Side Kaji:ほんまの愛ってなんやねん

 やっと仕事から解放された頃、厚顔にも鏑木絢香がやってきた。


「お疲れ様。評判は上々よ。これ、あなたの部屋のルームキー。住所は送ったから、今日からそこに住んでちょうだい」

「……俺は、あんたとは可能な限り話をしたくないです。今後はすべて秘書を通してもらえませんか?」

「そんなことが赦される立場ではないって、まだわからない?

 いったいどこまで子供なの? あなた、いくつよ」


 冷えた空気をまといながら、ゴミを見る目を向けられるが、全く構わなかった。


「俺がいくつだろうと、関係のない人間をこの戦いの土俵に上げたあんたを、俺は二度と信頼できひん。信頼の置けん奴と、仕事なんかできるか。

 俺を利用したいならすればええし、こき使いたいならそうしてかまわん。

 せやけど、二度と花に手ぇ出さんといてくれ。これ以上、あんたを軽蔑したないんや」


 ため息をひとつ吐いて、わざと、彼女の目をまっすぐに見つめた。


「……あんたは、真田さんの大事な人やったから」


 それまでこちらを馬鹿にした様子だった絢香が、その言葉に初めて気色ばんだ。


「冗談じゃないわ。あなたにそんなこと、言われたくない。圭の名前を二度と、わたしの前で口にしないで!

 あなたには……あなたにだけは、そうされたくないの」


 お互いにしばらく沈黙し、しばらくしてから彼女はそっとこちらに背を向ける。


「……佐々木さんのことは、但馬専務の取り巻きの仕業よ。でも、わたしがプロマネに入ったから、おかしなことはさせないわ。

 わたしを嫌いで構わないけれど、わたしのプロ意識まで疑わないで」


 扉の前でこちらに顔を向けずにそう捨て置いて、彼女は静かに去って行く。

 役員室の壁の白さが、やけに目に痛かった。


 タクシーに乗って花のマンションに向かう頃、時刻は既に二十三時を過ぎていた。

 いつもなら、ECHOに帰宅連絡のひとつがあってもいいはずなのに、それさえ届かないことに、胸の痛みを感じる。


 彼女にとっては、ただのサポート職員だったはずの恋人が、いきなり全く違う顔で現れたのだ。

 騙されたと思って傷ついても、何の不思議もない。


 嫌な一日だった。

 花を傷つけたことも、自分の無力さを思い知ることも、鏑木絢香の思わぬ傷の深さを見たことも。

 しかも、そのすべてが、己の至らなさから来たものだと思い知らされるのが、逃げ出したいほど息苦しい。


 ……それでも花を失いたくないって思うんは、そんなにあかんことなんやろか。

 ほんまの愛ってなんやねん。

 エゴとの違いがわからへん。


 もしも愛が真実なら、なんでこんなに胸が痛いんだろうか。

 彼女が大切でたまらないのに、なぜ傷つける結果になるのか。


 どれだけ思考しても、良い答えは見つかりそうもなかった。


 タクシーを降りて、花の住む部屋の窓を見上げると、灯りが消えていた。

 もう寝たのかもしれない。

 そう思いながらも、往生際悪くエレベーターで上がる。

 インターホンを鳴らして起こすのは忍びなく、小さく玄関のドアを叩いた。


 けれど、応答がない。聞こえてないのかもしれないと思って、再び、今度は少しだけ力を込めて叩いた。

 すると、三十秒も経たずに、勢いよく花が飛び出してきた。


 ボロボロに泣いた顔は涙の痕で腫れていて、目は充血しすぎて真っ赤だった。

 胸に飛び込んでくる彼女を迷わずに抱きしめる。


 ごめん、と謝ろうとしたとき、涙声で彼女が叫んだ。

 いや、実際には叫んではいない。彼女が発する途切れ途切れの言葉が、なぜか耳には悲鳴のように届いた。


「……ど、どこにも……どこにも行っちゃ嫌だよ……。

 お願い……ずっとそばにいて……」

「──……っ」


 心臓を打ち抜かれたように、言葉が喉元で止まる。

 何を伝えても、嘘にしかならない気がして、どう返していいのかわからなかった。


 ──なあ、じいちゃん。

 幸せにできる自信なんかひとつもないんやけど、俺はこの子を求めてもええやろか。


 何も言えないまま、ただ強く腕の中に閉じ込めた。

 この世でただひとつの、最愛の宝物を。

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