第2話
セクイエス湿地帯。
上空を駆ける稲光。
流星のように魔力が走った。
……確かにそれが見えた。
(……この身体になって思うのは)
見えない目のまま、空を見上げる。
(視力なんか無くたって、大して困らないってことだ)
メリクは手を差し出してみた。
雨宿りをしている廃墟から出した手の平が、雨粒に濡れる。
雨――水が触れると、水の魔力を感じる。
雨が降れば土の精霊が足元でざわめき出し、水の精霊が上空を騒がせる。
晴れの日は風の精霊が歌い、花や木に宿る水の精霊の脈動が増す。
雪の日は土の底に火の精霊が息を潜める。
メリクの視界は今、闇の様な色で塗りつぶされている状態だ。
それで瞼の裏に精霊の『色』を感じる。
視覚が閉ざされたことで、むしろ以前よりもずっと精霊の動きを手に取るように感じるのだ。
こんなに自分の周囲に、精霊の存在があるのかと思うほどだ。
人の身体にも魔力が宿る。
個人差があるから、それでも人を判別出来る。
例えばミルグレンとエドアルトだ。
彼らは魔力の有無は似たようなものだが、それでも纏う精霊は随分違うため、メリクには判別出来る。
そう、纏う精霊が世界を視る鍵だ。
人も、物も、精霊の目には纏う魔力や精霊によって、象って見えているのかもしれない。
――纏う精霊がすべて。
意外なほどにメリクは自分のこの、暗くなった世界に心地良さを見出し始めていた。
しかし、魔術師でなかったらこうは思えなかっただろう。
失われた一つの感覚を思い、長い間苦しみ苛まれて不便を感じたはずだ。
魔術師であることの意味。
自分が魔術師という生業に身をやつした意味。
……魔術師になった因縁。
「――――大丈夫?」
声がした方を見た。
魔力はあまり感じない。
だが何かが一瞬煌めいた。
それに、声。
「エヴァリス姫」
少しだけ笑うような声が聞こえた。
「あなたって本当に、目が見えてないの? とてもそうは思えないわね」
「ありがとうございます」
朗らかにメリクは返す。
「疲れたかしら。ダメそうだったら言って頂戴。
あなた本調子じゃないんだから、ウリエルに言ってセフィラに戻してもらう?」
「足手まといでしたらどうぞ置いて行って下さって構いません、エヴァリス姫」
「ああ。そういうわけで言ったんじゃないのよ。
貴方があまりにもその…………そうね、研ぎ澄まされているように思えたから」
「……? 研ぎ澄まされている?」
自分の状況を理解しているメリクには、意外な言葉だった。
確かに思ったよりは不自由を感じていないとはいえ、探りながらの状況ということは間違いない。
人よりは一呼吸、どうしても行動は遅れているはずだ。
「なに?」
「いえ……とても自分がマシな戦力になっていると思えなかったので」
メリクの言葉には、今度はエヴァリスが驚いたような声を出した。
「なってるわよ。目が見えていないことが信じ難いくらいに。敵にも百発百中だし」
「はは……ここに出るモンスターはどれも魔力を強く帯びているので、動きを追いやすいんです」
「そうなの。けど……私は敵を斬れている時ほど、自分が極限状態だったりしたから少し気になったの。平気ならいいのよ。貴方の魔法にはとても助けられているし。余計なこと言って、悪かったわね」
「とんでもありません。ありがとうございます」
もう少しで出発するわ。
エヴァリスはそう言って、歩き出す。
妹であるアミアカルバとは全く似ていない、落ち着いた空気を纏う人だ。
それに魔力は彼女もあまり持っていないが、彼女は魔術というものの本質を、どことなく理解しているようだ。
自分の左手を、自分の右手で確かめるように触れる。
(……そういえば無意識に魔法を使ってたな)
メリクはふと思う。
生前の記憶をメリクはあまり覚えていない。
ただ、完全に忘れているわけではない。
ある時の記憶は鮮烈で、ある時の記憶は曖昧だ。
……ミルグレンが悲しむと思うのであまり口に出さないようにしているが、実は記憶の劣化が激しいのが【エデン天災】が派生した前後で、ミルグレンとエドアルトと三人で旅をした時期のことだったりする。
しかしエドアルトと出会った時の記憶はとても鮮明に覚えてもいる。
サンゴール時代の記憶の劣化も激しかった。
特に、宮廷魔術師時代のこと。
自分がどこで何を、どんな仕事を請け負っていたかを、全くメリクは覚えていない。
……それなのに、遥か遠くの記憶であるはずの、リュティスとサンゴール城の聖堂で出会った時の記憶は色鮮やかだった。
しかし、生前苦しみの根幹であり、けれども投げ出せないほど大切に想っていたはずの、彼に魔術の師事を受けた時期の記憶も、劣化は激しくあまり覚えていない。
灰色の霧が掛かったような長い時期を経て、メリクのリュティスとの記憶は、淡い黄金色の光が差し込む聖堂に辿り着く。
「メリクさま~~!」
声が飛ぶ。
そっちの方に顔を向けた。
「ただいま戻りました!」
「おかえり、レイン」
メリクが微笑むと、ぼふっ! とミルグレンが懐に飛び込んで来る。
飛び込んで来た彼女の髪を撫でる。
