初稿

春光 皓

初稿

 値段の高いやつから適当に盗った。別に欲しかったわけじゃない。


 初めてやったのは俺が十六、高校一年のときだ。あの日は生活指導の先生に呼び出されて、髪の長さとか、ピアスとか、制服の乱れとか、とにかくここぞとばかりに一気に注意された。


 注意というか、説教だな。


 むしゃくしゃしたから学校を抜けて、近くのコンビニに入った。酒でも買おうと思って。


 そんで聞かれた。



「年齢の確認できるものはありますか?」



 レジの画面にも同じような文言が表示されてて、そこでようやく、制服を着たままだったことに気がついた。普段からよく行くコンビニだったし、私服のときは特に聞かれなかったから油断してたのかもな。いつもは嘘ついてる自覚すらなく速攻でタッチしてた画面に、ちょっと躊躇した。


 ん? 自覚ない嘘は嘘じゃねぇのか?


 とりあえず、あー、とか言いながらすっとぼけようとしたけど、「学生さん、ですよね?」って中年オヤジが眉根を寄せて聞いてきた。つか、あの顔は内心笑ってた。なにバカなことしてんだって顔だった。


 ただでさえムカついてたのに、そんな顔されたらさ。もうめんどくせぇって。いや、それすら通り越してなんかつまんねぇ人生だなって、そのまま酒持って逃げた。「待て、こら」って叫んでたけど、おっさんと現役高校生だったら体力的に軽く逃げ切れた。


 んで、走りながら思った。


 俺、もともと財布に金入ってなかったわって。つーことは年確されようがされまいが、必然的にそうしてたのかもしんねぇな。


 そう思ったらめちゃくちゃ笑えた。何してんだ俺、って呆れたんじゃなくて、なんで律儀にレジまで行ったんだよって。笑えるだろ? 金ねぇのにレジ並ぶって。あほかよ。


 走ってるときはくっそ気持ちかったわ。開放感っての? 生きてるって感覚に震えたし、この快感を得るためなら俺生きていくわって思った。コンビニのおっさん、ブサイクなツラでどこまで追っかけて来たのかな、とか考えてたらまた笑えてきて、横っ腹が痛かったけど。


 で、決めた。今度からムカつくことがあったらパクって逃げよ。そしたらスッキリするわって。


 次からは補導されるまで近くのスーパーで盗ってた。正直、盗るものなんてなんでも良かった。


 陳列されてるものには全部、値札が付いてるだろ? デジタルのやつとか、くそみてぇに小さいシールとかに。周りの奴らは商品を手にとっては、その値段とにらめっこしてた。そこに書かれた数字がその商品の価値を表してて、その値段を払って買う価値があるかどうか考えてた。選ばれた商品はカゴの中に集められて、バラバラな価値が一つの価値にまとまって、最後はレジで対等な価値とされる手持ちの手札と物々交換。


 なんでだろうな。それが急にバカらしく思えたわけ。需要とか相場とか、そんなことは知らねぇけど、顔も名前も知らない誰かが決めた価値を疑問も持たずに受け入れてる感じっつーかさ。だいたい「まぁこれくらいはするもんね」みたいな感覚になってるだろ? なんとなくの感覚を正解みたいに扱うだろ?


 スーパーはまだあれだけど、家電量販店とか、それこそジュエリーとかさ。



 0がたくさん付いてりゃそのぶん高いってなんなん?

 しかもそれが多く付いてるものを買える奴はどこか偉い雰囲気ってなんなん?



 俺からすれば「は?」って感じなわけ。0ってそんなに偉かったかって。少なくとも、俺が高校で受け取った0の並んだ答案用紙にはなんの価値もなかったぞ。出来が悪いって言われたかと思えば、問題児、不良、害虫と好き放題呼ぶようになったぞ。勉強ができないと、やれ大学に行けないだの、やれ就職できないだの、ガチャガチャ抜かして説教まがいなことしてきたぞ。


 揃いも揃って良い大学に行って、良い会社に就職できれば正解みたいな言い方。


 そもそも「良い」なんて言葉、扱いが曖昧すぎんだろ。大学では成績が良ければ「良い」だろうし、会社は規模がデカいとか、基盤が安定してるとか、そんなんが「良い」って定義されてる。素行不良がなければ尚良しってか?



