あれから三年ほど経っただろうか。

　いよいよ『勇者』は『魔王』の鎮座する城へと侵攻するという。

　当然、俺も連れて行かれるのだが、意外なことに『王妹』もついてくるという。

　護衛として王都で鳴らした腕っこきを五人ほどつけるらしい。どうやら物見遊山のつもりでついてくるようだ。

『勇者』は『王妹』に「君は僕が守るよ」などと歯の浮くような台詞を宣（のたま）っていた。

　“あの娘”を──いや“自分の子”すら守らなかったのに。

　そんな声が自分の中から聞こえたが、すぐに喧騒（けんそう）に溶けて消えた。

　しかし何故この二人は『魔王』討伐へ向かおうというのに、こんなに余裕なのだろうか。確かに『勇者』は強いが、『魔王』がそれ以上に強いかも、とは考えないのだろうか。

　俺は何も言わなかった。いや、言えなかった。

　どうせ俺の声なんて、何処かに溶けて消えてしまうのだから。

　◆

　──あっけない。

　そう見えた。

　俺には戦う能力は「持たされていない」。

　だから戦場からは少し離れた場所で、いつも待機している。

　『魔王』が腕を薙（な）いだ。

　『勇者』の首が跳（と）んだ。

　『王妹』は叫び、護衛たちは次々と斃（たお）れた。

　涙で汚れた『王妹』の顔を見ても、特に何も思わなかった。

　『魔王』の腕が『王妹』の頭に伸び、掴む。その途端に、甲高（かんだか）く響いていた叫び声が途切れた。

　死んだか、と思った。自分でも驚くほど冷たい心の声だった。

　『魔王』の足元に、七つの屍（しかばね）が転がっていた。

　ゆっくりとこちらを振り向いた『魔王』と目が合う。

『魔王』は緩慢（かんまん）な動作で、ゆっくりと近づいてきた。

　ここで死ぬのか、と思った。

　死ぬのは恐ろしくない。そもそも「生きている」と思えるほど、俺は生きてはいないのだ。

　だが殉死は嫌だった。『勇者』と『王妹』が死に、それに”殉じた”と思われるのは耐えられなかった。

　死ぬ時くらいは、せめて自分の為に死にたいと思った。

　『魔王』が目の前に立った。

　俺の手に武器はない。戦うための技術も持たない。他人を殴ったことすらない。

　それでも、戦おうと思った。戦いたいと思った。

『勇者』の、ましてや『王妹』のためなどでは決してない。

　強いて言うなら自分の、そして”あの娘”のためだった。俺が『勇者』や『王妹』に“殉じた”と“あの娘”が知れば、きっと悲しむだろうと思ったから。

　目の前に立つ『魔王』と、もう一度目が合った。

　わからないなりに拳を握り、殴りかかった。

　だが大きく振りかぶって放たれた一撃はあっさりと躱（かわ）され、俺は勢い余って地面に突っ伏した。

　その間に『魔王』が倒れ込んだ俺の顔を覗（のぞ）き込んできた。

『魔王』は何も言わない。ただ俺の目を見つめてくる。

　いよいよか、と俺は覚悟を決めた。

　誰も知らない。誰も見ていない。だが俺は俺のために戦った。不格好でも、歯が立たなくても、誰のためでもなく、俺のために戦ったのだ。

　だから、俺は満足だった。あとは、死ぬだけだ。“あの娘”にあの世で会っても、きっと笑える。

　す、と『魔王』は指を差し出してきた。その指は俺の首元にある”紋”に触れた。仄（ほの）温かい感覚が首筋に走り、“何か”を喪失したような感触があった。

「っ──い──ほう、する」

　不意に『魔王』が声を発した。低いような高いような、美しいような濁っているような、不思議な声だった。

　気が付くと、俺は『魔王』の居城の外にいた。

　◆

　『魔王』の居城の外に放り出された後、俺は途方に暮れていた。

　──生きている、のか。

　俺はあの瞬間、死を覚悟していた。いや、むしろ望んですらいたかもしれない。

　懐（ふところ）をまさぐると、“指環（ゆびわ）”が二個出てきた。『勇者』と『王妹』が『魔王』を討伐した時にお互いに嵌（は）めあい、愛を確かめあう為のものらしく、無くさないようにと俺が持たされていたものだった。

　それぞれの環（わ）の内側に『勇者』と『王妹』の名前が刻印されていた。

　──本当に、自分達が死ぬとは考えていなかったんだな。

　あいつらが死ぬ瞬間にはなにも思わなかった。むしろ「ざまを見ろ」とさえ思っていた。が、本当に死んだんだと実感した今は少しだけ、哀れに思えた。死んでしまったら、誰だって同じだ。こいつらも、“あの娘”も。

　──届けてやろう。

『王』に届け、事の顛末（てんまつ）を伝えてやろうと思った。

　誰かに命令されたわけではない。こうしろと言われていたわけでもない。

　俺がしてやりたいと思ったのだ。

　そう思った瞬間、反射的に首元に手が伸びた。だがいつものような首を締め付けられる感覚はなかった。

　やはり『魔王』が“紋”に触った時に“紋”は消えていたようだ。

　そんなことが出来るのか、と不思議には思った。だが事実、“紋”は消えた。“紋”が無くなり、俺は“奴隷”ではなくなったのだろうか。

　──なんだか、変な感じだな。

　立って、一歩踏み出した。

　その脚は、少しだけ震えていた。

　ぴくりと鼻が動き、ふ、と口から息が漏れた。

　これが「笑う」ということか。

　生まれて初めて、俺は笑った。