としておらず、まさしく魑魅ちみ魍魎もうりょうだった。

 

 人類はもうだめだ。そう確信した日である。

 

 無論、最初は自分の頭を疑った。物心がつく前から他人が気づかない化け物の姿が見えて、両親を無暗むやみに気味悪がらせた。周囲の反応から自分の方が異常なのだと信じていた。その誤りが、残酷な形で突きつけられた。

 

 広がる空が暮れなずみ、一番星が輝いていた。影絵にも似た山々が点在する田圃たんぼを見下ろし、蟇蛙ひきがえるの野太い鳴き声がしている。竹藪たけやぶとガードレールで仕切られた二車線の道路を窮屈きゅうくつそうに車が通り抜け、寿命が切れかかった電灯の電球が不規則に明滅している。

 

 私の家は道路に面していた。何の変哲もない二階建ての一軒家で、猫の額ほどの庭と自家用車を駐車する場所が詰めこまれている。門扉もんぴを開け、玄関までの短いポーチを歩く。夜にも関わらず、自宅の窓には一切の明かりが漏れていなかった。

 

 鍵も閉まっていない玄関の扉を開ける。出迎えたのは廊下を覆う暗闇だった。小さく呟く。


「ただいま」

 

 その一言は静寂に呑まれた。わかり切っていたことなので、私は玄関の三和土たたきに靴を脱ぎ捨てた。今さら行儀ぎょうぎの悪さをとがめる者はいない。廊下の脇に階段が伸びており、二階の部屋が自室である。そのまま直行しようとして、暗がりの奥に明滅する光がこぼれ落ちるのを目に留めた。

 最初の段差にかけた片足を下ろし、逡巡しゅんじゅんする。やがて素足のまま、誘蛾灯ゆうがとうにも似た明かりへと吸い寄せられた。

 

 廊下の冷たい感触を足の裏に感じながら、息を詰める。色の強弱が変わる光が近づくにつれて、雑音が入り混じった笑い声が聞こえてくる。わずかに開いたふすまの向こうから、あの匂いがした。花が腐り落ちる寸前の、濃厚で甘ったるい。

 

 襖の隙間から顔を出して、中を覗く。明かりが消えた居間で、ブラウン管のテレビだけが光彩を放っていた。漫才番組のつもりだろうか。演壇の上で下半身が結合した異形の漫才師が、二つに裂かれた上半身同士で掛け合いをしている。観客席を押し潰す腸に似た巨大な芋虫が映し出され、ふしがわかれた胴体に開いた無数の口が笑い声を上げていた。

 

 その前に両親は座っていた。かつて日々の出来事を語り合った丸い卓袱台ちゃぶだいを囲み、テレビ画面を眺めている。いや、正確にはどこを向いているのかわからない。ネクタイにシャツという仕事帰りの格好をした父には頭部が欠けていた。弾けた果実にも似て、眼球と脳みその破片を飛び散らしたまま、空中で静止している。

 

 母親は植物人間という例えが正しいのか。ブラウスとスカートから覗いた手足は植物の根に置き換わり、畳の上に垂れている。頭部には口唇の形をした花弁が複数生えて、中心にはサッカーボールほどの眼球が天井を仰いでいた。甘い匂いの源は母だ。

 

 テレビの中の風変りな漫才が面白いのか、頭のない父が肩を揺らし、母は唇の花弁でおぞましい笑い声を立てた。悪夢と呼ぶのに相応しい光景に、私は立ち尽くした。踵を返し、暗い廊下を走って階段を駆け上がる。

 自室へと逃げこみ、乱暴にドアを閉めた。動悸が治まらない。カーテンの向こうから電灯の明かり仄かに透けて、暗がりから見慣れた部屋の光景を浮かび上がらせる。もう座ることのなくなった勉強机、マックのパソコン、壁にかけられた中学時代の制服。

 

 着替えることもなく、ベッドに体重を預けた。スプリングが軋む。枕に顔を埋め、嗚咽おえつを押し殺した。私は馬鹿だ。何度確かめても、現実は変わらないのに。

 

 かすかに階下から響いてくる笑い声に耳を塞ぐ。まだ鼻腔びこうには甘ったるい匂いが絡みついている。固くまぶたを瞑り、早くこの悪夢から目を覚ますことを願った。

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