第3話「貴族」

辺境のミルファーレ村に着いた馬車の扉が開くと、辺りの冷たい視線が一斉にリディアを捉えた。

長い銀髪を整え、王都の貴族らしい装いをした彼女を前に、村人たちは複雑な感情を隠せずにいた。

粗末な農作業着を着た男たちも、表情は険しかった。


「また貴族か……こっちの苦労も知らずにやって来て、いいご身分だな」


「貴族や王族の取り立てのせいでこっちは食べるのも精一杯だってのに、そのドレスにどれだけお金がかかってるんだろうねえ」


もちろんそんなことを直接貴族様に言うことはない。

だが、リディアは彼らの視線から冷たいものを感じ取っていた。

これが辺境の現実なのだと痛感した。


王都の華やかさから一転、ここは生活の厳しさが色濃く滲む場所だった。

彼女の身分が村人との壁を厚くしていることも、はっきりとわかった。


「あんたのことは早馬からの命令で聞いている。あんたの家はあそこだ」


村長らしき男が、粗末な家を指さす。


「そいつぁ犯罪者だよ」


村長がそう言うと、村人は今まで隠していた感情をさらけ出した。


「何だ、じゃあ敬う必要はねえんだな」


「綺麗な顔して犯罪者とは、人は見た目によらねえなあ」


などと口々に言い合う。そして、すぐにみんな自分の仕事に戻っていった。


リディアは、これが当然だと受け入れた。

貴族たちは多くの場合、村人を「下等な者」と見下し、無理な取り立てをする。

彼女もその一員として見られているのだ。


貴族としての力を有していれば、滅多な態度を取られることはない。

だが、犯罪者として落ちぶれた相手なら遠慮はいらない。


ただ犯罪者と言っても本当に悪いことをした場合と、権力争いに負けて追い落とされた場合の二種類がいる。

後者の場合は、後に権力争いが逆転すれば冷たい態度の報復をされる恐れはあるのだ。


それでも村人たちには、そんな不確定な未来のことより目先の貴族への恨みの方が強かった。


そんな中、ただ一人その場に残った村の長老らしい女性が冷たく目を細めながら言った。


「リディア・グレイス・マクレイン殿。ここは王都のような舞踏会や貴族の遊び場じゃない。覚悟するがよい」


リディアは深く頭を下げた。


「私も王都では色々ありました。けれど、ここで皆様のお役に立ちたいと思っています。どうか、よろしくお願いいたします」


その声には嘘がなかった。

どんなに冷たくされても、誠実に向き合う覚悟があった。

長老らしき女性は、彼女の表情をじっと見つめた。


「感情の良く見えない顔だねえ。でも、その奥には真心が感じられる。もっと素直になるよう気をお付け。わたしゃセリナっていうただの年寄だよ。何かあったら言っておいで」

その言葉に、リディアは笑顔を返した。


リディアは、ずっと貴族の中で暮らしてきた。

だから、ここにいる村人や農民のことなど今まで考えたこともなかった。

伯爵令嬢で王太子の婚約者でもあったリディアは直接領民と触れ合うこともなく、机上において領地経営を考えるだけだったのだ。


だが、元来思いやりがあって頭も良いリディアは村人と接することで理解した。

彼らも自分と同じ人間なのだと。

そして、自分が搾取する側であったことは当たり前ではなかったのだと。


今までのリディアは、未来の王太子妃として礼儀作法やダンス、領地経営や政務の補佐のことしか考えていなかった。

だが、ここで生きていくのにそんなものは何の役にも立たない。自分は、一人(と聖獣)で暮らしていかなくてはいけないのだ。


そのためにリディアは、ここで出来ることを探すことにした。

案内された家には粗末な服しか用意されていなかったが、リディアには丁度良かった。

リディアは早速その服に着替え、家から出た。


「お?あの女、もう家から出てきたぞ」


「ここに来なさるお貴族様は、大抵綺麗な服を脱ぐのを嫌がるものだがねえ」


「わしらが運ぶ飯を食うだけで、一切外に出ない人も珍しくないと聞いたが」


