第34話 みんなハッピーエンドなんて、できすぎている。

 始まる前の不安や緊張に反して、淡々と演劇は進んでいった。


 なんか、案外呆気ないなぁ。


 私は次の場面のために衣装を着替えながら、胸に穴が空いてどんどん広がっていくような感覚に襲われていく。


 ――――そしてついに始まった冬、最後の場面。


 白い紙吹雪が舞うステージの上で、私とこころちゃんはふたり並んで歩いている。

 私たちを照らす照明は今までよりも暗かった。


「うう、寒いや」

「桃香ちゃん、手袋してないの?」

「……忘れちゃったの」


 私が恥じらいの気持ちを込めながらセリフを声に出す。


「じゃあほら……こうするとあったかいよ」


 こころちゃんに手を握られ、演技だと分かっていてもやっぱりどきっとする。

 ふわふわの手袋の向こうの温もりが、私の手をじんわり包んでいった。


「この前高校生になったと思ったら、もうこんな季節だよ」

「そうだね、あっという間」

「……結局、恋人できなかったなぁ。好きだった人にも、ぜんぜん何もできなかったし」


 私が独り言のように言うと、こころちゃんは私をじっと見つめながら手をより強く握った。


「うん、あたしも。でもね――」


 その瞬間、今まで少し暗めだった照明の彩度が一気に上がる。



「――――今、やっと手を繋げたよ」



 ふわりと笑うこころちゃんが柔らかく照らされて、神々しささえ感じた。


「え、それって……」


 私は目を見開いて、セリフを言いかけた所で口を止めて唇をきゅうっと結ぶ。



「桃香ちゃん、あたし……ずっと、ずぅっと好きだったんだよ」



 こころちゃんは今にも弾けて消えてしまいそうな、どこか危うい笑顔でそう言った。

 私がこころちゃんの告白を目撃したあの日、私が初めて見たこころちゃんの笑顔。


 思えば、あの時からだったのかもしれない。


 私も。私もだよ。

 私も、ずっと好きだったんだよ。


 それは私の言葉なのか、桃香の言葉セリフなのか。


「……ねぇ愛里。私もきっと――――」


 曖昧なまま、私の口から零れ落ちた。



「――――ずっと、好きだった」



 じっと私を見つめているこころちゃんの瞳の端に、雫が溜まっていった。

 それはやがて頬を伝って、上がった口角に沿って曲がっていく。

 

「あはは。やっと、やっと気付いてくれた……」


 ぽろぽろと涙を零しながら、こころちゃんは私に抱き着く。

 

 もう、こころちゃん。そんなの脚本にないってば。

 物語はここで終わったんだ。


 観客席からたくさんの拍手が私たちに向かって飛んできて、この場の誰もがそれを理解していた。


 でも、少しだけ。

 もう少しだけこの感触に浸っていたい。



「…………私に気付かせてくれて、ありがとう」



 その台詞を言った頃には照明は暗転していて、幕が閉じていくところだった。

 お客さんの一人にだって届いていないだろうし、何ならこころちゃんにさえ届いたのかもわからない。


 でも、それでいい。


 初めから脚本にない私の台詞なんて。

 初めから脚本にいなかった私がここにいれるだけで、きっと幸せだったんだ。


 そして幕が完全に閉じて、その向こうで拍手もだんだん止んでいく。


「……あ、かのんちゃん。ごめんね? あたし勢い余っちゃって」

 

 こころちゃんが演技を終えて、私の体から手を離そうとした。

 私はその手を必死に引き留める。


「かのん、ちゃん?」

「……もうちょっと」



 もうちょっとだけ、ここにいたかった。




△▼△▼△




 そうして私たちの演劇は大成功で幕を閉じた。

 でも、私たちの本番はこれから。


 私はすっかり打ち上げムードなクラスを抜け出して、一足先に中庭に向かっていたこころちゃんの元へ走った。




△▼△▼△




「お待たせ、こころ」

「……だ、大丈夫っ!! ぜんっぜん待ってないから!!」


 中庭の噴水広場に着くと、ちょうどそこに聖さんが到着したところだった。

 こころちゃんは聖さんに気付くとぶんぶんと手を振る。

 

