第16章 貴族


 年越しの日

 ブルク村 タツミ児童保護院-


「では、戴きます。」

「いただきますっ!」

「いただきます。」

「いただき・・・ます。」

 暖炉で薪が燃える保護院の食堂で4人が最後の昼食を始めた。

 外では綿の様な雪が舞い降り、静かに街を白く染めていた。

「うぉ、ガリイの肉のシチューうんっま!」

「でしょ。」

「いやー、エレナの料理は本当にどれも美味しかったよ。だよね、ネル。」

 タツミの隣の席に座り、涙を堪えていたネルがとうとう泣き出した。

「おいで、ネル。」

 タツミがネルを抱き上げて膝に乗せる。

「ヒロとエレ・・・ナ、行っ・・・行っちゃう・・・の?」

 ネルが必死に言葉を紡ぐ。

「どこにも行かねーぞ。俺はこの保護院に住み続けるし、毎日ネルとタツミに会いに

だって行くんだから。ほんとなんも変わんねーって。安心しろー!」

「そうよ、私も毎日仕事帰りに顔を出すもの!フェニックスに乗れば一瞬でブルクに

来れちゃうし、アドリアに頼めば空間転移だってしてくれるわ。凄いでしょー!」

「ほ・・・ほんと?」

「ほんとほんと!」

「本当よ!!」

「・・・タツミ・・・ほんと?」

「本当だとも。安心していいよ。」

 タツミの手が優しくネルの背をなでる。

「ネル。誰でも大人になったら自分の力で・・・自分の足で立って生きていく事になる

んだ。これはね「独り立ち」って言うんだよ。少し寂しいけど、お別れなんかじゃ

ないからね。これからも僕達はずっと家族だし、この地で一緒に力を合わせて生き

ていくんだ。」

 しばらくの間しゃくり上げ、時間と共にネルが落ち着いた。

「ヒロ・・・・・・遊びに来ていい?」

「良いも悪いも、この保護院はこれからも俺達みんなの家で、ネルの家なんだぞ。

ネルの新しい家とはほとんどお隣さんみたいなもんだし、好きな時に来て好きな時

に帰ってよし!」

 ヒロが笑う。

「・・・分かった。」

「うむ!」

「ヒロ、私の部屋に勝手に入るんじゃないわよ!」

「わーってるよ!」

「エレナのディオンの新しい家はどうだい?荷解きとか、本当に手伝わないで大丈夫

かな?」

 タツミが心配そうにエレナを見つめる。

「大丈夫!そういうのは侍女達が全部してくれるから。ほんと至れり尽くせりなんだ

もの。」

 エレナが楽しそうにシチューを口に運ぶ。

「侍女の皆さんには、執事や秘書の方々の「正体」についてちゃんと話したのか

い?」

「ええ、全部話したわ。ちゃんと分かってくれた。それどころか想像以上に仲良く

やってくれていて、私の方がびっくりするくらい。やっぱりこれも全部ヒロから

もらった支配の精霊王の加護と指輪のおかげかしら。はい、感謝!」

 エレナが貴族風の会釈を見せながら少しおどけて笑った。

「あ、うん。もっと心を込めて感謝して。」

「泣かすわよ、あんた。」

 現在、聖クリシュナ王国における第13番目の上級貴族、エレナ・マーヴェル

女公爵には5人の上級執事と2名の上級秘書官が付いている。・・・が、何を隠そう、

彼等の正体はエレナの召喚眷属と守護精霊達なのである。

 エレナは独り立ちの日に備えて、ヒロに頼んで全ての眷属と精霊に「化肉」や「実

体化」、「偽装」等の祝福を注入してもらっていた。そして、王室から派遣された専属

講師達によって、自分が上級貴族として集中教育を受ける際に、7名の新人執事と

秘書達にも一流の執事、また一流の秘書官としての教育を受けさせていたのである。

 エレナは人神の加護に加えて、以前にヒロからもらっていた「支配の聖霊王の

指輪」と「支配の聖霊王の加護」による効果も相まってか、・・・眷属達を完全に

ファミリー化しており、今回はそこに新たに王都とディオンの街で公募した10人

の侍女達を加える形になっていた。

「しつじって・・・なに?」

 涙が残る瞳でネルがエレナを見つめる。

「家に一緒に住んで、色々お手伝いしてくれて私を助けてくれる人のことよ。身の

回りのお世話とか、お仕事とかもね。」

「エレナの家来?」

「あはっ。そうだね、家来だね。」

 エレナが笑う。

「そうだ、ネルも家来になってくれる?」

「家来はいやー!」

「嫌?」

「なるー!」

 エレナが走って来るネルを抱き締めて笑った。

「はい、ちゃんと座ってご飯食べて。」

「そういえば、年が明けた新年の3日と4日は・・・王族が主催する新年の宴が開催

されるんだったね?」

「ええ。新しい上級貴族、エレナ・マーヴェルのお披露目会も兼ねているみたい。」

