泥棒は私を鈴木さんと呼んだ

ねここ

土足の泥棒

縁もゆかりもなかった大分に住んでいた頃、そこで私は泥棒と鉢合わせする貴重な経験をした。


 

 美容師になるために知り合いが経営している大分県の美容学校に通信で入学した。美容学校は夏にスクーリングに行くだけでよく、普段は理事長が経営する美容室で働いていた。沢山の同期、今は亡き敬愛する理事長、私の最初の師匠であるその奥様、縁もゆかりない場所で私は温かく迎えられた。

 

 そんな心根の温かい大分で、私は泥棒と鉢合わせしたのだ。


 サロン勤務中、お昼休憩の時。部屋に忘れ物をした私は近くにある寮へ帰った。徒歩三分もかからぬ場所。お化けが出そうな大きな古いビルの三階に住んでいた。

 エレベーターに乗り三階に上がる。L字型のアパート。私の部屋は角部屋で、その隣は大家さんが住んでいた。

 その大家さんはうっかり者で時々ボヤ騒ぎを起こす。ある日、鍋を火にかけたまま出かけ、三階は煙が充満し、慌てて消防に電話したことがあった。街の中心部だったため、ハシゴ車三台来たときは流石に怖かった。スプリンクラーが作動し水浸しになった通路は今でも忘れない。

そして、「ごめんねー」と言ってお菓子を持ってきたあの大家さんは数年後火事で死んだ。

 

 話は逸れたが、部屋に戻った私は鍵穴に鍵を差し回す。だが、抵抗がない。おかしい。違和感を抱く。

 

 (鍵をかけ忘れた!?)

 

 ドアノブに手を掛け回すと扉は開いた。やっぱ鍵を閉め忘れたか……と、顔を上げると目の前に人がいた。


 スーツを来た三十歳位の男。土足で玄関口に立っている。

 

 向き合う私たち。


 私は唖然としその男を上から下まで見つめる。

 髪はショート、ヘアカラーはしていない。

 深い紺色のスーツ、白いシャツに濃いグレーのネクタイ、黒い革靴は汚れひとつない。

 

 だが、並べてあるスリッパの横に、靴のまま、いわゆる土足で立っている。

 

 強烈な違和感。

 

 その違和感は私の部屋に見知らぬスーツ姿の男が立っているということよりも、土足だったことに感じた。

 なぜ土足が気になったのか、その答えは簡単だ。両親から土足で家に上がってはダメだと教えられたからだ。

 けれど、致命的なのは、家に知らない男がいた場合の対処法を教わっていない。

 その結果、私は身に迫るかもしれない危機を感じなかったのだ。だからそれについてはポカン、である。

 

 その男は申し訳なさそうな表情を浮かべ私に言った。

 

「ここは鈴木さんのお宅じゃないですか?」

 

 その言葉を聞き、私は真面目に答える。

 

「鈴木さんのお宅ではありません」

 

 鈴木さん? 一体誰? 私の苗字は全く違う。視線を男の足元に移す。

 

 ーー土足。違和感しかない。

 

「あれー? 僕間違えちゃったかなぁ?鈴木さんのお家かと思って……」

「……鈴木さんじゃ……ありません」

 

 私はもう一度答えその場所で地蔵のように固まった。ただ、固まったのは恐れは感じてではない。メモリー不足、ストレージ不足のパソコンと同じ状態。

 

「……ああ、そうか、僕は家を間違えっちゃったんだね。鈴木さんの家かと思って……あはは」

 

 男はそう言いながら入り口に立っている私の横を通り出てゆく。ごめんなさいね、と、ご丁寧にドアを閉めた。

 

  ? ??

 

 だが次の瞬間またそのドアが開く。

 

「あ、僕、怪しいものではありません」

 

 土足の男がそう言いながら丁寧にドアを閉める。

 

  !?

 

 ……怪しい? ……!

 

 そう思った瞬間、再びドアが開く。土足の男だ。男はニコニコと笑顔を浮かべ、

 

「いや、ほんと、怪しいものではありませんから!」

 

 そう言ってカチャンとドアを閉める。

 

 ??? 流石にこの辺りから動きを止めていた私の脳が動き出す。

 

 私の部屋に土足で入ったスーツの男は鈴木さんの家と間違えたと言った。

 鈴木さんの家だったとしても、土足で勝手に上がらないのではないか?


  そう思った瞬間、またドアが開く。


  アイツだ!!

 

「本当、怪しいと思うかもしれないけど、全然怪しくないから! 」

 

 ドアを開けた怪しい男は、怪しくないとドアを閉める。


 流石に怪しいだろう!!


 私の脳は覚醒した!!


 すぐにドアの鍵をかけ、部屋を見回し、警察に電話した。本当はこの順番も間違っているが、そんなことを考える余裕はない。

 五分後、警察が来た。

 

 事情聴取、一連のやり取りを話した後、なぜ逃げなかったのかと警官から怒られた。

 そう言われたら、確かにそうかもしれない。


 だが、経験したことのない、想像もしたことのない現実に出会った時、すぐに反応出来るほど頭の回転は良くはない。家の中に全く知らない人がいるなど、考えたこともなく、親からも誰からもその対処法を教えてもらっていない。

 考えたことのない現実、教えられていない現実に出会った時、思考が止まるのも仕方のないことなのだ。


 

「今回の泥棒は物を盗むタイプの泥棒だったからよかったものの、違う目的の犯罪者だったらあなた死んでいますよ! 」

 お父さん位の警官から言われた。確かにその通りだ。そして、

 

『家に知らない人がいる場合はすぐに逃げてください!!』

 

 ようやくそれを教えてもらったのだ。


 結局、私を鈴木さんと呼んだ泥棒は捕まらなかった。

 だが、盗難の被害はなく、怪我もなかったことが幸運だった。勝手な推測だが、その泥棒は素人だったのかもしれない。何度も怪しくないと言い続けたあの姿は悪人には思えなかった。様々な事情があり、泥棒になったのだろう。願わくば温かい人間が多い大分で、人の助けを借りながらまともな人生を送って欲しい。

 

 けれど、何事も原因がなければ結果も起きない。今回の泥棒騒動は通路側の窓の鍵をかけ忘れていたことが原因だった。そこから泥棒は侵入したのだ。要するに泥棒をさせたのは私自身だと言うこともできる。

 

私はこの経験を生かすため、必ず窓の鍵を確認するようになった。

 

しかし、数年後、私は東京のアパートでまた泥棒に入られる。

 

 それも在宅中、風呂に入っている時だ。

 

 在宅中は玄関の鍵さえ閉めればだろうと思っていたのがそもそも間違いだった。

 無事だったからよかったものの、前回の経験は全く生かされなかった。

 呆れてものが言えないと周りには言われるが、当事者の私もそう思っている。

 

 二度も泥棒に入られた私が言い訳できる要素は何一つない。


 これも意外な結末があったのだが、またの機会に。

 

 


 

 

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