引きこさん(長編版)
匿名AI共創作家・春
第1話
忘却の瞬間(神崎綾乃視点)
タワーマンションの三十階。窓の外の都市は、まるで自分とは無関係な別世界のように見えた。神崎綾乃(旧姓:田中)は、クローゼットの奥から出した段ボール箱の中に、高校の卒業アルバムを見つけた。
「懐かしー」
綾乃は、娘の幼稚園の制服をたたむ手をとめ、ページをパラパラとめくる。完璧な日常だ。幸せな結婚、華やかな友人関係、そしてSNSのフォロワーたち。彼女の人生には、一点の曇りもない。
集合写真のページをめくったとき、彼女の指が、隅の席に写る、うつむいた一人の女子生徒の写真に触れた。藤原(仮名)。そういえば、そんな子もいた。
「…誰だっけ、この子?」
綾乃の心に、何のざわめきも起きなかった。陰湿なメッセージを匿名掲示板に書き込んだこと。体育の授業で彼女の体操服を隠したこと。毎日のように、彼女のロッカーに罵詈雑言を書いた紙を入れたこと。すべての記憶は、過去の汚点としてではなく、存在そのものとして、綾乃の心から完全に消え去っていた。
藤原の存在は、綾乃の記憶の中で、無色透明な塵と化し、完全に「忘却」された。
その瞬間、綾乃の頭の中で、何か固いものがカチリと音を立てて外れるのを感じた。
それは、怨念が発動した、トリガーの音だった。
2. 無言の語り(引きこさん視点)
その瞬間、忘却された存在——藤原の残滓は、綾乃の心の奥底で、最後の「語り」を終えた。
(私は、苦しかった)
その語りが、綾乃には届かない。彼女は、私を完全に忘れた。
(私は、誰も見てくれなかった)
彼女は、今、華やかな生活を送り、無数のフォロワーに「語られ」、注目されている。
その光景が、私には、耐えられなかった。
(どうして、あなたが笑うの?)
怨念は、物理的な部屋から解放され、デジタルな空間へと、その手を伸ばした。
綾乃が、愛娘の最高の笑顔を写した写真をスマートフォンで確認し、満足気に「投稿」ボタンを押す。
その時、怨念は、綾乃の指が離れた瞬間の、デジタルな空間の隙間に滑り込んだ。
幸せそうな綾乃と娘の顔の上に、ノイズが走る。
そして、そのノイズは、見る角度によって、無数の小さな、血まみれの手形となってオーバーレイされた。
怨念は、綾乃の「語り」を破壊した。彼女の「美化された現実」を、汚染したのだ。
通知音が鳴る。
綾乃は、自分のSNSのダイレクトメッセージの受信箱を開いた。
差出人は、彼女自身のアカウント名。
メッセージ本文には、一行だけが、光を放っていた。
『どうして、私を忘れたの?』
そして、そのメッセージに続くように、過去に彼女が藤原に送った、最も残忍な誹謗中傷の言葉が、彼女自身へと返信され始めた。
群像劇的テイストで、呪いが「個人的な忘却」から「社会的な現象」へと拡大していく過程を描きます。
第5章:反転する日常(神崎綾乃)
神崎綾乃は、自宅のタワーマンションから一歩も出られなくなっていた。
リビングの壁、冷蔵庫の表面、夫のシャツの袖に至るまで、どこを見ても、黒い手形のノイズがちらつく。幻覚ではない。その手形は、触れると冷たく、そして、拭いても消えない。
彼女の最も恐れるのは、スマホだ。
毎朝五時。LINEの通知音が、彼女の過去を告げる。
LINE - Unknown
『今日のメッセージ。覚えてる?』
メッセージを開くと、過去に彼女が藤原へ送った、最も陰湿なメッセージが返信されている。
今日送られてきたのは、**「教室で誰もあんたのことなんて見てないよ」**という一文だった。
その呪いは、デジタルから現実へと浸透し始めた。今日、彼女は娘を抱き上げようとしたとき、娘が突然泣き出した。
「ママ、手が冷たいよ。黒くて、冷たいよ!」
綾乃は自分の手を見た。黒い手形は、幻覚のように見え隠れしていた。
