7話
二学期のはじめ、校内は文化祭準備で慌ただしくなっていた。
毎日のようにダンス練習が行われ、教室には照明器具や段ボールで作られた装飾が散らかっている。
そんな喧騒の中、史帆はふと気づく。
(最近……橘くんのことばっか考えてるなぁ)
教室での何気ない笑顔。
授業中に分からないところを教えてくれたときの優しさ。
帰り道に一緒になったときの自然な会話。
ひとつひとつが胸の中に積み重なり、暖かい感情を作っていく。
(これ……やっぱり、好きってこと……なんだよね)
誰かの顔を思い浮かべて心臓が跳ねる。
その感覚を史帆は人生で初めて味わっていた。
「……好き、か」
自分の口から言葉にした瞬間、顔が少し熱くなる。
(よし……ちゃんと伝えよう)
文化祭の噂──
「一緒に踊ったカップルは、一生添い遂げられる」
その言葉が背中を押した。
(どうせなら……文化祭の前日がいいかな)
(準備が終わったら、橘くんを呼び出して──)
史帆は勇気を胸に、少しだけ未来を思い描く。
一方、雅は文化祭の準備に参加しているクラスメイトたちを眺めながら、胸にざわざわしたものを抱えていた。
装飾に絡まった紐をほどきながら、雅は自分の心が落ち着かないことに気づく。
(最近……橘くんと史帆ちゃん……話すこと増えたよね)
(別に……いいんだけど……)
そう自分に言い聞かせる。
雅にとって、感情とは“表に出してはいけないもの”だ。
家では怒りも喜びも恐怖も、出した瞬間に踏みにじられた。
だから雅は
「自分の気持ちに気づかないフリをする」
という処世術を身につけていた。
けれど最近、胸の奥が重く感じる。
(なんでだろう……)
(なんで、史帆ちゃんが橘くんと話してると……苦しいの……?)
その問いに答えを出せず、雅は糸を結ぶ手を止めた。
(嫌なことが……起きませんように)
祈りにも似た感情に包まれながら、雅は小さく息を吐いた。
文化祭前日。
校内は慌ただしさに満ちていた。
ダンスの最終確認、ステージの設置、配布物の準備。
クラス全体が活気にあふれている。
放課後、史帆は鏡の前で自分の髪を整えていた。
(緊張してきた……)
呼吸を整え、胸に手を当てる。
(でも、今日言わなきゃ。
言わないまま終わったら、絶対後悔する)
スマホを握り、メッセージ画面を開く。
『橘くん、ちょっと話したいことあるんだけど……
放課後、屋上来れる?』
送信ボタンを押した指が震えた。
(はぁ……どうしよう……ドキドキする……)
返事が来る前に心臓が破裂しそうだった。
数分後、震えるスマホ。
『いいよ。準備終わったら行く』
たったそれだけの言葉なのに、史帆の胸は熱くなる。
(来てくれる……)
(じゃあ……今日、伝えるんだ)
文化祭準備が終わる頃、雅は偶然、史帆のスマホ画面が目に入った。
見てはいけない。
でも、目が離せなかった。
『ありがと! 屋上で待ってるね』
その文章を読んだ瞬間、雅の心臓が強く締めつけられた。
(……屋上?)
(橘くんと……二人で?)
胸が痛い。
理由が分からない痛み。
(なんでそんな……二人きりで……)
気づけば、手が震えていた。
史帆はスマホを閉じ、明るい声で言う。
「雅ちゃん、先に帰ってていいよ!
私、ちょっと……大事な話があって!」
(大事な話?
誰に?
橘くんに……?)
雅は笑顔を作る。
「うん……がんばってね、史帆ちゃん」
その声は優しかった。
優しすぎるほどに。
しかし心の奥では──
激しいざわつきが形になり始めていた。
(行かないで。
橘くんと二人で話さないで)
(お願いだから)
(だって橘くんは……)
そこで思考が止まる。
(……なんで?
なんで私はこんなに苦しいの?)
雅はまだその答えを知らない。
史帆が屋上に着くと、夕焼けが空を赤く染めていた。
風が制服のスカートを揺らし、校庭の方からは部活の掛け声が聞こえる。
「きれい……」
そんな景色の中、扉が開く音がした。
「ごめん、中村さん。待った?」
「ううん、全然!」
昂輝は少しだけ汗をかいていて、準備を全力でしていたことが分かる。
「で、話って……?」
史帆は深呼吸をした。
胸が苦しいほど緊張している。
けれど、その緊張を上回る覚悟があった。
「あのね……橘くん」
「うん?」
(言わなきゃ……)
(今日言わないと、絶対言えない……!)
史帆は手をぎゅっと握りしめて──
「私、橘くんのこと……好きです。」
その言葉は風に乗り、屋上の空へ溶けていく。
昂輝は目を見開き、驚いた。
「え……」
「ずっと……話してて……笑顔が素敵だなって思って……
優しいところも……すごく好きで……」
史帆は真剣な瞳で昂輝を見つめる。
「よかったら……私と、付き合ってください」
その瞬間、屋上の扉の向こうに立つ影があった。
もう一人の少女。
建部雅。
彼女はドアの隙間からその光景を見つめていた。
耳が熱くなる。
心臓が痛む。
胸が掴まれるような感覚。
そして──
雅は初めて気づく。
(……あぁ……)
(私……橘くんのことが……好きなんだ)
その恋の自覚は甘くなかった。
むしろ、焼けるように苦しく冷たい。
(この人を……奪われるの?)
(私の……生きる理由が……?)
雅の指先が震えた。
屋上の夕焼けが滲んで見えた。
史帆の告白に、昂輝がゆっくりと口を開いた。
「……俺でよければ、よろしくお願いします」
その言葉を聞いた瞬間──
雅の胸の奥で、何かが“壊れた”。
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