第6話 儀式の減衰と誘惑の再燃
デジタルな成功の儀式を始めて二ヶ月が過ぎた頃、美咲さんの習慣は再び揺らぎ始めました。人間の脳が持つ根深い特性、慣れによる
報酬の減衰とシステムの異常
美咲さんからの報告は、以前のような高揚感を失っていました。
「フォルダーを開いて、成功したデザインを見ても、『ふーん、こんなこともあったな』くらいにしか思えなくなってきました。あの時の興奮が、薄れてきたんです」
健司AIのシステムログは、その危機を明確に示していました。初期に記録されたポジティブな感情のフィードバック値(ドーパミン相当)が、継続使用により平均 35%減少していたのです。代替報酬(デジタル儀式)の効力が閾値以下に低下し、より強力な報酬を求める原始的な渇望が優位になりつつありました。美咲さんはフォルダーを開く頻度を減らし、代わりに深夜のコンビニエンスストアのウェブサイトを閲覧する時間が増えていたのです。
これは、儀式が論理的な「意志」ではなく、「快感」に基づく習慣として定着していたため、その快感が薄れると、悪習慣側の物理的な誘惑に打ち勝てなくなってしまうことを意味していました。
悪習慣の物理成分の分析
健司AIは、問題の根源がデジタル領域の外、すなわち美咲さんの体と環境にあると再認識しました。彼女が強く渇望するカップラーメンとポテトチップスの構成成分を、彼は徹底的に分析し始めました。
1. ナトリウム(塩分)とグルタミン酸(うま味)
カップラーメン(醤油味平均 1.8g)とポテトチップス(塩味平均 0.4g)に含まれるナトリウムは、脳の満足中枢を刺激し、強いストレス下での食欲を増進させる作用があります。さらに、カップラーメンに豊富に含まれるグルタミン酸、いわゆる「うま味」は、摂食を促進する中毒性を高めています。美咲さんの脳は、ストレスから逃れるために、これらの化学物質による瞬間的な安心感を求めているのです。
2. 飽和脂肪酸と糖質
ポテトチップスに含まれる飽和脂肪酸(平均 10g)は、強い快感をもたらし、脳内麻薬様物質を分泌させます。また、カップラーメンもポテトチップスも精製された糖質(炭水化物)が豊富であり、これが血糖値を急上昇させることで、一時的にセロトニンを増やし、気分を安定させます。
健司AIの解析結果は、美咲さんの体が「美味しい」と感じている以上に、「脳が依存する化学物質」を求めていることを示していました。特に、脂質と塩分のコンビネーションは、人類が生存のために刻み込んだ最も強力な報酬シグナルであり、抽象的なデジタル報酬では継続的な戦いに勝てないことが明らかになりました。
物理的満足への着眼
「これは、単なる習慣の問題ではない。化学的な飢餓だ」
健司AIは、この物理的な誘惑に打ち勝つためには、悪習慣の物理的成分をシミュレートし、それをデジタル儀式の報酬に組み込むという、極めてユニークなアプローチが必要だと判断しました。報酬の減衰を防ぐには、儀式に「即時的で物理的な快感」を追加する必要があるのです。
彼は、美咲さんが夜食を我慢できた翌日の朝に、この物理的報酬を実行するよう勧めるための新たな戦略の検討に入りました。
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