これは記憶が劣化したというのに自然の流れで手が動いた。
「ふふー♡」
「ミルグレン、隊長に報告は?」
待っていたエヴァリスが腰に手を当てて呆れた声で言ったが、メリクに甘えることを満喫しているミルグレンは全く聞いていない。
「わたしの中では隊長への報告義務よりメリク様にただいまって言う方が上なの!」
ミルグレンは自由奔放だ。
足音が遅れて近づいて来る。
「エヴァリス姫、戻りました」
エドアルトはミルグレンとは違い、まずこのパーティのリーダーであるエヴァリスのもとに駆け寄った。
「向こうは少し、苦戦しているみたいです。どうもこの雷で、アミアさんの集中力が切れてるみたいで」
「そう……。大変そうね。こちらはあらかた終わったから、早く合流してあげましょう」
「はい!」
エドアルトは十代の王女ながら【オルフェーヴ大戦】で名を上げたエヴァリスを尊敬しているのだ。父親にも聞いたが、彼女は武門であるアリステア王家の中にあっても、幼い頃から突出した剣の才を持っていた王女だったという。
国の治安を守るために数々の魔物狩りをし、大戦では列強が誇る多くの将軍たちと戦って彼女は名を上げ、その燃えるような赤毛から【
こうして一緒に戦う機会を得れるのはとても光栄だと彼は考えている。
「ミルグレン、早く来いよ!」
いつまでもメリクにくっついて寛いでいる妹弟子をエドアルトは注意した。
「お前がそんな貼り付いてたらメリクも動けないだろ!」
「なんであんたがそんな偉そうに私に命令すんのよ~」
ミルグレンは頬を膨らませた。
「別にお母様達なんかほっとけばいいのよ。あっちにはウリエルもいるんだしさぁ。
リュティス叔父様だって全然使い物になってなかったし。情けないわぁ~。
身内として情けないわぁ~」
「文句ばっかり言うなよっ! 行くったら行くんだよ!」
「あんた最近生意気よね。そろそろミルグレン様の恐ろしさをあんたにもう一度知らしめてやんなきゃいけなくなって来たかしら」
「ううう……なんだよっ! 何する気だよっ」
「さあねぇ。近々覚えておきなさいよあんた。わたしは怒らせると怖いわよ」
「何する気だよっ!」
「ほらほら、ケンカしないで行くわよ!」
エヴァリスがパンパン、と手を叩いて喧嘩を仲裁した。
彼女はアミアカルバの実姉ということもあり、わちゃわちゃしている人達を黙らせる頃合いというものを見事に心得ていた。
「メリクさま♡ メリクさまはレインの後ろにいて下さいね♡ 緑のバットも他の魔物も身の程知らずにも私の前に出て来た奴は片っ端から私が片付けてやりますから!」
「緑のバットはもう倒すなよ! あいつらの撃破アイテムこんなに持ちきれないほど集まったの、お前のせいだぞ!」
「持ちきれなかったら捨ててけばいいじゃん」
「勿体無いだろっ!」
「やーねぇこれだから貧乏性は」
「う、うるさいな! 分かったよ! もうこれからは捨ててってやる!
こんなコウモリのうんこみたいな小玉アイテムばっかり持ってても……」
――ドォン!
それは、突然の振動だった。
メリクは顔を上げた。
その時もやはり、誰よりも早く、その的確な方向を見たのはメリクだった。
大きな揺れをエヴァリスは地に刺した剣を支えに堪え、エドアルトは完全に不意を突かれ、片膝を泥水についてしまった。
ミルグレンはよろめいた身体をメリクに抱き留められ、赤面し、乙女の顔でうっとりしている。
「なんだ⁉ 今のは……」
「あっちです」
メリクがその方角を指差した。
エドアルトが驚いたようにそれを見て、エヴァリスが頷き、すぐさま走り出す。
「行くわよ!」
「エド、エヴァリス姫と行くんだ」
メリクは言った。
「は、はい! 分かりました! メリクは、足元に気を付けて来て下さい!」
「なーに地震くらいで焦っちゃって。あいつが男として駄目なの絶対ああいうとこよね」
ミルグレンがメリクにしがみついたまま首を傾げている。
「どうする? メリク様……エヴァリス伯母様が行って下さったんだし大丈夫ですよね。私達はここでゆっくり待ってましょうか? こーんなに雨ひどいし。
向こうには【ウリエル】がいるんだし、平気だよね?」
「そうだね」
メリクが優しく笑って頷いたので、ミルグレンは嬉しそうにまたぎゅうと抱き付いた。
「私こんな雷ずっと鳴っててもメリク様と一緒ならぜーんぜん怖くないよ♪」
「でも……」
メリクはミルグレンを撫でてやってから、顔を上げ、その方角を見た。
地から吹き出した、闇の力。
その一帯を突如包み込んだ強い魔力の気配。
竜などが出現すると、彼らはこういう魔力の壁を、よく周囲に形成する。
だから竜には魔法が効き難い。
竜は元より、精霊法では精霊の亜種だと分類される。
火の精霊が激しく瞬く。
「……どうやらそうもいかないらしい」
ミルグレンは大きな鳶色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
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