「そうか。貴族の礼儀とか作法は身に付いたかい?大丈夫かな?」

「ま、まあね。それ以上は聞かないで・・・タツミ。」

 エレナがテーブルに静かに突っ伏した。

「でもカイトは褒めてたぞー?なんか最近のエレナは上品ってか、気品があって、

すげーカッコいいんだよなーって。」

「えっ?・・・カイトが?」

「うむ。若いのにボケてきたんかって思うくらい繰り返し繰り返し言ってたぞ、

あいつ。」

「そ、・・・そうなんだ。・・・コホン。でも、もう本番まで3日しかないし、頑張らなきゃ

 ね。」

 エレナが頬を染めてムクリと起き上がる。

 タツミとヒロが視線を交わしてクスッと笑った。


 雪景色の保護院の玄関前-

 タツミとヒロ、エレナ、ネルが交互に抱き合う。

「2人共元気でね。食事や生活習慣には気を付けるんだよ。エレナは疲れたと思っ

たら、ちゃんと休息を取る事。ヒロは朝寝坊に気を付けるように。いいね?」

「うん。」

「はい。」

「今までありがとう、タツミ。」

「そして、これからもよろしくね。」

 タツミはヒロから細長い飾り箱を手渡された。

「これは!?」

「俺とエレナとカイトから、タツミに。感謝の気持ち。」

「今じゃなくて家に着いたら開けてみて!そして・・・こっちはネルに。はい!」

 エレナが綺麗な布の袋をネルに手渡した。

「ネル、開けていいわよぉ。」

 ネルが袋の口を開けると、中には精巧な木彫りの騎士の人形が入っていた。

「わっ!わーっ!!」

 ネルが興奮気味に騎士の人形を手に取り、キラキラした眼で見つめる。

「ネル、これもやるよ。」

-ネルの友達になってやってくれ。

 人形に気を取られているネルに、そっと4体の最高位の大精霊と精霊王の守護

精霊を付与した。

「あれ?・・・綺麗な精霊さんがいっぱい。・・・ね!シルヴィア、見て!精霊さんが

いっぱい!」

 ネルが自分の頭上や肩を見て驚き、手を差し出すと精霊達が嬉しそうに掌の上で

飛び回った。

「この子達もシルヴィアみたいにネルのお友達になりたいんだって。それにネルが

もう少し大きくなったら、まだ知らない色んな事を教えてくれるってさ。」

 精霊達の姿は見えないものの、色々と察したタツミが微笑んだ。

「良かったね、ネル!」

「うん!・・・ぼくはネルといいます。なかよくしてね。」

 雪が止み、暖かな陽射しが4人とブルク村を優しく包み込んでいた。


 その夜、非常に高価な幻彩石で出来た懐中時計と、「みんなの父さんへ」と書か

れたメモを寝床に持ち込み、頬に涙の痕が残る男が幸せそうな笑みを浮かべて眠り

についた。




 3日後 王都アイデオス-


 豪奢な貴族馬車が王宮の第一外宮、迎賓館の前に停車した。

 間髪入れず儀礼用の鎧姿の衛士達が貴賓を出迎える為に駆け寄って来る。

 そして衛士の一人が貴賓専用馬車の客車の扉を開けると、最初に体躯の良い初老

の老人が降りて来た。

「お気遣いに感謝する。衛士の方々は少し下がって待たれよ。」

「はっ!」

「はっ!」

 衛士達が下がると老人は振り返って客車内に手を差し出した。

「お手をどうぞ。」

 老人の手を取って、控え目な濃紺のドレスに身を包んだ淑女が客車から降りて

来た。

「ありがとう、ロドル。」

 艶やかな美女に深く一礼すると、老人は再び手を客車内に差し出す。

「我が主、お手をどうぞ。」

 続いて美しい純白のドレス姿のエレナが降りて来た。

「ありがと。ふぅー。やっと着いたわね。」

「主殿、お言葉が・・・」

「あ。・・・あら、私とした事が。おほほ。」

 エレナが口元に手をあてて笑った。

「長居するつもりはありません。ロドルは馬車にて待機していて下さい。」

「御意に。」

「アデリア、参りましょう。」

「畏まりました。」

 エレナが従者を従えて歩き出すと、控えていた衛士達が再び近寄って来た。

「失礼致します。エレナ・マーヴェル公爵様とお見受け致しますが。」

「如何にも。こちらはエレナ・マーヴェル女公爵様でらっしゃいます。何か御用が

あれば筆頭秘書官の私、アデリアが賜わります。」

「ようこそいらっしゃいました。これより我々が会場までご案内致しますので、どう

ぞこちらに。・・・マーヴェル様専用の貴賓控室もご用意しておりますが、先に向かわ

れますでしょうか?」

「如何為さいますか?エレナ様。」

「か、会場にお願いします。」

「はっ、畏まりました。」

-こんな調子の会話がずっと続くんだ・・・。さー、ボロが出る前に速攻で帰るわよ!