「外に出てくる時も綺麗な服で威圧しながら何かを命令するばかりだったとか」


そう口々に話す村人には、いち早く粗末な服に着替えて外出するリディアが奇妙に映ったのであろう。


そんな村人に、リディアは


「これからよろしくお願いします。何か私にできることはありませんか」


と声をかけた。長老の助言に従い、出来るだけの笑顔を心掛けて。

村人にとっては、命令するどころか自分から何かをするという貴族など初めてだったので、みなが面食らってしまってまともに反応できない。


「い、いや今は別に」


などと言って目を逸らす。これでは村人と仲良くなることもできない、とリディアは困ってしまった。

と、その時、子供の泣き声が聞こえてきた。


「どうしたの?」


と声をかけながらリディアが近寄ると、膝からたくさんの血を流している子供がいた。転んだところに尖った石があったようで、かなり痛そうだ。


リディアはためらうことなくポケットからハンカチを取り出し、子供の膝を縛ってやった。

それから「少し待ってて」と言って家に戻る。

大股で走って戻ってきたリディアの手には、高価な塗り薬があった。


リディアがそのふたを開けようとすると、慌てているリディアの様子を見てついてきた聖獣が前に出てリディアに小さく鳴きかける。

そして、ふたたび聖獣の額に淡い光が灯る―――。


すると、見る見るうちに子供の傷が治っていった。

リディアは止血していたハンカチをほどき、近くの川でそれを洗う。

そして子供の膝を拭いてやると、何の傷もない綺麗な膝が現れた。


「お姉ちゃん、ありがとう」


子供はまだ涙で滲んだ目をリディアに向ける。そして、隣の聖獣にも


「ありがとう」


と話しかける。聖獣は、嬉しそうに「フルルゥ」と鳴いて応える。


その様子を見ていた村人は、リディアに対する評価を一変させた。

止血に用いたハンカチ、それは見るからに高価なシルクの刺しゅう入りの物であった。

リディアはまだ家の中の全てを把握できていなかったので、ハンカチは自分の物をポケットに入れていた。

それをリディアは、血まみれの子供の膝に巻き付けたのだ。


さらに、子供の膝に塗ろうとした薬も簡単に手に入るものではない。

もちろんお金持ちの貴族がそういった物を持っていてもおかしくはないが、それを平民の子供に使おうとしたのだ。


村人がそのことに驚いていると、さらにリディアは考えられない行動をとった。

リディアは、転んで泥だらけの子供を抱き締めたのだ。


「どういたしまして、もう大丈夫よ」


そう言って背中をさすってやると、さっきまでの痛みの記憶でまだ涙ぐんでいた子供は安心した顔になった。

その顔を聖獣が舐めると、子供は声を上げて笑った。


貴族の中には、優しい人もいる。

平民に施しを与えたり、気さくに接したりする人も少数ながら存在するのだ。

だが、それでも上下関係は崩さない。

あくまで、上の者が下の者に恵んであげているという形なのだ。


だが、リディアは対等の立場で子供に接している。

泥だらけの子供を抱き締める貴族などいない。

「お姉ちゃんありがとう」という言葉も、かなり不敬な言葉だ。

だが、リディアは全く気にせず、子供と一緒になって聖獣と戯れ、笑い合っている。


そんな姿を見た村人は「この人は普通の貴族とは違う」と思った。


それからリディアに話しかける村人が増え、村の空気も変わっていった。

リディア自身も王都にいた時のような作り笑いではなく、心から笑うことが増えていった。


感情を表に出さない冷たい女——そう言われていた自分が、ここではこんなに笑えている


「ミルファーレ村に来てよかった」


彼女は静かにそう思った。これから始まる新しい日々に、希望を抱きながら。


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