 それ、誰が決めた価値だよ。



 で。そんな俗に言う「真っ当に生きてる奴」に限って、早々に自殺したりすんだよな。まぁそこに行き着くまで努力はしたんだろうから、そこまで否定はしねぇけど、結局はそれが自分の寿命を縮めてる。


 そりゃ「良い」わ。自分の人生に見切りを付けて走ったみてぇで。


 まじで、ご愁傷さまだわ。


 今思ったけどさ、「辛いことがあってもとりあえず生きよう」「生きてるだけで偉いんだから」みたいな無責任な世の中じゃん。その中で俺、自分の人生にまだ見切りを付けてないわけじゃん。


 なら世間の望み通りなんじゃねぇの? 真っ当の部類に入るんじゃねぇの? ゴミみたいな扱いされるのっておかしくね?


 人としてとか、社会的にとかって、いきなりそんな大枠で考えんのはもう止めろよ。これまで散々俺個人を非難してたくせに、おかしくね?


 俺にとって生きるために必要な快楽が、商品パクって逃げるスリルってだけじゃん。


 話が逸れたけど、そう考えるようになってから人が付けた価値にムカつくようになって、「誰かに高い価値を付けられた物」を盗るようになったわけ。初めて補導されたのはかなりまとめてパクったときだったから、なん万って単位だった気がする。覚えてないけど。


 たしか「万引きGメン」とかいうオバさんに捕まったんだよな。ずっと張られてたのか、5人くらいで同時に来やがった。


 オバさんに捕まるってのが俺の中ではさらにムカつくポイントで、またやろうって思った。


 それまでこの店では結構な数をパクってきたからか、連れて行かれた事務所の中では悠長な話し合いみたいなのは一切なくて、速攻で警察と学校と親に連絡された。あ、つーことは店側も把握してたってことだから、やっぱり張られていたんだな。


 最初に飛んできたのは母親で、部屋に入ってくるなり頭下げてた。俺に近づいて俺の頭も下げようと手で押さえつけてきたけど、俺はそれを払いのけた。俺の頭を下げられないと悟ったのか、俺の分まで謝ろうとしたのかは知らないけど、母親は泣いてたな。


 親父と離婚するってときは泣かなかったくせに、こんなことくらいで泣くんだって思った。


 泣いても何ひとつ状況は変わらないのにな。


 俺が盗みを働いたのも、反省してないのも、ぜんぶ事実だし消えない。てか、またやるって決めたばっかりだったし。


 じゃなきゃ今のところ俺、生きてる意味みたいなの見出だせないもん。


 そうそう。昔、親父が「子どもは親の背中を見て育つ」って言ってのをふと思い出したからさ、俺、頭下げてる母親のことは視界にも入れなかった。ガキの頃「男の子なら泣くな」って連呼してたの、実際目の前にいるこいつなわけでもあって。


 泣く子に育っちゃったら大変だろ?


 で、次に来たのが担任と学年主任と生徒指導の三人。こいつらも「申し訳ございませんでした」って叫ぶ勢いで、それはそれは深く頭下げてた。綺麗なお辞儀を学んだね。でもさ、こいつらも思ったと思うよ。「なんでこいつのためにここまで」って。


 そりゃそうだ。叱られることはあっても、褒められることなんてしたことないからな。特に生徒指導の先生には。


 逆に言えばさ、俺からしても「なんでこいつらが頭下げてんの」って感じなわけ。まぁ、これまた世間的に言えば俺が未成年って枠組みにはまってるからなんだよな。人とか社会とか未成年とか、俺を何個の枠にはめてんだよ。型はめ遊びかよ。一歳児かよ。息苦しいわ。


