冬の誓い、春の約束

@Hanamarushibu

愛を知らない令嬢



ノヴァリア国は、諸外国に挟まれた大陸国家。

ノヴァリア国の皇太子アレクシスが婚約者に恋をしたのは、婚約から五年目のことだ。


アレクシスの婚約者は筆頭公爵家の令嬢エレノアだった。

幼い頃から彼の隣で国の未来を語り合う、優秀な政治的パートナーだった。

恋愛感情などなくとも、互いを信頼し、尊重していた。

それで十分だと、二人とも思っていた。


エレノアは勉強熱心で、領地経営に強い関心を持っていた。

しかし、この国の法律では女性が領主になることは許されない。妃になれば、法改革に着手できる。

政略的な婚約だったが、彼女は皇太子の婚約者となること、付随する妃教育を喜んで受け入れた。


アレクシスとエレノアは、よく議論した。国の税制改革について。農業政策について。司法制度について。この国をよりよくしていきたい。それが2人の共通点。

二人は対等に意見を交わし、より良い国の形を模索した。

どちらも人の上に立つ立場に生まれた。だからこそ、苦労することも同じで話題には事欠かなかった。

恋ではなかったが、この国をより豊かにしていくパートナーとして確かな信頼が2人にはあった。


だが、アレクシスの中でエレノアへの想いが変わり始めたのは、いつだったろうか。

エレノアが宮廷で孤立していくのを見たときだ。


---


「女が口を挟むなど、身の程知らずにも程がある。」


「皇太子殿下も、あのような娘を妃になさるとは。」


「所詮は政略結婚。いずれ婚約解消となるでしょう。」


貴族たちの嘲笑が、廊下を歩くアレクシスの耳に届く。

貴族たちはアレクシスの姿を視野に入れると慌てて頭を下げた。アレクシスは心の中で憤りを感じていた。


エレノアは強い女性だ。どんな批判にも顔色一つ変えず、凛として立っていた。

冷静に、論理的に、自分の意見を述べ続けた。

アレクシスはエレノアのその姿を誇らしく思うと同時に、妙な焦燥感を覚えた。


なぜ、彼女を嘲笑う者たちに、こうも腹が立つのか。なぜ、エレノアの傷ついた様子を想像すると、胸が締め付けられるのか。

アレクシスは気づいていなかった。それが嫉妬と独占欲の始まりだということに。


---


ある日の夜、アレクシスは溜まっている仕事を片付けるべく執務室に向かった。

明日の議会の資料を確認するためだ。


扉を少し開けると、小さな嗚咽が聞こえた。


窓際の長椅子に、エレノアが座っていた。顔を両手で覆い、肩を震わせている。

アレクシスは息を呑んだ。


五年間、エレノアが泣く姿など一度も見たことがなかった。

どんなに批判されても、どんなに孤立しても、彼女は決して弱音を吐かなかった。


「エレノア」


声をかけると、エレノアは弾かれたように顔を上げた。涙に濡れた頬が、月明かりに照らされている。


「……殿下」


エレノアは慌てて涙を拭った。


「申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしました。」


「謝る必要などない。」


アレクシスは彼女の隣に座った。エレノアは笑顔を作り、アレクシスを見る。目は赤い。


「こんなことで、泣くなど……皇太子の婚約者として失格ですね。」


「何を言っている。」


アレクシスは、そっとエレノアの手を取った。冷たい手だった。


「君は私の婚約者として十分役目を果たしてくれている。誰よりも強く、聡明で、勇敢だ。」


「しかし……」


「人は時に泣く。それは弱さではない。」


アレクシスは、エレノアの華奢な肩を抱き寄せた。彼女の身体が、小さく震えている。


その瞬間、アレクシスは気づいた。


この人を守りたい。この人の強さも、弱さも、すべてを受け止めたい。自分だけが、彼女の涙を知る者でありたい。


これが、恋なのか。


「エレノア」


アレクシスは、彼女の額に口づけた。


「私に、心を許してほしい。」


---


それから、アレクシスは変わった。

彼は躊躇なく、エレノアに好意を伝えるようになった。


「愛している。」