 エレナの念話がロドルとアデリアに伝わると、2人がそっと苦笑した。


-英雄様、人類史上最高の鑑定士、上級貴族、筆頭公爵・・・さすがにこう何度も言わ

れると、聞き慣れてしまうわね・・・。

 会場に到着した途端、次から次へと人々が挨拶に訪れるので、エレナはまだ入口

付近から動けずにいた。

「-なのです。それで是非とも今宵、最初の一曲をどうかこの私と踊っては頂けない

でしょうか。」

 自分は宮廷貴族のライオネット公爵だと長々と自己紹介され、由緒ある宮廷貴族

がどうとか、エスタ倶楽部がどうとか、もし良かったら入会して頂けないかと延々

誘われ、しつこ過ぎてエレナの中で軽く殺意が芽生えだした頃、人々の視線がエレナ

嬢の背後の入り口、その大扉に向けられた。

 そして一斉にその場で恭順の所作を取る。

 ヴェスタ王がマリア王妃を連れて入って来たのだ。

「今宵は無礼講だ。皆、気にせず楽しんでくれ。」

 自分達に近づこうとする者を視線と手振りで躱しながら、ヴェスタは一直線に

エレナのところまで歩いて来た。

「ヴェスタ王陛下、今宵はこの様な素晴らしい宴に御招き頂き、光栄に存じます。」

 エレナが王と王妃の前で少しドレスの裾を持ち上げて片足を引き、恭順の所作を

見せる。

「うむ、美しい所作だ。・・・もう其方はどこから見ても立派な上級貴族の女公爵ぞ。」

 ヴェスタが安堵の笑みを見せる。

「紹介しよう。妻のマリアだ。」

「英雄エレナ、貴方のお噂は兼ねがね聞いております。私は第一王妃マリア・ラ・

ヴェスタ・・・」

「あ、あの・・・」

 エレナは王妃の胸元に付けている大きな白色の石が填まったペンダントに顔を近づ

けて凝視していた。

-わぁ・・・これ本物だわ!でもこれって・・・

「マーヴェル公爵?」

「どうしたのだ、エレナよ。」

「・・・あっ、申し訳ありません!失礼致しました!あの・・・マリア王妃殿下、殿下の

胸元に光る美しい宝玉なのですが・・・」

「ああ、これは古より母の一族に受け継がれて来た宝石です。由来など詳しくは知り

ませんが・・・これがどうかして?」

「王妃殿下、それはヴィヴリア勾玉・・・遥か昔、南の大陸に棲む高位の精霊達だけが

作り出す事が出来たとされる、非常に希少な古代秘石ですわ。現存している勾玉は

世界でも僅か数個のみ、と聞いております。」

「ま、まあ・・・!」

「ほお!」

「ただ、ヴィヴリア勾玉は本来、24色の光を放つ地上で最も美しく壮麗な石とされ

ているのですが・・・王妃殿下の石は、何らかの衝撃を受けた際に石に内在している

霊力が上手く循環しなくなってしまっているようです。美しい光彩が僅かしか見えて

おりませんので。」

「えっ・・・」

「むむ?確かに綺麗だが・・・24色の光は見えぬな。」

「今、そのペンダントをお預け戴けましたら、この場ですぐに光を取り戻して差し

上げられるのですが・・・いかがでしょうか?」

「まあ!・・・え、今すぐ?ここで?」

「はい。修理はすぐに済みますので。」

「あなた、お願いしてもいいかしら?」

「エレナよ、其方はそんな事まで出来るのか?」

「あ・・・はい!」

-説明に困るわね・・・。でも言わなきゃ伝わんないか。

「実は一昨日、ホロ様の指導の下で訓練と戦闘を経て、マキ・イナセ第一階位騎士

と共に熟練度がちょうど200万を超えたところでございます。」

 エレナの言葉に、それとなく聞き耳を立てていた周囲の貴族達が息を飲み、動き

が止まった。

