第32話

 帰宅しながら私は思う。これでひとまず何かが終わった。そんな感じがする。いや、そんなはずはない。どうやら私は自分が思っている以上に神経が参っているようだ。車を運転しながらフワフワした感覚になっている。車窓から見える風景もまるで映画からの借景のようだ。ふと自分が失踪してしまった側の人間のような気持ちになる。彼らの目には現実の世界が今もこんな風に映っているかも知れないと思う。そうか…。私は思い知る。彼らこそこの世界のありのままを見つめ続けていたのかも知れないと。そしてその世界がこのまま行き着くところまで動きを止めないことを分かっていたのだ。そう、今の私と同じ無力感で。


 私がその記事を読んだのはふとしたきっかけから。ネット検索で宮前に関する記事を読み、その序でで動画サイトにも足を伸ばしていた時のことだ。

 コロナの超変異型がF県M市で発見さる!

 その見出しに私は一瞬キョトンとなる。内容を見ると人口ボイスと雑な画像処理だけの動画だが、どうやらM市とは宮前のことを指しているらしい。視聴回数はアップ数日で1万回を超えている。おそらく「コロナ」と云うワードで流れてきた者たちだろう。もちろん中身は憶測と何処から持ってきたのかも分からない統計と歴史資料で溢れているが。

 それしても論旨がひどい。まずコロナの変異種が宮前市を中心に発生しているが、その事実は或る事情から秘密とされていること。その事情とはその変異種に罹患すると症状そのものは他のコロナより軽症だが、一旦回復後にあらゆる精神疾患を引き起こしてしまうと云うもの。宮前市はその事実を把握しておきながら社会に隠し、患者を外に出さないよう監禁施設に完全収容、今やその数は抑えきれないものになっているらしい…。

 全く荒唐無稽にも程がある内容だが、視聴者からのコメントもまたふるっている。「もしかしたらコロナ自体がM市から漏れ出たものでは?」「キチガイが溢れる街!」「自分の知っている奴にも変な人間がいる。確かM市近くの出身だった」等。全く投稿主は一体何のつもりでこんな根も葉もない動画をこのタイミングで流すのか?悪意以上の目的がなければこんなお粗末な行動には出ないだろう。

 ん?

 私の中にふと引っ掛かるものがある。勘みたいなものだ。確かにこれは何か背後に得体の知れないものを感じる。単なる嫌がらせではない。むしろ罠に近い。しかし狙いは誰だ?そうこうしているうちに視聴者数がうなぎ昇りに増え続けている。それこそ狂気の沙汰だ。私は思う。狂気がこの宮前と云う街を覆いつつある。それも電脳世界を通り道にして。もしかしたら森川千尋もこのことに気がついていたのではないか。その上で私たちの前から消えた。ならば…。


 テレビもどうやら騒ぎ出したらしい。それでなくても視聴者をネット動画と配信サービスに奪われ、存在意義を探しあぐねているコンテンツとしては格好のネタだったようだ。更には食い扶持を失くしかけながらも元々これといった芸も個性もない芸能人たちが、雨後のタケノコのように降って湧いたキワネタに喰らい付く。私たち地域民はその節操の無さに今更ながらに呆れる。取材活動は流石に警察と行政から問答無用の規制が入るが、格好の小遣い稼ぎにと知恵の欠片もない若者がオンライン取材に答えている。それらしい嘘と編集に彩られて。

 ものの本によると社会とは人の心が生み出すもので実際にはどこにも存在しないと云う。テレビ画面を見ながら私の脳裏にそんな靄のような考えが浮かぶ。一体この連中にはどんな社会が見えているのだろう。私にはむしろそっちの方がおぞましい。