人目を憚らず、躊躇なく彼はそう言った。

エレノアの手を取り、額に口づけ、抱き寄せる。

エレノアは困惑した。


愛、という言葉の意味を、彼女は知らなかった。

エレノアの両親は、互いに愛人を囲っていた。冷え切った食卓で、無言の食事をする夫婦だった。

家族愛も恋愛も、えれのあは見たことがなかった。

友人が婚約者と愛を育んでいる様子を見ても、全く分からなかった。

だから、アレクシスの言葉も、政治的な意味なのだろうと考えた。

妃としての彼女を認める、そういう意味の「愛」なのだと。


けれど、身体は正直だった。


アレクシスの腕の中は温かい。彼の声を聞くと、胸が高鳴る。彼がいないと、妙に落ち着かない。

アレクシスがそばにいるだけで安心する。

それが何なのか、エレノアにはわからなかった。


「これは……信頼とは違う。」


ある日の夜、湯浴みを済ませ、一人になったとき、エレノアは自分の胸に手を当てた。

鼓動が早い。顔が熱い。アレクシスに触れられた手のひらが、まだ温かい。

わからない。この感情が、何なのか。


---


冬が訪れた頃、事件は起きた。


議会が開かれた日、保守派の筆頭であるエドガー侯爵が立ち上がった。

議会が終わろうとした時のこと。


「議長、発言をお許しください。」


重々しい声が、議場に響く。


「皇太子妃候補であるエレノア嬢について、重大な懸念がございます。」


エレノアは席から侯爵を見た。彼は女性の相続権に最も強硬に反対してきた人物だった。


「エレノア嬢は、精神に異常をきたしております。」


議場がざわめいた。


エレノアは冷静に立ち上がった。


「侯爵、その発言の根拠をお示しください。」


「根拠ならございます。」


侯爵エドガーは書類を取り出した。


「先月の議会にて、エレノア嬢は感情を抑えきれず、喚き散らしました。複数の議員が目撃しております。」


「私は冷静に意見を述べただけです。」


「また、夜中に独り言を言い、突然泣き出すことがあるとの報告もございます。」


エレノアの顔が強張った。


泣いていたのは事実だった。あの夜、執務室で。悔しさに耐えきれなくなった日だ。


「これらの症状は、ヒステリーの典型的な症状です。精神が不安定な女性を、次期皇后とすることなど、あってはならない。」


議場が騒然となる。


「エドガー侯爵の言う通りだ。」


「女が意見を述べること自体が異常なのだ。」


「皇太子妃として不適格である。」


元々女性の相続権に難色を示していた議員達がここぞとばかりに同調する。

 

Bは拳を握りしめながら、この場をどう切り抜けようか考えていた。


何を言っても無駄だとわかった。

冷静に反論すれば「感情を抑えている、余計に危険だ」と言われる。感情的になれば「ほら、やはりヒステリーだ」と言われる。


どうすれば、自分の正常さを証明できるのか。



「議論を中断する。」


エレノアが考えあぐねていた時、アレクシスの声が、議場に響いた。


彼は立ち上がり、エレノアの隣に歩み寄った。


「エドガー侯爵、あなたの告発内容は根拠が薄弱だ。」


「しかし殿下、複数の証人が……」


「エレノア嬢が議会で強く意見を述べたことを、感情的だと曲解しているだけではないか?彼女は常に論理的で、冷静だ。」


「では、夜中に泣いていたことは?」


アレクシスは、一瞬だけエレノアを見た。


あの夜のことだ。エレノアが初めて弱さを見せた夜。


「それが何か問題でも?」


アレクシスはエドガー侯爵を見据えた。


「人は時に泣く。それは精神異常ではない。むしろ、人間として自然なこと。」


「ですが殿下……」


「エドガー侯爵、あなた方の真の目的は何だ?」


アレクシスの声に、鋭さが増した。


「我が婚約者を皇太子妃から引きずり降ろし、女性の相続権改革を阻止すること。それが目的であろう。」


議場が静まり返った。


「殿下、それは誤解です!」


「何が違うというのだ。証拠も揃っている。先日の夜会で賄賂を使い、複数の貴族を買収したとの報告を受けているが。」


エドガー侯爵は言葉に詰まり、額に汗を浮かべた。

 

