第1話 あたまのなかが百合すぎる。
チャイムが鳴って、私は目を覚ました。
穏やかな風が吹く四月の中頃。窓の外では桜がもう散り始めている。
そんな春の陽気に誘われたのか、私は居眠りをしていたようだった。
「――さて、今日の授業はここまでです。それでは」
国語教師は無表情のままそう言うと、てきぱきと荷物をまとめて教室を出て行く。
……授業、ぜんぜん聞いてなかった。
新学期の初っ端から失敗してしまった。
ここ、『
どの教科も凄まじい早さで進んでいくため、授業たった一回でも他の生徒と大きな差が開く。
このままでは成績が落ち小遣いを減らされ、趣味に使うお金がなくなる。それは嫌だ。
私はすぐに黒板の内容をノートに書き写し始めた。
短歌の授業を行っていたようで、万葉集に収録されている短歌がいくつか挙げられている。
その中のひとつが私の目に止まった。
「『夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ』かぁ」
――ひっそりと咲く百合のように、人に知られない想いは苦しいもの。
切ない恋心を百合の花と重ねて詠んだ歌。
「え、めっちゃ儚エモい……」
私はそれに百合の波動を感じて、思わず声を出してしまう。
先ほどまで眠らせていた衝動が解き放たれ、胸がざわめく。
ここでいう百合とは、ユリ目ユリ科ユリ属の植物のことではない。
女性同士が紡ぐ濃密な関係性を描いた物語、もしくはそういった恋愛観を持つ女性のことを指す。と、ここでは定義しておく。
そして私、
へぇ、やるじゃん。いいじゃん。
作者が誰かわからないけど、その人がわかっていることはわかる。
純粋な恋心を性別という壁に阻まれ葛藤する少女。そんな風に悩んでいることさえ想い人には伝わらなくて……。
「ふ、むふふ」
ああもう我慢ならない。発散しないと。
これは入学初日に封印したつもりだったが、禁忌のクラスメイトナマモノカプ妄想。これを行わざるを得ない。
教室を見渡すと、クラスメイト達がめいめいに休み時間を過ごしている。
……あ、見つけた。
私はその中に、ひっそりと咲く『百合』を幻視した。
バレー部の
机のそばに立っている楠木さんは、座ったままの花岡さんに熱心に話しかけているようだった。
「頼むよ花岡、一緒にバレーしようよ~」
「わ、私には無理だよ……。それにすぐ部活、辞められないし」
楠木さんは花岡さんの肩を軽く揺らしながら、子供みたいにねだる。
花岡さんは困惑しながらも、柔らかい笑みを浮かべていた。
「ん~じゃあさ、私が美術部に入るっ!! バレーは今日で引退!!」
楠木さんは人差し指を立てながら堂々と宣言した。
「本当に? でも、楠木ちゃんすっごいバレー上手で……やめちゃうの?もったいないよ」
花岡さんは不安そうな顔で楠木さんを見つめている。
すると楠木さんは一瞬表情を曇らせて――すぐに笑顔を作る。
「いややっぱやめない!! でもその代わり、今度の試合見に来ること。約束ね?」
「うんっ。私、楠木ちゃんがバレーしてるところ、かっこよくて好き。だから、絶対行くよ」
「……うん、ありがと。花岡」
なんて美しいのだろう。これこそまさに人知れず咲く秘め百合。
なお、距離が離れていて会話の中身はわからなかったので、私が補完しておきました。くす×はな、あります。
さて、次だ。
おっ? チア部の大和さんが茶道部の千歳さんに抱き着こうとしているではありませんか。
いけない、それはいけない。
身を寄せ合って感じるぬくもり、何だかもどかしくも心地よいその感覚に名前をつけて――
「きゃははははっ!!」
そのとき、私の視界にいくつかの影が割り込んだ。
「ちょ、こころお前うるさすぎ、どんだけ笑って……ぎゃははははっ!!」
「だってさぁ、だってないじゃんそんなの~!!」
心底楽しそうな声が教室内に響く。
この教室の中心。
一人の女子とそれを取り囲む男子達が大声で笑い合っていた。
私は聞き耳を立てながら机に突っ伏す。なぜなら怖いから。
「まじでさぁ、そんなんだからフられんだって。わかってないねぇ、オトメゴコロがぁ~」
彼女は
校則違反だらけのくるくる巻いた茶髪が特徴。
いわゆるギャルだ。
彼女はいつも男子とつるんでいて、教室内で女子と話している姿を見たのは数えるほどしかない。
それを見た男子の願望と女子の嫉妬が合わさって、ついたあだ名は『ビッチ』。
ひねりのないただの暴言だ。
だが正直なところ、私も彼女が苦手。
陽キャ感マシマシで怖いし、何よりも男子とばかり絡んでいるので彼女に百合を見出せない。
こういうのがあるから、私は女子高に行きたかった。
あそこは百合を見出すどころか実際に育んでいる様を見れるんだから。お姉さまとの禁断の恋が始まるんだから。
国語のユイ×マイ、数学のヒナ×カオ。
彼女らさえいなければ私は今頃――でも尊かったなぁ。
「いや~マジおもろいわ。ていうかこころ、乙女心とか言ってるけどお前はどうなんだよっ!?」
「はっ? あたしは乙女に決まってるでしょ、あたし女の子だよ?」
「でもこころさ、女の友達いないんじゃ~ん?」
私が思い出に浸っていると、男たちが犬塚さんをからかうのが聞こえてきた。」
「い、いるもん」
「ほんとかぁ~? 男の俺らより女っ気ないだろ」
中々嫌味な内容である。
いやまぁ私としても犬塚さんに女友達がいるとは思えないが。
この前だってクラスの怖い女子に『犬塚とは仲良くするなよ』って釘刺されたし。
言われなくても一生ああいう人種とはお近づきになれないと思うけどね。
「……はぁっ!?」
そのとき、いじりに耐えかねたのか犬塚さんがドスの利いた声を出す。
一気に教室の喧騒が静まった。
「あんたらまじ失礼すぎっ!! 友達、いるし!! B組の
……ん?
今、犬塚さんのルビがちょっとおかしかったような。
まぁ、気のせいか。
犬塚さんはかなり怒っているようだったが、またすぐ男子たちにからかわれてしまっていた。
一時は凍り付いた教室の空気も、何事もなかったように流れていく。
しばらくしてチャイムが鳴った。
「あ、鳴っちゃった。はぁ…………」
後半は犬塚さんたちがずっと騒いでいて、妄想に集中できなかった。
名残惜しいけど、また次の機会にしよう。
私が気を取り直して顔を上げると、ふと犬塚さんが目に入った。
さっきのいじりをまだ気にしているのか、どこか不機嫌そうにスマホの液晶を指で叩いている。
やはりどんな人にも、譲れないものというのがあるんだな。
それを守るために戦う人間は美しい。
たとえば……恋心とかね。
私はそういう一筋縄ではいかない百合が好きなんだ。
犬塚さんも、ひょっとしたら――
「えーカラオケぇ? 放課後ぉ? …………行っきまぁーす!!」
なんて思った矢先、もうすっかりいつも通りな犬塚さんの声が響いた。
いやまぁ、さすがにないよね。
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