「これにより、数多の派生能力を得たところなのです。それらは私が授かった算術の

祝福に連なり、設計や構築など物作りに役立つものも多数ございます。」

「ああ、そうであった!「鑑定」の派生能力が余りにも際立っていたが、其方が授か

っていた祝福は「算術」であったな!」

-いや、鑑定も祝福で。だから派生能力も普通の人の2倍の量が・・・なんて説明は

不要よね。

「仰る通りにございます。」

「まあ!なんて凄い・・・!本当におめでとうございます!」

「ありがとうございます、王妃殿下。」

「それにしても、勇者組に引き続いて英雄組の2人も人神様の集中鍛錬に入っていた

とは!これは我が国にとっても朗報ぞ!・・・うむ、これも一興。マリアよ、その宝石

をエレナに。」

「御意に。」

「英雄エレナよ、是非とも其方の匠の技を見せてもらいたい。」

「仰せのままに。・・・では殿下、少しの間お預かり致します。」

-やった!こんな希少品を扱える事なんか、この先そうそうないもの!さぁーて、

どれどれ・・・

 エレナが渡された石を両手で包み込む。

-水と聖と光の合成結晶体なんだ。比率は4.23:3.65:2.12、圧縮率は

80.3に固定。・・・絶妙の数値ね!・・・込められている霊力量は・・・49999、

質もマシア級で桁違い!それに内部の霊力回路は・・・隅々まで見事に設計されて

いるわね。無駄が一切無い。特に心臓部の設計は繊細かつ緻密で、まさに芸術品

だわ。・・・・・・あった、ここだ。・・・この霊力導体が歪んでる。・・・よし、導体の基本

配列の再構築を算出・・・実行。

 次の瞬間、エレナの両の掌の隙間から美しく幻想的な光が優しく溢れだした。

「え!?・・・まあっ!!」

「なんとっ・・・!!」

 その光の余りの美しさにヴェスタ王夫妻が思わず息を飲む。

「修復が終わりました。王妃殿下、失礼致します。」

 エレナがマリアのペンダントに吊るされていた留め具に宝石を填め込んだ。

「き、綺麗ですわ!!」

「神々しい・・・!!」

「なんて美しいの・・・!!」

「まあ!!本当に凄い!!」

「うっとりしちゃう・・・。」

 いつのまにか3人の周りを多くの婦人達が取り巻いており、あちらこちらから

感嘆の声と溜め息が漏れ出ていた。



 新年の宴、二日日最終日-

 ヴィヴリア勾玉の一件もあって、今夜は昨晩に増してエレナの周囲を多くの貴族達

が取り巻いていた。

 昨日のように礼儀正しく会話の順番を待とうとせず、なんとかして自分を売り込も

うと、必死に考えて来たアピールが方々から聞こえてくる。

 マーヴェル家専用の控室やお手洗いを利用し、巧みに包囲網を回避してみたもの

の、途切れぬ人の波にさすがに疲れを感じだしていた。

 中でも特に困るのが交際のお誘いである。

 匂わせる程度のものなら昨夜も腐る程あったのだが、今夜は人目を気にせずに

いきなり求婚の申し出をする者まで現れたのである。

「エレナ様。この世界で貴方様を満足させられるのはこの私、レントンだけであると断言致しましょう!そう、あらゆる意味で、です。今ここで言うのもなんですが、

私は貴方様に本気で求婚する為に婚約を解消して参りました。はは、驚かれました

か?事実です!私を信頼して頂いて結構です!あぁ、そうだ!明日、私が住む古城に

来て泊まって頂けるのなら、貴方様をどれほど満足させられるのか全て包み隠さず

ご覧に入れ-」

-エレナ、辛抱ですよ。

-分かってるわ、アデリア。でも・・・こ、この軽薄男・・・