 二人が噴水の前で向かい合うと、こころちゃんは手を後ろで組んで、ゆっくりと話し始める。


「ねぇ聖、あたしたちの演劇どうだった……?」

「……うん、素敵だったよ。ちょっと泣きそうになっちゃった」


 聖さんのまっすぐな言葉に、こころちゃんは動揺して目を逸らす。

 そんな彼女を見て、聖さんはいたずらっぽく笑った。


「愛里ちゃん……いや、こころがすっごくかわいかったなぁ」

「ふふん。そうでしょ? でものメイドもすっごくかわいかったよ」

「も、もう。……いいから」


 うーん、成長を感じる。

 あの日の告白では聖さんにたじたじだったこころちゃんが、反撃までできるようになって……。


 いやはやつい後方腕組み師匠ヅラしてしまう。

 まぁでも、私が育てたというのは間違っていないよね。


 そう自分の中で結論づけると、私は再び草葉の陰からふたりに視線を向けた。


「それでこころ、何の用事なの?」


 聖さんは余裕そうな笑みをたたえながら、かすかに声を震わせて言った。

 

「その顔、もうわかってるんでしょ」

「そうだとしても……私の口からは言えないよ」


 聖さんの表情が、わずかに揺らぐ。

 妙な雰囲気が、あたりに立ち込めていた。


「ねぇ、聖」


 こころちゃんはスカートの端をぎゅうっと握りながら、聖さんの方へ一歩踏み出す。

 その表情には、緊張と高揚が入り混じっていた。

 


 こころちゃん、頑張って。


 

 「……こころ」


 聖さんは目の前でもじもじし続けるこころちゃんをじっと見つめている。

 いつの間にか耳まで真っ赤になったこころちゃんは、仕切り直すように頷いて、顔を上げた。


「聖……」

「大丈夫、ちゃんと聞かせて」


 二人の視線が交わる。

 こころちゃんは潤んだ目を見開いて、聖さんの手を握った。



「あたし……聖のことが、好き。他の誰よりも好き。やっぱり、このままじゃ我慢できないの。だからあたしと――――」



 それはあの日のこころちゃんが、手放しかけていた言葉。

 私が繋ぎ止めた、大切な言葉。


 そのまま握った聖さんの手を、ぐいっと自分の胸元に寄せる。


 そして叫ぶように、響かせるように、言った。



「―――付き合って、ください!!」

 


 聖さんはきゅっと目を瞑ると、握られていた手を優しくほどいた。


「……聖?」

「その、ごめんねこころ。私、こころのこと――っていうか、『好き』って気持ちのこと、ちゃんと分かってなかったんだ」


 聖さんは少し気まずそうにたはは、と笑う。


「だ、だから……?」


 こころちゃんは急かすように聖さんへ歩み寄る。


「正直、今もよく分かってないところもある。私が誰を『好き』か、とか――――」


 こころちゃんは聖さんの言葉を聞いていくにつれて、不安そうに眉を歪ませていく。

 聖さんはそんなこころちゃんの頬をそっと撫でながら、優しい声で言った。



「だから私は、それをもっと教えてほしいの。こころに」



 こころちゃんは一瞬だけまばたきをして、息をのむ。

 そのまま視線を落とし、指先をそっと握りしめた。


「……あたしで、いいんだよね?」

「うん、私はそう思ってる」

「…………あたしが、いいんだよね?」

「う、うん。こころと一緒に、たいなって」

「わかった。聖、ぜんぶ教えてあげる。あたしが、ぜんぶしてあげる」


 そしてこころちゃんは聖さんの腰に手を回して、顔を上に向けて目を閉じる。


「…………どうしたの?」

「も、もうっ!! そこからなのっ!?」


 唇を尖らせて、頬を赤く染めながら身を寄せる。揺れる前髪の奥、眉が困ったように寄っていた。



「……キス、だよ」



 そう言ったこころちゃんの指先にそっと力がこもると、聖さんは静かに頷いて、おもむろに軽く屈んだ。


「んっ……」


 やがて、ぎこちなく唇が触れ合う。

 それからしばらくは春の終わり頃の風が、ひとつになった影を優しく揺らしていた。



 

△▼△▼△




 ああ、なんて尊いんだろう。美しいんだろう。

 私はずっとこれが見たかったんだ。これを求めていたんだ。


 最高の『百合』が、今まさに目の前で咲き誇っている。


 これでもう全部終わったんだ。

 この胸の痛みも、やるせない気持ちも、くだらない嫉妬もぜんぶ無くるんだ。


 それなのに、



「……なんで、なんでなの」



 涙が出てきた。


 心臓が今までにないほどに熱く、早く鼓動していた。

 瞳の端から涙が溢れて、頬を伝って落ちていく。



 その涙は、いつまで経っても止まらなかった。

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