第36話 出すぎた杭でも、打たれ強く。②
「っ!?」
じゃらじゃらと銀色に光る手錠を揺らしながら、佐久間さんは私の方へ近づいてくる。
その表情は恍惚としていて、今まさに獲物を喰らおうとせん獣のよう。
どうする私、このままじゃまずい。
とりあえず早く逃げ――――
私がベッドから飛び降りようとした瞬間、かしゃんと音を立てて手錠は床に落とされる。
「あはは、なんてね。冗談だよ。こんなの使わないって。おもちゃだし♡」
「な、なんでわざわざそんなこと……」
私は胸を撫で下ろしながら、佐久間さんに遺憾のイを込めた視線を向ける。
まぁ、理由なんてないか。
あの佐久間さんのことだし、とりあえず本気で襲われなかったことを喜ぶべきか。
「手錠じゃなくて、本当に出したかったのはこっちだよ♡」
佐久間さんは再び紙袋を漁ると、取り出した何かを私の前にばっと掲げる。
それは……えっと、何だあれ?
「……佐久間さん、それは?」
「ぱんつ♡」
佐久間さんはあざとく首をかしげながらウィンクをする。
しかし、私は状況を飲み込めない。
確かにそれには、縦に長い布の部分もある。
いやでもぱんつなわけあるか、あれはただの紐。
そういうデザインだとしても限度ってものがあるでしょう。
「もちろん上もセットだから安心してね♡」
「もっとできませんっ!! どういうつもりなんですか佐久間さ……ってうわあっ!?」
私がその下着のような何かを直視できず目を逸らしていたうちに、佐久間さんはてきぱきとワンピースを脱ぎ始める。
やがてプールのタオルみたいに綺麗にパージして、あっという間に佐久間さんは下着姿になった。
「ほら、これちゃんと下着だよ?」
「見せなくていいですから!!」
同性同士下着なんてわけないが、問題はさっきの紐の黒いバージョンを佐久間さんが身に着けていたことだった。
……だめだこの人、早くなんとかしないと。
そうだ、お兄ちゃんを呼べばさすがの佐久間さんだって――
私がそう思い浮かべた瞬間、なんとも都合のいいことに部屋の扉が開く。
「はいはいパンケーキが焼けうおおおおおおおおおおおおっ!?」
「あ、怜音さん♡ わざわざありがとうございますっ♡」
しかし佐久間さんは一切動じずにお兄ちゃんからパンケーキの皿を受け取り、一方のお兄ちゃんは顔を真っ赤にしてばたばた階下へ降りて行ってしまった。そして多分途中で転んだ。
うっわ使えねぇ~!!
そんなんだから彼女もできないんだよばーかばーか。
「それで、かのんちゃん。どうしてさっきからぼくが醜態を晒しているのかと言うと」
醜態という自覚はあったのか。
どちらかというと醜態を晒していたのは私の兄ですが……ゲフンゲフン。
私は階下から聞こえてくる絶叫をとりあえず無視して、佐久間さんの言葉に耳を傾ける。
「かのんちゃんがこころんを、誘惑できるようにするためだよっ♡」
△▼△▼△
私はひどく後悔していた。
もちろん、佐久間さんを家に入れたこともそうだし、
「わぁ、かのんちゃん似合ってるよ~♡」
何よりも、この人の口車に乗ってしまったことにだ。
「すっごいスース―するんですけどぉ……」
「じきに慣れるよ♡」
佐久間さんの話はこうだった。
①佐久間さんとの訓練によってスーパーセクシーガール如月 かのん爆誕。
②こころちゃんを悩殺しハッピーエンド。
……いやあほか。
それに工程が雑。
大体、仮に私が聖さん並みのナイスバディを手に入れたとして、こころちゃんが振り向いてくれることは絶対に無いだろう。
今の私のままでちょっとエロくなったくらいで変わるわけがない。
「ていうかかのんちゃん、意外にあるんだね。少なくともこころんよりはあるよ」
「う、うるさいです」
でもなんだか、