 全ての感情が消え失せたエレナの眼が、なおもペラペラと喋り続ける男を捉えて

いた。



 主賓によるスピーチ等のセレモニーが全て終わる19時を迎え、エレナは早々に

帰宅しようと馬車にまで戻って来た。

 ただその背後には、エレナにアピールし足りなかった紳士淑女達がせめてお見送

りだけでもしようと、ゾロゾロと着いて来ている状態であった。

「皆様方にお見送りまでして頂けるなんて恐悦至極に存じます。爵位を戴く者として

まだまだ若輩者ではございますが、今後共どうか宜しくお願い致します。」

 深々と頭を下げるエレナに観衆から好意的な拍手が湧く。

「では皆様、ご機嫌よ-」

「お待ち下さい、エレナ様っっ」

 手を振り客車に乗りかけたエレナを呼び止めるように、一人の淑女が必死の形相

で駆け寄って来た。まだ頬にそばかすが残る若い娘であった。

「え、・・・はい?」

-主、あの者はラムジー辺境伯の娘、ニアです。今は父親の代理で領主をしている

と聞きましたが・・・

-そうなんだ!ありがとロドル。

「あの、もしやラムジー辺境伯様のご息女、ニア様ではないでしょうか。お初目に

かかります。私はエレナ-」

「存じておりますっ!全て・・・存じておりますっ!!」

 ニアはドレスの裾を握り締め、涙が伝う顔を伏せて叫んだ。

「あ、あの・・・ニア様、如何なさいまして?」

「私は今朝、お慕いしていた方からいきなり婚約を破棄されました!」

 女性のいきなりの告白に周囲の人々がどよめいた。

 ニアが顔を上げ、悔しそうにエレナを睨みつける。

-あのアホ面男の事では?

-私もそう思った。

 アデリアとエレナが視線と念話を交わす。

「大切な縁談が白紙と消えた今、私は・・・我が一族はどうすれば-」

 ニアの頬に涙が伝う。

「どうしてレントンなのですかっ!?なぜあの人を選ぶのですかぁっ!!」

-レントン。やはりあの男です。

-全力で殴っとくべきだったわ・・・

「どうかお聞きください、ニア様。私はそのレントンなる方をよく存じ上げま

せん。」

「嘘っ!!」

「嘘ではありません。」

-キレそう。

-エレナ、我慢です。

-ほっほ。厄介ですな。こやつは殺して周りの者は記憶を消しておきましょうか。

-やめてね、ロドル。

 エレナが溜め息をついた。

「ニア様、この場ではっきりと申し上げます。私には幼い頃より想い人がおります

の。ですので、この二日間、不躾に言い寄って来られる方々に大変迷惑しておりま

した。このようなまだ早い時間に帰路に着こうとしているのもそれが故です。ご理解

戴けまして?」

 エレナの嘘偽りのない真っ直ぐな視線、そして押し殺された怒りと嫌悪感を孕ん

だ声がニアに突き刺さった。

「・・・え?」

 エレナの発言で、不躾な言い寄りに心当たりのある男達が一様に気まずそうに

視線を外していく。

「・・・で、では・・・私は・・・ここでただ生き恥を晒しただけ・・・?」

 愕然としたニアが崩れ落ち、そして感情を持て余して激しく泣き笑いをしだした。

「ニア様・・・。」

「来ないでっっ!!」

 近寄ろうとしたエレナを大声で拒絶する。

 ニアがヨロヨロと力無く立ち上がり、手首から腕輪を抜き取った。

「やはり・・・此度は貴方の力を借りましょう。全てを無かった事に・・・全てを亡き者

に・・・して下さい。お願いです・・・」

 徐にニアは己の指先を嚙み切り、鮮血を腕輪の上に落とした。

-あれは・・・魔族召喚の銀腕輪ですな。

-エレナ、何か来ます。準備を。

-了解よ!

