第3話 ローカル線に未来はあるのか

 以上が木次線代行輸送の俺の体験記ですが、いくつかのポイントがあります。


 まず、今回の代行輸送の対象者は全員が旅行客かつ通過客であり、地元の利用者は一人もいなかったという点です。タクシー二台(おそらく一台はピストン輸送を行ったと思われます)で余裕をもって運びきれる程度の通過客ばかりが利用している路線です。「本当に鉄道の線路が必要なのか」と問われれば、経済的な観点では残す意味は明らかに薄いと言わざるを得ません。


 さらに、列車で一時間かかる出雲坂根〜備後落合間を、タクシーはわずか十五分で走り切ったこと。運休が決まり、タクシーを手配して、到着を待って、乗り換えて、それでも接続列車に余裕で間に合ったという事実はとても示唆深いです。これほど所要時間に差があるとなると、年間で億単位の費用をかけてまで線路を維持する合理性には疑問符しか付きません。地元の人が何かの用事で出雲坂根~備後落合間の移動が必要になった時に列車を選択するでしょうか。どう考えても自家用車、どうしてもという場合はタクシーですよね。


 JR西日本もそのあたりはよく理解しているのでしょう。木次線の最奥部は一日に三往復しか列車が走っていませんが、運休の頻度が非常に高いのです。冬場は積雪、夏場は線路の温度上昇、秋は落ち葉による車輪の空転。とにかくすぐに運休してしまいます。実際今年の八月は猛暑続きで雨の日が少なかったため、俺が乗った列車が時刻表通りに走ったのはわずか四回だけでした。毎日どこかの区間が運休しているのです。

 JRも安全第一と言えば聞こえはいいですが、戦わずして負けている、ないしは勝負を放棄している感があります。この区間をまともに走らせる気がないのでしょう。地元の人からすると、一日三往復しかない上に来るか来ないか分からない不安定な列車に乗るという選択肢は、さらに少なくなってしまいます。


 これでは、もはや木次線に公共交通機関としての役割を担わせる意義も必然性もありません。それほど地方輸送の採算は取れていないのです。むしろ、「地方輸送が成立しない」という現実の数字が明確に示されていると言うべきでしょう。


 しかし、それでも、俺は個人的には線路は残すべきだと考えています。


 一度線路を剥がしてしまえば、二度と復活させることはできません。これは産業遺産としての価値があると捉えるべきなんです。神社仏閣が残されているのと同じように、産業遺産として保存していく方向を考えるべきだと思います。つまり「観光鉄道化」です。

 観光のアトラクションの一つとして残しておくのがよいと常々考えています。観光鉄道であれば天候の影響で運休になっても、「まあ仕方ないね」で済みます。何よりキロ当たり三十円という公共交通の運賃の制約から離れられます。一往復一万円といった価格設定にしても、乗りたい人がその値段で乗ればよいのです。実際、諸外国にはそのようにして残されている鉄道がいくつも存在します。


 地方公共団体とJRに地方ローカル線の存続協議を丸投げしている国交省の姿勢にも疑問を感じます。その構成メンバーだけで議論を行えば、JRの主張が通って廃止になるか、あるいは感情論で「残せ」と言う地元と話がまとまらず、結論を先送りするかのどちらかしかありません。地方公共団体の負担だけでの存続など到底不可能なのが実態なんです。

 いま話題になっている北海道・ニセコの並行在来線も同じ問題を抱えています。あの路線も観光客しか利用していないのですから、観光列車として片道一万円ほどの料金で走らせ、地元の方には半額などの割引策を設けるような議論を進めるのが、双方にとって最も現実的な折り合いになるはずです。それなのに、そういった話にならないのがなんとも歯がゆくてなりません。


 今年の夏、たまたま木次線とその代行輸送タクシーに乗る機会があり、地方輸送の現状――いや、惨状と言うべき実態を目の当たりにすることができました。

 おそらく、日本中のローカル線は程度の差があっても根本的には同じ問題を抱えているのだと思います。公共交通はどうあるべきかという議論では、経済性を論点にすれば結局「廃止ありき」になってしまうという現状がよく分かりました。


 岡山から乗った帰りの「のぞみ」は三連休の最終日だけあって、めちゃめちゃ混雑していたにもかかわらず、ぴったり時刻通りに走っていました。俺は木次線の乗客の百倍近い乗客を満載した「のぞみ」の車内で複雑な感情を持て余していました。鉄道輸送の強みはこの輸送力と速達性と安定性なんです。その点から考えると、現状の木次線はすでに輸送力も速達性も安定性も、すべてを放棄して、ただ惰性で走らせられているだけの存在になっていました。


 このままでは地方公共輸送は絶対に成立しないでしょう。いずれ全国のローカル線は廃止する、それ以外に経済合理性から考えた正解はありません。それは痛いほどよく分かりました。


 残していきたい線路は残していくべきだと、俺は思います。しかし、そのためには地方のローカル線を公共交通機関という役割から解放した形での、存続方法を探っていかないといけません。


 そんなことを考えたローカル線の乗車体験でした。


 ◇


 参考小説です。よければご一読ください。

「一夜のキリトリセン ~夜空に汽笛の響く時」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054890947115

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木次線代行輸送体験記 ~ ちょっと地方の末端公共交通について考えてみる ゆうすけ @Hasahina214

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