「さぁ~て♡ かのんちゃんにはぼくのテクニックを全て覚えてもらうよ。まずは語尾にハートをつける方法だね♡」
「それって意図的にやってたんですか……」
「うん、そうだよ。それに覚えれば応用も効くんだ☆」
「ええ……どういう原理なんですかそれ」
こんなバカなことをしているだけなのに、胸の奥がすっきりしていく。
決して痛みがひいていくわけじゃない。
でもほんの少しだけ、楽になっているような。
「えっと…………こころちゃんっ♤」
「うーんまだまだ。かのんちゃん、七点♢」
私の部屋でふたりきり。
あられもない姿で意味の分からないことをしている。
決して何も起こらないはずなのに、何かが変わっていくような気がした。
△▼△▼△
「こ、こころちゃんっ♡」
「わーお、今のはほとんど完璧だよかのんちゃん!! 九十五点!!」
なんだかんだで気付けば日が暮れ始めていたので、私たちは数時間前にお兄ちゃんが持ってきてくれたパンケーキと紅茶をいただいて解散することにした。
「……結局、何が目的だったんですか?」
「最初に言ったじゃん、かのんちゃんを慰めに来たんだよ」
佐久間さんはすっかり冷めているであろう紅茶にちびちび口をつけながら言う。
「でもどうして……」
「もう、それもぼくはずうっと言ってるよ?」
私がパンケーキを口に運ぼうとすると、佐久間さんは身を乗り出して私をじっと見つめる。
だだをこねる子供のようなその瞳は、いつもより自然体な髪型も相まってどこか幼く見えた。
「かのんちゃんのことが、好きなんだってば」
その言葉にはごまかしもぼやけも何もなかった。
まっすぐなようでどこか歪だけど、確かに形のあるもの。
「……でも、こころちゃんも聖さんも好きなんですよね。あ、あと城崎さんにもキスしてたし」
「そういう素直じゃないところがあるから、かのんちゃんは他の人よりも特別だよ♡ これはちゃんと本気だからね」
思ったよりも佐久間さんは本気のようで、私は少し気恥しくなってパンケーキを口に運ぶ。
「でもかのんちゃん、前も言ったけどこれからはもう少し素直になるんだよ?」
「それって、どういう?」
佐久間さんが急に真面目なトーンで話し出して、私は思わず息をのむ。
「こころんとのこと、まさかこのまま終わるつもりはないよね♡」
どくん、と心臓が跳ねた。
……やっぱりそうだよね。
佐久間さんも過去がどういうものにせよ、しっかりとけじめをつけたからこそ今の振っ切れた佐久間さんでいられるんだと思う。
私もしっかりとけじめをつけて、変わらなきゃいけないんだ。
ただ終わらせて、終わりじゃない。
その終わりの先で私が次にどう始まるか、なんだ。
「……私、こころちゃんに告白してきます」
「よしよし、良く言ったよかのんちゃんっ♡」
けっこう考えたけれどやっぱり、これしかない。
でも本当に怖い。告白するなんて始めてだし、しかも失敗が確約されているんだ。
「でもなるべく早くすること、だよ? そう、いわば『花の咲く間に』――これぼくのうちの家訓ね♡」
佐久間さんはあっけらかんとした表情でそう言った。
「どれだけ熱い想いだって、明日には想い疲れてしおれているかもしれない――そういうものだよ」
その言葉には、きっと裏も表も無かった。
「まぁでも、かのんちゃんならきっと余裕だと思うよ」
「……そんな。私のこと、何だと思ってるんですか」
私がぽろっとそうこぼすと、佐久間さんは妖しい笑顔を浮かべながら、甘ったるい声で言った。
「小っちゃくてかわいい、いじっぱりな女の子……かな♡」
私はからかわれたようで恥ずかしくなってつい目を逸らす。
でも今だけは、それが勲章のように思えた。
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