 ついでに言えば、素行不良って枠にもはまってんだろうな。


 もうさ、そういうの止めね? 責任とか、義務とか、そういうの全部さ。俺がやりたくてやってることで代わりの誰かがこんなことしてるの、被害者ヅラされるの、ぜんぜん面白くない。誰のためにもなってないから。自分がそうしないといけない「立場」っていう枠にはめられてることに気づけよ。こいつらの時間を俺が奪ったみたいなさ、変な罪まで着させようとしてんの? 頼んでないから。それは押し付けだから。店の奴だって別に謝って欲しいわけじゃないの、わかってるくせにさ。


「もうこういうことはしないでね」「犯罪行為ってことをちゃんと理解してね」「代わりに謝るから正しい道に戻ってね」ってことなんでしょ? つまりは「更生してね」ってことなんでしょ?


 だからその「更生」って言うのもさ、さっきの「良い」の話じゃないけど、扱いが曖昧なんだって。


 結局他人がわかるのなんて、表面上の話なわけで。


 仮に俺が犯罪行為を止めたとする。そうすれば周りは更生したって思う。でもさ、心の内では「次いつやるか考えてるだけ」かもしれないじゃん。それでも更生って呼んじゃうってことでしょ? 更生させた実績が、お前たちの価値を上げるもんな。値札に書かれた値段と一緒でさ、他人に価値を決められるってどうなん? あほくさ。


 自分が頭を下げてるとき、俺が「冬服だと商品を服の内側に隠しやすいから良いな」って考えてたこと、まさか思いもしなかったわけでしょ。願ってたのは「まともになってくれ」ってことでしょ。そうなると信じたかったんでしょ。その時点でズレてんのよ。


 そのあとすぐに警察の兄ちゃんがふたり来て、事の経緯を店の奴が話して。あ、そう。このとき実は店の奴と一瞬心が繋がったのよ。そいつさ、「本人に反省する気持ちが見られないから」って言ったの。やるじゃん、って思ったね。


 でも俺はこのとき、厳重注意っていう処分にしかならなかった。帰り際、教師枠の三人は警察と店の人に、母親枠はその場にいる全員に、それぞれまた頭を下げてた。だから一瞬、迷惑そうな表情を浮かべた警察と店の奴の顔を見たのは俺だけ。そいつらが顔を上げるときにはもとの大人枠に収まった顔に戻ってた。



 これが人の本性だろ?



 本性なんて普段は隠してて見えないからさ、ほんと、勿体ないものを見逃したよな。


 そのあとも俺はスリルを求めて行くわけだけど、近所付き合いなのかなんなのか、家の近くの店はどこもかしこも俺を警戒するようになった。さすがに顔写真をばら撒かれたわけじゃないだろうから、「俺を」っていうより「学生を」なのかもしれないけど。うまいこと買い物客に紛れた一般人モドキが徘徊し始めた。お陰で俺の目も肥えたんだけどな。


 もう一回捕まったら逮捕されるのかな。さらに繰り返したら少年院とかも行くのかな。そんなことも考えたことあるけど、同時に思ったこともある。


 家電とかゲーム機とか、まぁ物はなんでも良いんだけど、不良品があったら回収すれば終わるだろ? リコール? とかってさ。それで綺麗さっぱりリセットされんじゃん。なら人間も刑務所に「回収」されたらリセットされんじゃねぇの?


 けどまぁ、問題は時間だな。せっかくスリルを味わえる場所と時間と命があるのに、それを何ヶ月も奪われるのはゴメンだし。


 ちょっと調べてみたけど少年院って「罰する」っていうより、「非行から脱却して社会生活に適応できるように教育する場所」なんだろ? 回りくどい言い方してるけど、これまた更生ってやつだ。少年枠に与えられた特別措置みたいな。それってさ、若いから精神が未熟とか、先の人生も長いからとか、社会的に見てそうした方が良いって判断だよな。



 言い方変えればこれも、「社会が与えた人の価値」なんじゃないの?



