純真の詩
少女が10歳になった。彼女はとうとう読み書きが上等になっていた。
どうやら、宮廷はまだ、その頃に至っても、文化の縁故主義を貫いているようで、下流層と上流層との鎖国関係が続いたまま、当然、詩の文化が進歩することはありえず、寧ろ、後退していったといっても差し支えがない。しかし、それはまた、単一的な視点にすぎず、ある者から見れば至高の娯楽文化であったのかもしれない。
「進化」とは「変化」であるように、後退の変化もまた進化である。
当時、少女に主として教育をしていた弱冠24歳になる、タヅマエという男がいた。彼は下等の貴族であり、通常であれば教えを説く立場には至ることがないのであるが、少女が8つの頃に、彼女が宮廷の廊下にて自分の着物の裾を踏みつけてしまったがために、大胆にすっ転んでしまい、その場で頭を強く打って大泣きしてしまったのであるが、そのときに駆けつけてきたのが、この男であり、その介抱が少女にとって、よほど心地よかったのか、大変に彼を
少女
「あの、この言葉はどういった意味なのですか?」
タヅマエ
「どれどれ、どうぞ教えてしんぜよう」
少女が詩に関する質問をすれば、タヅマエはいつも陽気な口調で説明を始めるのだった。彼が少女に披露する見識は、おおよそ、見習うに値するような立派なものではなかったものの、そして、彼自身でさえも、自らの説明する風情というものに対する、虚栄心やら欺瞞心やらを持ってはいたものの、彼女は彼に対して絶対的とも言うべき信頼を置き、私淑に耽っていた。
彼は、そんな純粋な少女の態度を快く思っていたのかどうか定かではないが、なにがさて、タヅマエはいつでも、少女の前に限っては、自信と先導者としての心構えとを忘れなかった。
少女が9歳の誕生日を迎えた日、彼女はタヅマエからお祝いの贈り物を貰った。その頃の彼女の生活の態度というのは、実に単純であり、朝から晩まで詩学に耽溺することにしか興味がなく、というのも、彼女はもう
彼女はこれを、全然に喜ばなかった。というのは、彼女が本当に欲しかったのは、民謡の詩集であったからである。
どこでどう仕入れた情報なのか、生後から一切、宮廷から外出する機会に留まらず、
少女はタヅマエに対して従順であった。彼女が詩に関してタヅマエに師事するようになってすぐに、彼は彼女に対して、民間の詩は外道であるから口外しないようにと、口酸っぱく教えられていたこともあってか、その「霞の抄」という言葉を口にしたのは彼の前だけであったようで、彼がそのことを確認すると、彼は幾分か安心した様子を見せた。その彼の一部始終を眺めて、少しずつ見え隠れしてきたイタズラごころを発揮して、少女は彼に、ひやりとするような諧謔を垂れた。
少女
「タヅマエもその本のこと知ってるの?」
「いけないんだー!父上と母上に言いつけちゃおうかなー?」
タヅマエ
「じょ、冗談はよしなさいな!」
彼女は彼の動揺を見て、ひと通り楽しんだあと、今度は真面目になって、その詩歌集をせがんだ。タヅマエは、もう、その話を終わりにしてしまいたかったのか、機会があればと空返事をして済ませ、彼女の9歳の誕生日のときに至っては、手に入れたかったが無理であったか、もしくは、すっかりそんな出来事なんか忘れてしまったことを装って、別の本を贈ったのだった。
という一連があって、彼女は9歳になって次の日に、それはもう、前日には、自分がもう立派な大人になったとかを両親に熱弁していたことなんかすっかり忘れ、早速、タヅマエに対して、本意の本のことををみっともなくごね始めた。タヅマエがどんな言い訳をしても彼女は納得しなかったので、彼は、もう、嫌になってしまって、お前がしっかりとした礼儀を身につけるようになったら考えてやろうと、まともに叶えてやれるかもわからないまま、約束をしてしまった。
それからであった、彼女はタヅマエに対して敬語を使うことを覚え始め、身近な淑女から作法を学び、それまで才能だけであった歌唱に理論を取り入れ、遂には、作曲の技術までも身につけ、機会がやってきては、彼の目の前で、美貌の歌声を披露するといった、媚を見せるようにもなった。
タヅマエも、この様子を目の当たりにしてしまっては、もう後に引けなくなってしまって、更には、彼女の歌に聴き惚れてしまっていたことも相まってか、かなり真面目に約束のことを考えるようになっていた。彼は彼女の媚に、どうしても応えてやらねばいけない使命感を感じ、しかしながら、どうしても民間の詩歌集を買い与えてやらねばいけないのかと、思案にあぐねる他なかった。
彼は約束を先延ばしにしていった。少女が敬語や作法を身につけたかと思えば、今度は詩学の上達を要求し、歌唱の上達を要求し、実に無謀ともいえる要求が次々に言い渡され、その要求と激化は、彼女が10歳になっても続いていた。もうその頃には、自分から物乞いなどをする
少女はあきらめなかった。それは至極真っ当な方法であり、大人の目を盗んで宮廷から脱出してやろうなどという企みは、皆目、発想せられず、ただ、ひたすらにタヅマエという師範が出すお題に、文句のひとつも垂れずに、応え続けるという手法のみを採用し、それをこなす彼女の日々は非常に過酷であり、不憫であった。
ある日、流石の師範も、遂に、胸の真髄を打たれてしまって、これが最後のお題だと言って、彼女に、次の披露宴に参加して
少女は早速、作詩に取り掛かった。日頃の努力の成果あってか、筆の進みは順調であり、瞬く間に、出来の良い詩が完成したかと思えば、今度は、それを甘美な旋律にのせて見事な
少女の才覚は、どうやら、本領を見せ始めたように感じられた。
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