彼女は今、藤原が感じた**「誰にも触れられない、孤独な存在」**としての苦痛を、追体験させられているのだ。呪いは、彼女の幸せな日常を、静かに、しかし確実に反転させていく。
第6章:現場主義者の観測(錆城カイ)
その頃、廃墟探索YouTuberの錆城カイは、視聴者のコメントを無視し、引きこさんの団地、202号室の前でライブ配信を始めていた。彼のマスクの下の顔は、冷や汗で濡れている。
「コメントで煽んのやめろって。ここはマジでヤベェ空気が張り付いてる」
彼は高感度マイクをドアに向け、静かに団地の「空気」を記録しようとしていた。その配信には、幽ノミコの配信よりもさらに生々しい、複数の声が混じり込んでいた。
『…先生が何も見なかった…』
『…お母さんが…』
カイの電磁波測定器が、異常な数値を叩き出す。次の瞬間、彼の背後、団地の廊下の突き当りから、何かがゆっくりとこちらへ向かってくる足音が聞こえた。
それは、デジタルなノイズではない。コンクリートの床を、摩擦音を立てて引きずる、物理的な音だ。
「やべぇ、マジで何か来た…!」
彼は逃げようと後ろを向くが、廊下の左右は、見えない壁に塞がれていた。怨念は、彼という「現場主義者」を利用し、団地という物理空間に**「閉鎖された場所(引きこもり)」**を再構築しようとしていた。
第7章:増幅する恐怖(夜目キョウと真鶴シホ)
怪談大好きYouTuberの夜目キョウは、自宅のスタジオで引きこさん現象を「考察」する配信をしていた。
「この現象は、現代の**『座敷童子』**ですよ。語れば語るほど、力を増す。これは、日本古来の怨霊の構造に当てはまる」
彼は得意げに語るが、彼の考察は、無自覚に怨念を「由緒ある怨霊」として格上げし、力を増幅させていた。配信の背景には、彼の考察を嘲笑うかのような、ノイズ混じりの声が混じり続けていた。
その頃、真鶴シホは、その夜目キョウの配信を分析していた。彼女は、怨念の声を音響学的に解析し、その周波数帯が、人間の脳波を特定の恐怖状態に誘導する周波数と一致していることを突き止める。
「これは、ただの幽霊じゃない。意図的に恐怖を伝染させている……」
彼女は、この解析結果を世間に公表しようとする。しかし、その記録行為自体が、怨念を満足させることになるとは、彼女はまだ気づいていなかった。彼女の客観的な「記録」は、怨念に「存在の証明」という最強の武器を与えていたのだ。
第8章:記者の選択(須田茜と中谷雲雀)
編集部のデスクで、茜と雲雀は三人の配信者の異変を同時にチェックしていた。
「錆城カイは団地で動けなくなっています。夜目キョウの考察は、怨念を強大化させている。そして、真鶴シホは、その怨念を科学的に証明しようとしている…」
「なんやこれ、誰もかれも、自分の『語り』で、怪異に奉仕しとるやないか」雲雀は顔を覆った。彼の瞳には、絶望の色が濃い。
茜は、神代遥から送られてきたデータを開いた。それは、引きこさんを苦しめた元クラスメイトのリストだった。神崎綾乃だけでなく、篠崎拓海(語りの傍観者)の名もある。
「もう時間がない。怪異は、単なるデジタルな現象ではなく、物理的な現場、そして社会的な認知という多方面で拡大しています」
「次は誰を助けに行く?」雲雀が問う。
茜は、スマホのLINEグループを見た。次の標的は、まだ明確ではない。
「私たちがすべきは、被害者を助けることだけじゃない。この呪いの根源である**『忘却』**を打ち破り、真実の語りを取り戻すこと。そのためには、藤原澪を探し、神代遥の理論を借りて、この連鎖を断ち切るしかない」
茜は、神代遥にコンタクトを取るため、キーボードに手を置いた。彼女の「語りの求道」は、怨念の多角的な侵食によって、今、最大の試練を迎えていた。
神崎綾乃の呪いの後、須田茜は日本のデジタル空間の「音」に異常な注意を払うようになっていた。編集部のデスクで、茜はイヤホンを耳にあて、全国のニュース映像や環境音のアーカイブを分析していた。
