ラブコメ漫画のモブキャラに転生した俺、三番目のお色気枠ヒロインがフラれて泣いてたのを慰め続けてたら、加速度的に重い感情を向けられるようになってる気がする。
佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中
敗北するお色気枠ヒロイン
「ごめん。俺、やっぱり
――不意に、そんな声が聞こえて、「俺」は声がした方を見た。
夕暮れ時、人気のない校舎裏の階段の二段目にそれぞれ腰掛けて並んだ男女は、もう間もなく闇に沈んでゆくのだろう裏庭をまっすぐに見つめていた。
「俺、やっぱり
うん、と、頷くことなく小さな声で答えたのは、輝くような銀髪をショートボブに切り揃えた女子である。
「俺」がその女子の佇まいに不思議な既視感を覚えた、その途端――。
まるで霧の底から浮上してくるかのように、「俺」の脳内にゆっくりと、何者かの記憶が流れ込んできた。
ああ、あの女子――わかる、あの漫画のヒロインの一人だ。
ということは、その隣にいる男子は、この物語の主人公である
ははっ、こうして間近で見ると、ラブコメ漫画の主人公なのに本当に冴えない顔してんだなぁ、アイツ。
隣にいる、輝かんばかりの魅力を放つ女子と比べたら、まるで月とスッポン、美女と野獣、いや、美女とタヌキだな――。
「三津島。俺のこと好きになってくれてありがとうな」
クロエ、と呼ばれた女子生徒は、うん、と、顔を俯けたまま小さく応答した。
北欧生まれの母親から受け継いだものだという銀色の髪が、夕暮れ時の日差しを浴びて、まるで燃えているように見えた。
ああやっぱり、あのヒロインは、あの人は負けるんだ。
俺がかつて台詞を暗記するほどにのめりこんでいた人気ラブコメ漫画、『シュレディンガーの恋』の、俺の推しだったヒロイン。
俺は今、このラブコメ漫画に登場するヒロインのうちの一人が、主人公である八百原那由太にフラれる光景を目の当たりにしているんだ――。
俺、夢を見てるんだろうか。
夢だとしたなら、なんだかやけにリアルだな。
いや――夢な訳がないか。
多分これは、「俺」が死んだ後、本誌に掲載される予定だった光景を見ているのだ。
如何に夢だと言っても、目の前に見えている光景はあまりにも
それに、俺は「俺」としての記憶を思い出す前、手術室にいたのだし。
「俺」を執刀することになったあの医者、最後まで「成功する」って言葉を使わなかったもんな。
そりゃそうだ、子供の頃から故障だらけだったもの、「俺」の心臓。
それも二十歳を迎える前に使い物にならなくなるんだって、なんとなく察してたさ。
せめて、せめて最終回を読むまでは死にたくないと、神様に祈ってはいたけれど。
ああ、神様は俺の最期の願いをこういう形で叶えてくれたのか――。
「八百原」
「おう」
「一葉さんのこと、ちゃんと幸せにするんだよ?」
「おう」
銀髪の女子がそこでやおら立ち上がり、まるで踊るように数歩、前に歩き出したのを、八百原那由太は不思議そうに見つめていた。
女子生徒はそこで両手を上に挙げ、うーっと背伸びをしてから、振り返らないままに言った。
「あーあ、これでやっとスッキリした。八百原、いくら考えさせてほしいって言っても、一年は待たせすぎだぞ」
「……すまん」
「それと、そうやって自分が悪くないのにすぐ謝るクセ、直しなさいよ」
「すま……あ、うん」
「本ッ当、なんでこんな冴えない優柔不断男を好きになっちゃうかなぁ、私もさ。私ぐらいレベル高い女子ならもっともっとイケメンでも金持ちでも狙えただろうにさ」
「……それ、自分で言うのかよ」
「そりゃ当然、私を誰だと思ってるのよ」
そこで銀髪の女子が、胸に指先を押し当てたまま、振り返って自慢げに顎を上げた。
「私は三津島クロエよ? アンタみたいな男子が私みたいないいオンナを手酷くフるなんてゼータクすぎよ。八百原、アンタ明日から全校の男子生徒に恨まれて無視されても知らないからね?」
自慢げにそう言った女子の、これ以上のドヤ顔は出来まいというドヤ顔を見て、八百原那由太はしばらく呆気にとられたような表情になった後、あはは、と呆れたように笑った。
「三津島」
「何?」
「お前ってさ、本当にそういうところ、ブレないよな」
「当たり前じゃないの。私は私に正直でいたい女なの」
「あはは、そうだな。お前はそういう奴だった。安心したよ」
「そっか。じゃあ私は告白の返答も聞いたし、ちょっとここで気持ちを整理するから、先帰って」
「おう。……一応だけど、送るか?」
「いい。一人で帰りたいの。心配してくれてありがとう」
「そっか。それじゃ気をつけてな」
八百原那由太が階段から立ち上がる。
そのまま、歩いていこうと背を向けたその背中に、銀髪の女子が声をかけた。
「ねぇ、八百原」
「おう」
「アンタは私を選ばなかった。それは責めないし恨まないよ。けどさ――」
一瞬、何か決意を固めるかのような間の後、女子生徒は大きな声で言った。
「私がまだしばらくアンタのことを好きでいるのは――私の勝手でいいでしょ?」
その問いに、男子生徒の方も一瞬だけ沈黙した後、おう、と答えた。
そっか、と、銀髪の女子生徒が答えたのを最後に、男子生徒はどこかへ、静かに去っていった。
不意に、風が吹いた。
この時期の夕暮れ時の風にしては、随分と冷たい風に思えた。
その風に、己の中に消え残っていた最後の希望の
もはやその場に立っていることも出来ない様子で、女子生徒はその場にしゃがみ込んだ。
