追放

吉本 冬呉

第一話 -刻印-

 ──皮肉なものだ。


 そう、思った。


 死を惜しまれる者が皆死んで──

 生きているのかわからない自分だけが生き残った。


 世界は理不尽だ。


 だけど、平等だった。


 今まで自分に降りかかっていた理不尽は、土壇場どたんばで“アイツら”に降りかかった。

 “紋”を刻んだ人間は──もう、いない。

 でも“紋”を刻まれた人間も、もういなかった。


 死の際に立って、ふと思った。


「“生命いのち”に“価値”なんてものはあるのだろうか」


 俺にはわからなかった。


 ◆


 『勇者』──と呼ばれていた。

 俺と“あの娘”に刻まれた“紋”が示す主人たる男だった。

 おおむね善人──だったのだろう。人当たりは良かった。周りの人間にも慕われていた。

 だが、人一倍執着の強い性質も持ち合わせていたようだった。“あの娘”を見る目に時折、強い執着を滲ませていた。特に俺と“あの娘”が話している時、強くその視線を“あの娘”に向けていた。


 ある夜、“あの娘”が『勇者』の部屋に呼ばれた。なんでも「今後の冒険」のことで話があるらしかった。何故“あの娘”だけだったのか、その時は深く考えもせず──もっとも考えたとしてもそれを遮ることなど出来なかっただろうが──“あの娘”を送り出した。


 そして二時間ほど経った後、“あの娘”は帰ってきた。普段も口数が多い方ではないが、その時は輪をかけて無口だった。

「勇者様、なんの話だったの?」

と聞いてはみたが、何でもないとしか返ってこなかった。何でもないって二時間も一緒に居たのに、とは思ったが、既に睡魔に襲われていた俺は“あの娘”が帰ってきてからすぐに眠ってしまった。


 その夜半、彼女は声を殺して泣いていた──


 翌日から『勇者』は“あの娘”を自分の物のように扱い始めた。いや、奴隷である以上俺たちは『勇者』の所有物であることは間違いないのだが、“あの娘”に対して、それまであった遠慮のようなものが無くなっていたように思う。

 そして一番大きく変わったのは、ほぼ毎晩“あの娘”を宿の自室へ呼び付けるようになった。そしていつも二時間ほどで“あの娘”は帰ってきた。何をしているのか、俺にはわからなかった。いや、わからないふりをしていたのかもしれない。


 そんな日々がしばらく続くと、“あの娘”は俺と話すことが少なくなっていった。

 『勇者』の声を聞くと身体が一瞬、強張こわばるような反応を見せるようになり、毎晩『勇者』の部屋から帰ってくると、俺にしばらく部屋を出て欲しいと頼むようになった。


 そしてある夜、“あの娘”は夕飯を吐き戻した。俺は心配したが、彼女は何でもないと怒ったように言うので、それ以上は何も言えなかった。

 そしてその後、いつものように『勇者』の部屋へ行ったが、その夜は珍しく三十分ほどで帰ってきた。

 彼女は帰ってくるや、すぐにベッドに横になった。

 俺は何も声をかけることができずに、彼女の方を見ながら座っていた。

「子ども。『勇者』様の」

 ふと彼女はこちらに背を向けたまま呟いた。俺に向けた言葉だったのか、独り言だったのか。

「ごめんね」

 なにが「ごめん」だったのか。今でも俺にはわからない。が、少なくとも彼女は“覚悟”していたのだろうと思う。


 ◆


『勇者』には将来を約束した女がいた。

 その女は“王妹”だった。

 “あの娘”が身籠ったことを知った『勇者』は酷く慌てて“あの娘”を問い詰めていた。

 何故“あの娘”を問い詰めるのだろう、と俺は不思議に思った。『勇者』からしたら、子が出来るのは喜ばしいことではないのか。

 それからすぐに俺たちは『勇者』に連れられて、『王都』へと戻っていた。『王都』へと戻る道中、俺たちは誰も何も喋らなかった。

『王都』に着くや、『勇者』と共に『王妹』に謁見えっけんすることになった。『王妹』が“あの娘”の顔を見た時の表情は忘れられない。俺たちはすぐに“奴隷”部屋へと戻されたが、“あの娘”はその晩、物々しく兵士たちに連れられて行った。


 そして翌日、“あの娘”の首が城市じょうしに晒されていた──


 ◆


 “あの娘”の首を見た。

 とても死んでいるとは思えないほどに、美しかった。

 その表情には、怨みも怖れも無かった。

 笑っている、とさえ思った。


 俺は生まれて初めて“理不尽”を感じた。


 俺たちは怖れすら抱けない。

 他人の都合で容赦なく命を奪われ、そのことに対してすら何も思えない。


 俺たちは、生きているのか。


 そんな疑問は湧いた。


 怒りは湧かなかった。湧かないようにされていた。


 涙も出なかった。出ないようにされていた。


 ──ああ、俺は生きていないのだ。


“理不尽”とはこういうことなのだろう。

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