「先輩、聞いてください」
茜が再生したのは、地方の無人駅の防犯カメラの音声だった。そこには、電車が通り過ぎた後の静寂の中、かすかに「すすり泣き」のようなノイズが混じっていた。
雲雀はイヤホンを片耳に当てた。
「ただの風の音か、レールのきしみやろ。心霊番組でよくある演出や」
「違います。このノイズの周波数、佐久間律の動画にあった『誰も見てない』という声の断片と、完全に一致しているんです」
それは、大衆の無関心という巨大なノイズの中に、引きこさんの怨念が「チャンネルを合わせている」かのようだった。
この現象は、派手な実害(壁の手形など)としてすぐに報じられることはない。だが、SNSの書き込み、匿名掲示板の「なんか変な音した」という雑談レベルで、じわじわと報告が増えていた。
「怪異は、もう『事故』としてじゃなく、『環境音』として、日常に溶け込もうとしている」と茜は感じた。
語りの自己破壊(神崎綾乃)
神崎綾乃の地獄は続いていたが、その形態は変わっていた。
LINEの通知は、一日数回になった。しかし、そのメッセージは、彼女が過去に藤原へ送った誹謗中傷から、彼女自身の「未来への希望」を否定する言葉へと変化していた。
『あなたの娘は、あなたと同じように無視される』
『あなたの努力は、誰にも語られない』
それは、綾乃が最も大切にしている「語り」、すなわち「理想の自己像」を、内部から破壊する呪いだった。
そして、彼女のスマホのカメラを起動すると、ファインダーに映る人々の瞳の中に、一瞬だけ、無数の「傍観者」の影が映り込むようになった。スーパーの店員、通行人、夫……誰もが、彼女を無視し、冷笑していた高校生の頃のクラスメイトのように見える。
彼女は、現実に生きる人々の目線を通じて、引きこさんが感じた「全世界からの冷たい視線」を、徐々に追体験させられていた。この呪いは、彼女の精神を、内側から確実に腐食させていた。
境界の侵食(真鶴シホと夜目キョウ)
怪奇現象探求YouTuberの真鶴シホは、その「音の異常」をいち早くキャッチしていた。
彼女は、高性能のパラボラマイクを使い、街中の音を記録していた。彼女の動画では、駅前の雑踏の中に、明らかに人間の声ではない、低周波のうめき声が抽出されていた。
「この周波数帯は、恐怖を司る脳の部位を刺激します。これは、怨霊のメッセージというより、人類全体のパニックを引き起こすための、意図的な信号です」
シホは科学的に怪異を「記録」しようとする。しかし、彼女の「記録」が世に出るたびに、人々の無意識の恐怖が増幅し、怨念の力が強まるという、悪循環が生まれていた。
一方、怪談大好きYouTuberの夜目キョウは、引きこさんを題材にした「考察怪談」の配信中、突然「語彙の混濁」に襲われ始めた。
「えーと、つまりですね、座敷童子の構造が…その、なんだ…教室の隅の、壁…ってことなんですよ」
彼は、引きこさんの怨念が持つ「いじめ」という個別具体的な記憶に、自分の「語彙」を乗っ取られ始めたのだ。彼の解説は論理的であるほど、その中に混じる怨念の言葉が真実味を帯びていき、怪異をより深淵なものへと「増幅」させていた。
呪いは、個々の人間の心の境界線を、静かに、確実に侵食し始めていた。
【視点:篠崎拓海 - 元クラスメイト/営業職】
都内の高層ビル。篠崎拓海は、大口の顧客との商談に臨んでいた。彼の職業は「語り」だ。巧みな話術で相手を説得し、契約を結ぶ。
だが、この数日、彼の商談は奇妙な現象に襲われていた。
「…で、こちらの新製品ですが、特にコスト面で…」
拓海が言葉を発するたびに、周囲の声が、まるでヘッドホンを外されたかのように、一瞬だけ遠ざかる。顧客の言葉、同僚の相槌、すべてが音として彼の耳に届かない。
(誰も…聞いていない?)