「ううっ……! うっ……! うわああああああああああん……!!」
それを一人見ている俺の胸をざっくり断ち割るかのような、聞くに耐えない
ぼろぼろと溢れ出てくる涙と鼻水を手の甲で
「なんで……なんでよ……! なんで私を選んでくれないのよ、八百原のばかぁ……!!」
そうだ、やはり彼女は選ばれなかった。
否、最初から選ばれる可能性なんて、皆無だった。
何しろ彼女は、このラブコメ漫画『シュレディンガーの恋』に登場する、三番目の、しかもお色気枠のヒロインだったのだから。
そう、通常のラブコメ漫画であれば、それは勝ちヒロインになる可能性など万にひとつも有り得ない、絶望のポジション。
主人公と出会う順序が致命的に重要になるラブコメのヒロインレースの常識において、二番手どころか三番手に甘んじてしまった彼女が勝ちヒロインになれる可能性など、最初から極めて薄いはずだった。
更に、そのあまりに同世代離れした肉体の豊満さ、そして現役JKグラビアクイーンという肩書きを武器に、繰り返し主人公に色仕掛けで迫るヒロインなんて――ラブコメにおいては所詮、読者にサービスシーンを提供する賑やかし要員でしかないと、相場が決まっている。
それなのに、彼女は諦めなかった。諦めることなど出来なかった。
三番目のお色気枠ヒロイン――この世界の神に与えられた、そんな絶望的な
そして、その絶望の
「どうしてよ……あんなに頑張ったのに……! 全部全部、無駄だった……! わたし、馬鹿みたい、あんな痴女みたいな真似ばっかりして……!」
そうだ、彼女――三津島クロエとは、確かにそういうヒロインだった。
主人公である八百原那由太を悩殺してしまおうと繰り返し繰り返し色仕掛けで迫り、ことある事に胸を押しつけたり、胸元が大きく空いた服で誘惑したり、際どい水着で一緒に海に行ったり。
物語中盤には保健室のベッドの上で八百原那由太を下着姿のまま押し倒すことまでした。
それなのに、彼女の努力はとうとう実を結ばなかった。
否、実を結ぶことなど、最初からありえなかった。
何故なら、彼女はどこまでいっても、結局は三番目のお色気枠ヒロインでしかないから――。
その聞くに耐えないような嗚咽の声を聞いて。
ぐっ、と、我知らず俺は拳を握っていた。
同じだ、俺と同じ――そう思った。
どうせ死ぬのに。どうせ助からないのに。
二十歳までは生きられないって医者から言われていたのに。
それでも、人生の大半を病院のベッドの上で過ごして、痛くて辛い手術に何度も何度も耐えて。
楽しそうに外を走り回る人々を病室の窓から羨んで。
両親が差し入れてくれる漫画本だけを唯一の楽しみにして。
胸なんか二目と見られないぐらい、手術痕でズタズタなってまで生きようとしたのに。
それなのに――結局、俺をこの世に生み出した何者かは、俺に幸せな結末を与えてはくれなかった。
そう、俺たちは。
最初から絶対に「勝ち」など有り得ない存在としてこの世に産み落とされたんだ――。
そう思った瞬間、俺は駆け出していた。
一心不乱に、己がどこの何者かに転生したのかも思い出せないまま。
今、この残酷な世界に己の全てを否定された、『シュレディンガーの恋』の三番目のヒロイン――三津島クロエに向かって。
「三津島、三津島クロエっ!!」
俺が大声を浴びせかけると、びくっ、と肩を揺らして、三津島クロエが顔を上げた。
「えっ――!? だ、誰――?」
「……ああ、そうだった。そういえば俺、誰なんだろうな。悪い、それはまだ思い出せてないんだ、ごめんな」
「は、はぁ……?」
俺の意味不明な言葉に、三津島クロエはしげしげと俺の顔を見つめた後、不審そうに口を開いた。
「誰……ってアンタ、
零宮零士――そうか、そう言われれば、そんな名前だった気もした。
一応、その名前を頭の中の原作の記憶と照らし合わせてみたが、知っている名前ではなかった。
どうやら俺は、この世界の何者か、それも作中に名前が出ないモブキャラに転生してしまったようだ。
「そうか。零宮零士、っていうのか、俺」
「……アンタ、さっきから何言ってんの?」
「とにかく、三津島クロエ。ええっと……」
俺は制服のズボンのポケットをごそごそとまさぐり、尻ポケットにハンカチの感触を確かめると、それを涙と鼻水でびちゃびちゃの三津島クロエに差し出した。
「それ、返さなくていいから。使ってくれ」
突然の俺の申し出に、まだ全く涙が止まっていない三津島クロエは、ハンカチと俺の顔に視線を往復させ、戸惑いの表情を浮かべた。
「ぐすっ。な――なんなの、突然。どうしてこんなことを……」
「いいから受け取ってくれよ。洗って返したりしなくていい、ホントだよ」
「で、でも……」
三津島クロエが尻込みした瞬間、俺は三津島クロエの右手を取り、その手に強引にハンカチを握らせた。
うわっ!? とべちゃべちゃの顔で驚いた三津島クロエがそれ以上なにか言う前に、俺は踵を返した。
「じゃ、俺は帰る。気をつけて帰ってくれよ」
俺はもう何も言わずに、どこへ帰るべきかもわからないままに駆け出した。
「ちょ、ちょっと――!」という三津島クロエの声が背中に聞こえたけれど、俺はもう、振り返らなかった。
◆
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2025年12月21日 07:00 毎日 07:00
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