 小石から漆黒の蒸気が噴き上がり、一瞬でニアの前に形を成していく。

「ギィーァッ!!!」

 空気を激しく振動させるかのような絶叫と共に、異形の者が姿を現した。

 禍々しい鰐の頭を持つ大男。その表皮は黒光りする鱗に覆われており、その口

からは深紅の長い舌がチラチラと動きつつ、薄い黒炎を吐き出していた。

 その右手は、気絶して倒れ込んでしまったニア嬢の体をしっかりと抱き留めて

いる。

≪ラムジー家との古の盟約に基き、今宵一度限りの召喚に応じて参った!我が名は

レヴィアタン。魔神デモニアを育てた魔王九禍がひとつ、魔鰐の王とは我の事よっ

!!≫

 異形の者の念話が周囲に響き渡る。

≪人間風情が、頭が高いわぁっ!!≫

「ひぃっ!」

「うわっ!」

 いきなり雷鳴のような響き渡った念話に人々は腰を抜かし、悲鳴が喉に張り付い

たまま蹲った。

「うるさいですわね。」

 全く動じることなく、エレナが仁王立ちでレヴィアタンと対峙する。

≪ほぅ。・・・我が威圧に耐え、動ける者がおったか。≫

≪ニアを離しなさい!≫

 少女のその念話を聞いた途端、レヴィアタンは急いでニアを地面に寝かせた。

-むっ!?なんだこの感覚は!?この女の言葉に抗えぬ・・・抗いたくない?・・・従僕

の呪詛か?それとも強制の呪言・・・いや、違う。精神攻撃の余波を感じない。攻撃

でないなら何なのだ?

 思わず思案するレヴィアタンの一瞬の隙を突き、気絶したままのニア嬢を馬車の

客車内に転移させたアデリアとロドルが、エレナよりも前に出て立ち塞がった。

≪あぁん?なんだ、貴様等は!!ちょこまかと小賢しい!!人間如きが我の前に

立とうなど100年早-≫

-ん!?いや、待て。何かがおかしいぞ・・・。なぜあやつらから魔の者の匂いがする

のだ・・・?

≪貴様等、どこぞで見た顔だな。我には隠せぬぞ?≫

≪久しいの、穢れ鰐のわっぱ。≫

≪ガルシアの闇に堕ちた薄汚い鰐如きが偉そうね。≫

-こ、こやつら、なぜ我の事を!?・・・いや待った!この匂いはまさか-

「貴殿等、ロ、ロデル魔卿と・・・アデリア魔卿・・・か?」

「今頃気付いたか。」

「お仕置きが必要かしら。」

-まずい、まずいまずい!!魔王九禍とはいえ、あの格を相手にするのはまだ

早い!!場・・・場を攪乱して逃げるしかない!!

「出でよ、我が降魔の眷属よっ!!!」

 レヴィアタンが両手を天高く突き上げる。・・・が、何も起きる気配はない。

「な、なに!?」

-なぜだ!!なぜ召喚出来ぬ!!・・・ま、まさか、祝福の行使を阻害され-

≪平伏しなさい!≫

 エレナの念話が聞こえた。

「ぐっ!・・・ま、まただ!なんだこの強制力はっ・・・」

 思わず地面に両膝をつくレヴィアタン。

-・・・この桁外れの力・・・まさか神聖言霊か!?

「貴様如きが我が主に抗えるとでも思うたか。」

「この痴れ者が。身の程を知れ。」

 この世のものとは思えぬ程の威圧感と複数の異常な気配に気が付き、レヴィアタン

は慌ててエレナ達に視線を戻した。

 魔鰐王の背筋に戦慄が走った。

 眼前にはロデルとアデリアに加え、新たに5人の尋常ならざる者達が少女を取り巻

くようにして立っていたからだ。

「い、いつのまに?」

「あの強そうな方達はどなたかしら?」

「エレナ様の援軍かと!」

「あの魔族を倒すおつもりか!」

 周囲の人々が騒めき出す。

「あら、みんな来たのね。」

「ほっほ。そのようだの。」

「我が主に敵意が向けられたとあらば、何を置いても馳せ参じるが道理。」

「さもありなん。それで敵は・・・あの卑小なる小鰐か。」

「さぁて、どうしてくれよう。」

「我のゲヘナで焼くか。」

「そろそろ蟲毒の贄を足したかったんだ。あの子、もらっていいかな?」

-は、・・・はああぁっ!?・・・あれはデルフィアに・・・ドミニア!?それにフェニック

スまで!?あやつら全員、神々の名だたる筆頭眷属達ばかりではないかっ!!なぜ

人の姿を!?・・・いかんんっ、逃ぃげねばああああああ!!!!