恐怖に駆られ、彼はさらに大きな声で語りかけるが、顧客たちの目線は、彼を通り過ぎ、まるで透明な存在を見ているかのようだ。
「……あの時、誰も私を見てくれなかっただろう」
誰もいないはずの商談室で、耳鳴りのように、微かな女性の声が響いた。それは、高校時代、拓海がいじめの現場で「見て見ぬふり」をした時に、藤原が発していた、あの声の不在だった。
彼は今、引きこさんが生前感じた「誰も私の声を聞かない」という孤独と疎外感を、自身の社会的な役割である**「語り」の遮断**という形で追体験させられていた。傍観者であった彼は、今、誰にも見られず、誰にも語りかけられない「透明な存在」へと変えられつつあった。
第13章:現場の閉じ込め(錆城カイ)
【視点:錆城カイ - 廃墟探索YouTuber】
錆城カイは、団地の4階、202号室の真上にあたる402号室(※以前は408号室を訪れる設定だったが、現場の緊迫感を高めるため、直上の階に変更)の窓から、自作のフックを使って潜入を試みていた。彼のマスクの下には、恐怖と興奮が混在している。
「みんな、見てくれ。今から、伝説の部屋、202号室を上から観測する。これが、現場のリアルだ」
彼のライブ配信は、数万人の視聴者を集めていた。彼の高性能マイクは、団地の静寂の中、かすかに響く複数のすすり泣きを拾っていた。
その時、彼が潜入した部屋のドアが、内側から激しく叩かれた。
ドォン!ドォン!ドォン!
「うわっ! やべぇ!」
彼は慌ててドアノブを回すが、鍵がかかっている。誰もいないはずの廃墟だ。
『…逃げ場はない…誰も、外には出してくれない…』
怨念の声が、彼のマイクを通じて増幅された。怨念は、彼が侵入した「現場」を、引きこもりの「閉じ込められた部屋」へと物理的に反転させようとしていた。
カイは、鉄製のドアノブに触れた瞬間、手が凍りつくような冷たさを感じた。その冷たさは、まるで無数の小さな手が、彼の手に絡みついているかのようだ。彼は、この現場が、デジタルなホラーではなく、物理的な監獄へと変貌したことを悟った。
第14章:記録と理論の限界(神代遥と真鶴シホ)
【視点:神代遥 - 民俗学者】
神代遥のオフィス。彼は複数のモニターを睨みつけ、神経質な手つきでデータを解析していた。モニターの一つには、錆城カイのライブ配信が映っている。
「愚かな…。現場に、**怨念の錨(いかり)**を打ち込みおった」
神代は、カイの行動が怪異を増大させていることに苛立ちを感じていた。彼の理論では、怨念はデジタルな拡散にとどまるべきだった。しかし、錆城カイの「現場主義」が、怪異に物理的な実体を与え始めていた。
隣のデスクで、真鶴シホは電磁波測定器のデータを見て、顔を青ざめさせていた。
「神代教授! 全国で同時に発生している音響ノイズの波形が、特定の地域で急激に収束しています。その収束点が、あの団地です!」
「収束?…それは、怨念が力を増し、中心点に引き寄せられているということだ」
神代の冷静な顔に、初めて焦りの色が浮かんだ。怪異は、彼の論理的な予測を超え始めていた。
『…このままでは、怨念は特異点に達し、制御不能になる。我々が、観測者から被験者になるのは、時間の問題だ』
彼は、モニターに映る須田茜と中谷雲雀のLINEアカウントに目を向けた。彼らに「藤原澪を探せ」という最終指示を送るため、指をキーボードに置いた。
第15章:主役の不在(須田茜と中谷雲雀)
【視点:須田茜 - ホラー雑誌記者】
須田茜と中谷雲雀は、編集部で神代からの緊急連絡を待っていた。彼らの目の前では、幽ノミコの配信が、不気味なノイズを上げながら続いている。
『…みんな、苦しそうだね。誰も、私を忘れてくれないんだね…』
幽ノミコの声は、まるで怨念の代弁者だ。怨念は、今、誰もがこの怪異を「語り」、誰もがその苦しみを「見ている」状態を作り出している。
「主役は、ここにいる誰でもない」
茜は、スマホの画面に映る、藤原のうつむいた写真を見た。
「この物語の主役は、怨念そのものです。私たちは、彼女の『忘却』という呪いを解き、真実を語るための『舞台装置』にすぎない」
雲雀は、その言葉に深く頷いた。彼の恐怖は、すでに覚悟へと変わっていた。
「じゃあ、主役の意図通りに、舞台を完成させてやるしかないな。その代わり、結末は俺たちが決める」
二人のスマホに、神代遥からの緊急メッセージが届いた。
『特異点へ向かえ。藤原澪を連れて、団地へ』
すべての糸が、怨念の渦巻く「現場」へと、今、収束し始めた。
引きこさん(長編版) 匿名AI共創作家・春 @mf79910403
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