 先が長いから人生の重みがあるとか、終わりが近いから更生できないとか、そんなことで決められたさ。もう枠にはめられるのも、価値を決められるのもうんざりだって。


 そんなことをされるために、俺は絶対捕まりたくないね。


 と思いながらも、そのあと別件ですぐに執行猶予判決を受けるわけなんだけど。


 また俺の代わりに大人枠が頑張ったのか、みたいなことを考えてるうちにさ、俺の中に変化が表れた。


 今まではとりあえず高いと価値付けされたものを狙っていたけど、もう値札の付いた商品の価値はどうでも良いやってなって。結局のところ偉そうに考えてた俺も、どこぞの輩が決めた価値に踊らされてるんじゃね? って気が付いて。だから価値を付けられたものに価値はないよなと思うようになった。


 ここから先はお前も知ってる話。もう店から盗むのは止めて、人の家から盗むようにした。値札もなにもないからさ、価値があるかどうかは俺が決めればいいだろ? 勉強とかスポーツとか、そういうもので人に価値という優劣を付けるよりよっぽどマシだし、スリルも店からの盗みより遥かに、何杯も高かった。脳みそを痺れさせて、俺を満足させてくれた。


 そんな新しい快楽に呑まれ始めていたときだな。お前と鉢合わせたのは。



 ――通報してほしい?



 だっけ? ばか面白ぇこと言うなって思ったわ。大概の奴は聞かずにするだろ。けどそのおかげで俺も少年院って言葉が頭にチラついたわけで、「少年院に行ったっていい」みたいな返しをした。そしたらお前は食い気味に言ったよな。



 ――あんなとこ行ったって時間の無駄。あそこは更生させる場所で、あんたはしないでしょ。



 えらくはっきりと言い切った。いや、マジで面白ぇよ。だからこのわけのわからねぇ取引にも応じることにした。お前が通報しない代わりに、俺はこうして書いてるわけだ。


 なんかの編集者だって言ってたよな? 編集者って、お前みたいな変態・変人ばっかりなの?


 というわけで、これがお前に頼まれた、俺の人生の一部の全部の話ね。


 これってエッセイみたいな感じになんの? お前は「型破りなものを集めてる」とか言ってたけどさ、そもそもまともなものが集まると本気で思ってる?


「異端児」がテーマなんだろ? そのテーマで「同じ文章、同じ世界観ばっかりでつまらない」って考えてるやつの方がよっぽど異端児なんじゃねぇの? それ以前に、誰がこんな記事見んだよ。ターゲット層はどこで、なにに刺さんだよ。


 ま、俺の知ったこっちゃないか。とにかく俺はお前らの言う「型」が嫌いなわけだから、これが型破りなのかすら知りたくねぇ。つかパクリ商品だの、ぶっ飛んだ設定の物語だのに満ち溢れた世界でも「型」ってのは存在するんだな。ウケる。もうそれもひとつの「型」だろ。


 いや、疲れたわ。俺、人生で初めてこんなに長く文字を書いたかも。お前らの業界ではこれを「初稿」って呼んで、これからさらに手直しを加えていくんだよな? いやいや、さすがに直す気にはなれないわ。倒れるって。書くとは言ったけど、直すとは言ってないし勘弁してくれ。「最後の初稿」な。これをお前の家のポストに入れるまでが、俺とお前の取引ってことで。




 ――さてと。茶番はこれで終いな。



 お前、俺に殺されると思ったろ?



 そりゃ突然自宅に侵入されたら、そう考えてもおかしくないわな。凶器を持ってるかもしれないし、なにより俺の顔を見たら逆恨みかって思うわな。


 お前、あのときの万引きGメンのおばさんだろ?


 あのときはお前以外にも人がいたし、俺がお前の顔を覚えてないと踏んだか?


 まぁ編集者になりきるとか、咄嗟の嘘にしちゃあ思い切った嘘と発想だ。それも含めて面白かった。お前の前にはもう現れねぇよ。



 じゃあな、くそ女。

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