第1話 『5年後の朝』

 ピピピピピピ、ピピピピピピ。


 無機質なアラーム音が静かな部屋に響き渡る。

 カーテンから漏れた朝の光を瞼の裏で感じつつ、ゆっくりと目を開けた。

 いつもと変わらない、何の変哲もない一日の始まり。


「おはようございます、和樹」


 枕元のスピーカーから落ち着いた女性の声が流れる。

 サポートAI——雅(みやび)の声だ。


「……ああ、おはよう」


 寝起きの掠れた声で返事をする。

 顔を洗いキッチンに入るとコーヒーの香りが漂っている。

 コポコポと湯が沸く音。豆が挽かれ、香ばしい苦味が部屋に充満していく。


「今日の味は?」

「エチオピア産の豆を浅煎りすることで、さっぱりとした味わいのコーヒーとなっています」


 出来上がったコーヒーをマグカップに注ぎ、リビングのソファに深く沈み込んだ。

 言うだけあってさっぱりした味わいが美味しい。


「朝のニュースをお流しします」


 雅の声にあわせて壁面の大型モニターが明滅する。

 画面には、神妙な面持ちのニュースキャスターが映し出されていた。


『——本日で、あの「渋谷ダンジョン氾濫」から5年が経過しました』


 コーヒーを口に運ぼうとした手が止まった。


『未曾有の大災害となったあの日。渋谷一帯を飲み込んだダンジョンの暴走は、……を超える死……行方不明……——』


「……消してくれ」

「はい」


 雅が短く応じモニターの電源が落ちる。

 静寂が戻った部屋でコーヒーをひと口すする。

 さっぱりとした味が少しだけ心を落ち着かせる。


「雅、式典は何時から?」

「渋谷氾濫追悼式典は10時開催予定となっています」


 去年は時間ギリギリになってしまい、参列者に囲まれお礼の嵐だった。今年は早めに出るか。

 5年ぐらいじゃ、まだまだ風化しないか。


「コーヒーをありがとう。今日も美味かったよ」

 雅にお礼を言い、着替え始める。


 着替え終えて鏡に映る自分の姿を見る。

 仕立ての良い黒いスーツ。

 きちんと整えられた、どこか赤みがかった黒髪。

 

 ——かつての第一線で戦っていた時と見た目は変わっていない。だが、覇気がないことは自分自身でも痛いほどわかる。


 どこか重い足取りで玄関に向かい、靴を履く。


「さて、行くか」


 ドアを開け、外へ出た。


      ◇


 渋谷。

 追悼式典の会場には、喪服に身を包んだ遺族や関係者が溢れている。

 白い菊の花で埋め尽くされた献花台。

 あちこちから聞こえる、押し殺したような嗚咽。


 俺は会場の後方で、静かに立っていた。


 壇上では、政治家が挨拶をしている。


「——5年前の悲劇を、我々は決して忘れてはなりません。多くの尊い命が失われ、未来ある若者たちが——」


 その声を、俺は流し聞きしていた。

 聞いているようで、聞いていない。

 意識が、どこか遠くへ飛んでいく。


「——犠牲者の方々の無念を忘れることなく——」


 政治家の声が遠くなる。

 意識はすでに、5年前のあの日へと沈み込んでいく。


      ◇


 深紅の刃がエネミーを切り裂く。

 残すは核を持つだろう、氾濫の中心に佇むエネミーのみとなった。

 今倒したエネミーが落とした結晶含め、そこらじゅうに結晶が散らばっている。

 

「なぜ氾濫が発生したのかは不明だが、とりあえずアレは倒さないとな」


 大振りな刀を持つ、甲冑姿のエネミー。

 厄介な気配を感じていると、一振りで取り囲んでいた防衛線が紙細工のように吹き飛ばし、こちらに向かってくる。


「みんな、来るぞ!」


 悠介の声。

 金色の剣と盾を構えた、俺の相棒。


「合わせろ! 一気に懐へ潜る!」


 俺の声に、悠介がニカっと笑った気配がした。

 悠介が正面で対峙し、俺が切り込む。

 呼吸をするように自然で、思考するよりも速い連携。

 

 ——どれくらいの時間戦っていたのだろうか。


 ドゴォォォォォォンッ!!

 世界が反転するような衝撃。


 霞む視界の先。

 ボロボロになった盾を構え、俺と怪物の間に立ちはだかっている悠介の背中が見えた。


「あとは——頼んだぜ、和樹」


 立ち上がろうとするが、体が動かない。

 意識が、深い闇へと落ちていく。


      ◇


「——以上をもちまして、追悼の辞とさせていただきます」


 拍手が続く会場の空気で、意識が現実に引き戻された。

 心臓が早鐘を打っている。


 俺は気持ちを落ち着かせるためか、無意識に右手の甲を強く擦っていた。

 そこには、俺の『ダイバー』としての証、固有紋章(エンブレム)が刻まれている。

 かつては鮮血のように赤く輝いていた刃の紋章。

 だが今は——まるで墓標のように、くすんだ錆色に変色している。


 式典が終わり、人々がそれぞれの日常へと戻っていく。

 俺もまた、人の流れにあわせ、作業のように献花台へ進み、白い花を置いた。


 目を閉じ黙祷する。


 ——悠介。


 心の中でその名を呼ぶ。

 返事は、ない。


 俺は目を開け、会場を後にした。


 渋谷の街を歩く。賑やかな街並み。

 完全に人の営みが戻っている。

 まるで、あの日の惨劇などなかったかのように。


 俺は、小さく呟いた。


「……5年、か」


 誰に言うでもなく。

 まるで、誰かに聞かせるかのように。


「気持ちの整理はついているはずなんだが、進めてないんだろうな……」


 立ち止まり、空を見上げる。

 雲一つない、穏やかな空。


「……こんな姿は見せたくないんだけどな」


 諦めたような声が、自分の口から漏れていく。


 5年前から俺は止まったままだ。

 分かっているけど、前に進めない。

 立ち止まることに慣れてしまった。

 ただ、毎日を消化するように生きている。

 それでいいと思ってしまっている。


 俺は駅へと向かう足を速めた。

 午後からの新人説明の準備を思い出し、気持ちを切り替える。

 そうやって日々忙しなく過ごして、タスクで思考を埋め尽くしていれば、余計なことを考えずに済む。


 そう、今日もまた、いつもと同じ一日が過ぎていくはずだった。


 ——この日、運命が動き出すとも知らずに。

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相性値99の彼女 余花 律 @ritsu_yoka

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