 しかし脱出系や転移系の派生能力は尽く反応しないでいる。

-くはっっ!なぜ技が使えんのだっっ!くそっ!!帰還っっ・・・飛翔っっ、飛翔っっ

っ!!

「ここ王都では、不法侵入や不法召還された未登録の他種族は祝福も派生能力も

封じられるの。そんなに頑張たって無駄よ。誰が結界を張ったと思ってんのよ。」

「エレナに手を出そうとしたのはテメエか。殺すわ。」

-えっ?

 魔鰐人族の王が視線を前に戻す。

「宗主神で何となくエレナの周辺に異変を感じて飛んで来てみれば・・・。大丈夫だ

ったかエレナ。」

「はい、カエラさん!」

「チッ・・・、うたた寝してて出遅れたじゃねーか。着いたらもう土下座かよ。」

 更に現れた4人の男女が自分に標的を定め、即死級の攻撃をいつでも放てるよう

に構えている事に気が付いた。

「勇者様と英雄様だ!!」

「全員揃っておいでよっ!!」

「うおおおおお!!!!」

「助かったああ・・・!!」

 一気に周囲の人々が活気づく。

-な、なんなのだ、あやつ等は!?あの身に纏いし気、もはや別次元・・・まるで神で

はないか!!

 レヴィアタンは4者が放つ悍ましい程の殺意と殺気に己の死を確信し、絶望と共に

全身から力が抜けていく気がした。

 その時、肩に誰かの腕が回された。

 その腕がズシリとやけに重く感じる。

 思わず隣を見ると、悪ガキの笑みをたたえた老人と目が合った。

「まあまあ、皆の者。話だけでも聞こうではないか。なあワニさんや。」

-あ・・・終わった。

 レヴィアタンはこの世のものとは思えぬ程の「圧」に驚愕し、その老人が何者かを

瞬時に悟った。

「ホロ様だあああ!!!!」

「うおおおおおおおおお!!!!」

「我らが人神様が降臨なさったあああ!!!!」

「ホロ様ああああああああっ!!!」

「わああああああああああああああ!!!」

 民衆の絶叫を聞きつけ、更に人々が集まって来る。

「お、来たか少年。」

「いや、俺いまホロ・・・」

「ヒロ、こいつの話なんか聞く必要ねーって。」

「いや、俺いまホロ・・・」

「よりによってエレナちゃんに手を出すなんて!」

「マキねえ、怖かった・・・。」

「勇気有り過ぎだろ、お前。・・・言っとくが、こいつは化け物だぞ?」

「今何と仰いました?」

「酷いですよ総団長!エレナちゃんはもう上級貴族なんですから!」

「す、すまんすまん。」

 両脇でやいやい騒ぎ出すエレナとマキを見て、サイモンが後頭部を掻きつつ葉巻

を手にする。

 火を点けると、カイトやカエラと目が合って苦笑した。

≪ある意味、俺より化け物だぞ。お前が殺そうとしたあのエレナって女はな。・・・

やっちまったな、お前。≫

 老人の囁くような念話を聞き、魔鰐族の王は驚愕の目でエレナを見つめる。

「さてと・・・」

 魔鰐の肩をバシンッと叩き、人神が立ち上がると、その衝撃でレヴィアタンは足首

まで地面にめり込んだ。

「んじゃー、待ってても話そうとしないみたいだし、片付けますか。」

「ここは儂に任せて頂きたく。」

「いや、俺が殺る!」

「我が出よう。」

「仕留めますわ。」

「あ、殺しますよ。」

「あの、贄に欲しいです!」

 待ってましたと言わんばかりに尋常ならざる者達が一斉に動き出す。

「待って。」

 エレナが声を上げた。

≪貴方達の誰かが仕留めたらグロくならない?今は子供達まで見てるし・・・≫

 エレナの囁くような念話で全員がスンッとなって周囲を改めて見回す。

「あ・・・」

「う、うん。」

「確かに。」

「おっと。」

「さすが我が主。」

「私としたことが。」

「うぬ・・・。」

「仰る通りかと。」

 女公爵が腕を組んだ。

「人神様、出番よ。サクッと殺っちゃって。」

「あ、はい。」

-・・・ひ、人神までも従えるかっ、この女!

 次の瞬間、魔鰐族の王が地上から消え去った。




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