「全くどこのどいつかは知らんが、余計な戯(ざ)れ言を広めやがって」

 電話の向こうから鷺谷の溜め息が漏れてくる。私はいささか申し訳ない気持ちになる。

「お忙しいんでしょう?」

「こっちはまだ良い。パトロールと職質だけだからな。役所の人間はたまらんよ。そんな連中の面倒も見なくてはならん」

「やはり感染者が?」

「当たり前だろう。県を超えての行動規制がかかってる中で、都会から馬鹿なマスコミやユー何とかって戯(たわ)け共が集まってくるんだから」

 鷺沢の言う事は尤もだ。彼のぼやきは続く。

「このご時世だ。食うに困ってる連中はたくさんいる。でもな、人としての恥とか外聞とか、それまで捨てたくはねえじゃねえか。違うかい?」

「いえ、同感です」

「生きてる意味なんて、そんな洒落たもんは最初(はな)から考えちゃいないが、なんとも淋しい人間が増えちまってるよなあ、全く」

 そこまで聞いて、私はふと気になる。

「鷺谷さん。一つ聞いていいですか?」

「何だ?」

「鷺谷さんの元に藍札は届いてませんよね?」

「もし届いてたらどうする?」

「危険じゃないですか」

「危険なもんか」

「どうしてですか?」

「戦争中の赤紙ならともかく、この歳になって今みたいな仕事をしていると、さっさと自分にケリをつけたくなることがあるんだよ。長生きが悪いってんじゃない。ただな…」

「ええ」

「周りの移ろいについていく気がしない」

 私はその言葉を受け取ってしばし考える。周りの移ろい。時代の変化の速さと云うことか。いや、それとも?

「今となったら、この街の連中が次々に消えて行ってるのは或る意味救いなのかも知れねえなあ」

「救い?」

「気を悪くするなよ。あんたが奥さんの帰りをずっと待ってる気持ちは分かる。あの拝み屋が教えた通り、奥さんの存在を追いながらな」

「ええ、まあ」

「それはあんたにとっちゃ何ともやり切れんことだろう。しかし考えようによっては、人が人と本当に分かり合おうとする姿だ。今の世間に一番足りないのはそれだと思う」

 意外だった。言い当てられている。そう私は思った。確かに妻がいなくなってからの方が、私はずっと彼女を想っている。彼女の言葉や願い、表情などを折に触れて思い出し、そこに何があったのかを考えている。そして改めて思う。自分が妻の事をほとんど知らずにいたことを。知らずに知ったような気持ちになっていたことを。

 彼女をあちらの世界に向かわせてしまったのは他ならない自分かも知れない。鷺谷も渡瀬マキも本当はそれを私に突き付けたかったのかも知れない。救い。確かにそれは救いとも呼べるだろう。しかしそれはあまりにも残酷な救いだ。もう決して後戻りとやり直しはできないのだから。

 私はふとアオの事を思い出す。私の空想の中で生まれた生涯孤独な鬼。旅を続けながら、はたまた土地土地を追われながら、アオは世の中を冷たく盗み見る。アオが見る人間たちはどこもかしこも哀れでみじめな連中ばかりだ。そしてその連中を食い物にする小悪党たち。いつしかアオは自分の手でその悪党たちを始末するようになる。何故かそうすることが自分に課せられた使命のような気がして。だが倒しても倒しても悪党は無くならない。そればかりか次から次へと新手が現れる。アオはそんな日々の暮らしから次第に自分の気持ちが遠ざかるのを感じる。そして思う。

「俺は何の為に生きながらえてるんだ?」


 いよいよ会社は休業に追い込まれた。市役所からもイベント計画はほぼ凍結との知らせがきた。予想していた事なので驚きはしないが、さすがにこれからの事を考えると漠然とした不安は残る。おそらくそれは誰しも多かれ少なかれ同じことだろう。それ以前にコロナへの感染の恐怖もある。ニュースを見ていると全国で医療崩壊寸前の状況が報告されている。この最中(さなか)でもし自分が罹患したら十分な医療を受けられないまま苦しみ続けなければならない。その恐怖…。幸い上司の神川はようやく容態が安定し、程なく退院予定だそうだ。そう考えると医療が維持できてるうちに罹患した方がかえって良いかもとも思うが、報道ではコロナは後遺症もかなり重篤とのことで、やはりそう単純な問題ではないらしい。

 生命の危機がまさに間近にある状況。これは非常時以外の何ものでもない。それなのに社会は、自分だけは傍観者の立場でいられると依然高を括っている。精神的ひきこもり。コロナはそんな社会が引き寄せた「適応疾病」なのかも知れない。人々は否応もなく個別化され、そして活動も制限された、謂わば「シングルセル」となってしまった。そして今になってうろたえている。「こんなはずではなかった」と。

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