Side Kaji:動揺は悪手

 七月のニューアークは、午後五時を過ぎても、まったく涼しくならない。

 空はまだ青く、湿気を含んだ熱が、ゆっくりと街に沈んでいく。


「なあ、ニューアークに家を借りて住んだら、あかんの? 通勤に往復二時間も取られるんは、キツいんやけど」


 ミス・ブライトは、何の抑揚もない声で答えた。


「いけません。職場と自宅を離すことは、突然、襲撃を掛けられた場合に、技術者を守るための最善措置です。ご不便は理解しますが、ご希望には添えません」

「襲撃ねえ……ほんま、物騒な世界やな」

「日本では、考えられませんよね?」

「どうやろねえ。平穏に見えても、物騒な人間は、あちこちにいてはるやろうし、味方と思った人間が、牙をむくこともある。

 ……どの世界でも、そんなもんやろ」

「なるほど」


 そこで会話は途切れ、ふと、妙にまぶたが重くなっていることに気がついた。

 車の振動、適温に調整された空調に、だんだんと意識が遠のいていく。


『着いたら、起こしてほしい』


 その言葉を、最後まで伝えられたかどうかも、覚えていられないほどに。


 ──目を覚ましたとき、辺りはすっかり夜だった。

 だが、すぐに違和感に気づく。


「……どこや、ここ?」


 車は停車しているのに、ミス・ブライトの姿が見えない。

 ドアは鍵がかかっておらず、ゆっくりと開けて外へ出る。

 どこかの駐車場だが、どこのかは、まったくわからない。

 この季節特有の湿った空気と、じっとりとした熱が、肌に張りつき、本能が危険を察知して騒ぎ出す。


 そのとき、背中に、冷たい金属を押し当てられたような感触で、背筋がぞわっとした。

 その形状から、おそらく銃か何かだと見当がつき、血の気が引いていく。

 無意識に、両手を肩の位置に上げた。


「それ以上、動かないで」


 ミス・ブライトの声は乾いていて、真夏の空気とは正反対なほど冷たかった。


「なるほど……。俺は、あんたに遅れをとったんやね」

「黙ってついてきてくれるなら、あなたの安全は保証します」

「銃を突きつけられて、安心を保証されてもなあ。全然、安心できひんのやけど……」

「大丈夫です。撃つ気はありません。あなたを確保する必要があるだけですから」

「確保、ねえ……」


 ……殺すつもりならもっと簡単な手段がある。

 産業スパイという線も、彼女の過去の言動を見ると、低い。

 全身に嫌な汗をかきながら、必死に頭を働かせた。


 彼女に背後を取られたまま、しばらく、指示通りに歩いていると、空港の灯りが、遠くにぼんやりと見えてきた。

 数十メートルほど進んだとき、急に辺りが明るくなる。


 そこにあったのは、夏の夜に、真っ赤なネオンが浮かぶ、異様なほど美しい曲線の建物。

 まるで、六十年代のレトロフューチャーSF映画が、そのまま現実に落ちてきたような、白いアーチ。


「……なんや、ここ」

「TWAホテル。JFK空港敷地内です」

「なんで、こんなとこに……?」

「外部からの襲撃リスクが、最も低い場所。あなたを守るには、最適です」

「アメリカ人は、脅すことも、守る範囲に入るんやねえ……」

「ええ。必要があれば」


 軽口さえも、真正面から受け止められる状況に、若干の焦りを感じた。

 心拍の異常を検知しながら、制御ができない。

 だが、すぐに、それが当たり前のことだと気づく。

 少なくとも、銃を他人に突きつけられるような現実は、今までの人生には、存在しなかったからだ。


 TWAホテルの一室は、外の蒸し暑さを忘れさせるほど、冷えていた。

 古い航空会社を思わせる、丸い照明の下、テーブルを挟んで向かい合うと、ミス・ブライトは、いつもの無表情で、記録用の端末を置いた。


 椅子の背に、手首を軽く固定され、不自由で仕方がない。

 プログラマーの本能だろうか。

 大事な両腕を、誰かに奪われるのが、ここまで不快に感じるとは、思わなかった。

 何か嫌みでも言いたいが、ミス・ブライトの放つ重力が、それを赦さない。

 張り詰めた空気は、映画で見るような尋問、そのものだった。


 彼女は机越しに座り、無表情のまま、口を開く。


「まずは、こちらの質問に答えてください。

 今年の一月に、あなたが日本で行った、GSCへの攻撃とも言える立ち回り。

 あれの目的は、何ですか」


 しばらく黙ったまま、彼女を見つめ、ふっと息を漏らした。

 ここに来て、いまさら、半年前の三点同時攻撃を責められるとは、さすがに予想外だ。


「……あんた、ゴールドマンの部下と、ちゃうな?」

「そう思う、根拠は?」


 ミス・ブライトの眉が、わずかに動く。

 反応をひとつ得られただけでも、前進だった。


「せやな、根拠は、いくつかあるけど……まず、ゴールドマンの配下につくには、あんたは有能すぎる。

 無駄のない動き、隙を作らん姿勢、急所だけを押さえる質問。

 日本で、あいつに拘束された三日間、あんたほど優秀な人間は、一人もおらんかった。

 せやけど、一番の根拠は、あんたの目ぇ、かな」


「目、とは?」


「人間の欲や利害に、興味ない目ぇしてはることと、濁ってないこと。

 ……おそらく、あんたの忠誠の先にあるのは、ゴールドマンやのうて、合衆国ステイツやろ?」


 それは、かなり前から、薄々察知していたことだった。

 仮に、軍人上がりであることを差し引いたとしても、ミス・ブライトは、ゴールドマンのような俗物スノッブに、従える人間には思えない。

 無言を肯定と受け取り、質問を重ねる。


「だとすると、該当するのは、FBIのサイバー合同部隊NCIJTFか、国土安全保障省DHS


 後者の名を出したとき、僅かに瞳孔が揺れた。


「──なるほど、DHSが本命やな」


 そう断定すると、彼女は、ほんの一拍置いて、呼吸を整えるように目を伏せた。

 こちらに向けていた銃をホルスターに収めると、代わりに、ジャケットの内側から、樹脂製のIDを取り出す。


 光を受けて、淡く青く反射する、そのカードの中央には、鷲の紋章。

 そして、"Department of Homeland Security"の文字。

 右下にはバーコードとホログラム、左上には彼女の顔写真、

 その下に、Claire McKenzieと記されている。


「……クレア・マッケンジー。それが、あんさんの本名なんやね」

「今まで通り、ミス・ブライトと。とっさの時に、本名を出されると、困ります」

「それはええけど、そんで? DHSが、銃まで突きつけて、俺に一体、何の用や」

「……あなたが思っている以上に、私たちは、あなたが日本で行った、三点同時攻撃を、重く見ています」


 ホテルの冷房が、ひときわ強く音を立てた。

 ミス・ブライトの無表情が、ようやく、本当の尋問の始まりを告げていた。


 銃は納めても、手首の拘束を、外す気はない様子に、思わず唾を呑みそうになる。

 動揺は悪手だ。

 相手の目的がわからない以上、場の主導権は譲らない。


 呼吸をコントロールすることで、心臓に、落ち着きを取り戻そうと試みる。

 その様を、彼女の冷徹な目が、射貫くように見ていた。

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