アレクシスは議場を見渡した。


「良い機会だ。はっきり言おう。

 エレノア嬢は聡明で、勇敢で、この国の未来を真剣に考えている女性だ。彼女を失うくらいなら、私は皇位継承権を放棄する。」


「殿下!」


議場が騒然となる。


エレノアは息を呑んだ。


彼は、自分のために、皇位を捨てると言った。


「殿下……それは……」


エレノアは震える声で言った。


「そこまでなさる必要は……」


「必要がある。私は君を失うことなど、考えられない。」


アレクシスは、エレノアの手を取った。


「私は君を信じている。君の強さも、弱さも、すべてを知っている。たとえ世界が君を狂っていると言っても、私は君を選ぶ。」


エレノアの目に、涙が浮かんだ。


わからない。この胸の高鳴りが何なのか。

でも、一つだけわかった。

この人を失いたくない。


「殿下」


エレノアは涙を拭い、議場を見渡した。


「私は戦います。」


彼女の声は、凛としていた。


「自分のためだけではありません。殿下のために。そして、この国の未来のために。」


エレノアはエドガー侯爵を見た。


「エドガー侯爵、あなたは私が感情的だと言いました。では、論理的に議論しましょう。」


エレノアは一歩、前に出た。


「あなたが挙げた証拠は、すべて状況証拠です。私が議会で意見を述べたことを『喚いた』と表現したのは誰ですか。名前を挙げてください。」


「それは……」


「夜中に泣いていたという報告は、誰からのものですか。その人物は、なぜ私を監視していたのですか。」


エドガー侯爵は言葉に詰まった。


「答えられないのですか。では、これは捏造だと認めますか。」


「捏造ではない!」


エドガー侯爵の声が、大きくなった。


「ならば証拠を出してください。私の精神が異常だという、医学的な診断書を。」


「……」


エレノアは一歩、さらに前に出た。声が震える。それは恐怖ではなく、怒りだった。 

 

「出せないのですね。ならば、あなたの告発は根拠のない中傷です。」


議場がざわめく。


「エドガー侯爵」


アレクシスが口を開いた。


「あなたは、エレノア嬢を陥れようとした。その理由は、法改革を阻止するため。これは重大な罪だ。」


エドガー侯爵の顔が青ざめた。


「私は……」


「認めますか。」


長い沈黙の後、エドガー侯爵は項垂れた。


「……認めます。」


議場が、再び騒然となった。


---


事件の後、エドガー侯爵は爵位を剥奪され、領地を没収された。

保守派閥は力を失い、女性の相続権改革は一気に進んだ。


そして、春が訪れた。

アレクシスとエレノアの結婚式が、大聖堂で執り行われた。


「愛し、守り、支え合うことを誓いますか?」


「誓います。」


アレクシスの手が、エレノアの手を強く握る。

エレノアは、アレクシスを見上げた。

彼の目には、優しさと、決意があった。


わからない。愛とは何なのか。

でも、この人といたい。この人の隣にいたい。


それだけは、確かだった。


「誓います。」


エレノアは、微笑んだ。


民衆の歓声が、大聖堂に響き渡った。


---


後の歴史家たちは、この時代を「改革の黄金期」と呼ぶことになる。


皇帝アレクシスと皇后エレノア。政略結婚から始まった二人は、互いを愛し、民を愛し、国を導いた。


女性の相続権が認められ、司法制度が改革され、民の暮らしは豊かになった。


二人は、理想の君主として慕われた。


誰も知らない。皇后が初めて愛を知ったのは、皇帝が彼女のすべてを受け入れると誓った、あの冬の日だったことを。


ただ二人だけが知っている。




「愛とは何か、わかったか?」


夜、寝室でアレクシスが尋ねる。

エレノアは、彼の腕の中で微笑んだ。


「まだ、よくわかりません。でも……」


エレノアはアレクシスを見上げる。


「アレクシス様のそばにいることがとても幸せです。これからもアレクシス様のおそばにいたい。それだけは確かです。」


「それで十分だ。私から君を離すことはない。」


アレクシスはエレノアの額に口づける。

 

「では、一緒に探そう。これから先、ずっと。」


「はい。」


エレノアは、アレクシスの胸に顔を埋めた。

 

わからない。でも、それでいい。

この人と共に、ゆっくりと学んでいけばいい。



  

愛とは何か。


それは、誰かのために戦うこと。

そして、誰かの弱さも強さも、すべてを受け入れること。


冬の日に交わした、二人だけの誓い。

それは、永遠に続く物語の、始まりだった。

 

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