第23話
私は職場の机でアオの物語を書き綴っていく。思いがけなく芸の世界に足を踏み入れたアオが、まるでひと昔前の自分のことのように思われる。私は一応国立大学を出ている。普通なら大都市に出て商社勤めでもすればそれなりの恰好もついたのだろうが、生来のフラつきからいつの間にか大学にも寄りつかなくなり、気が付いたら知り合いの伝手で地域のアマ劇団の手伝いや、頼まれて地方CFなどに出るようになっていた。そして結果行き着いた先が今の会社だったというわけだ。
不思議だ。私はアオの物語を綴りながらいつしか自分のこれまでをなぞっている。そして自分の何ともまとまりのない、出たとこ勝負の人生に半ば苦笑している。よくもまあこれで四十近くまで生きてきたものだ。これまで誰の世話にもなったつもりはないが、考えてみればそれは傲慢そのものなのかも知れない。
社員からはポツポツと連絡が来る。職場でもたまに顔を合わせる。一昨日も漆原が差し入れを片手にやってきた。
「結局家か此処にいるしかないんですよね。子どもが親のところに遊びに行っちゃうと暇で仕方がないんです」
「近くにご両親がいるのか?だったら一緒に住めばいいじゃないか」
私は差し出がましいことを言う。
「兄夫婦が一緒なんですよ。やっぱり気を使いますからね。子どもたち同志は仲良くてしょっちゅう一緒に遊んでますけど」
「学校も軒並み休みになっちゃったからなあ」
「預けどころのない親御さんは大変だと思います+よ。急に休みなんて取れないから」
「まあ、完全に政府の先走りだよな。対策が立ってないもんだから、派手なことやって『やってますアピール』するしかないんだ」
「本当、子どもみたい」
漆原は苦笑する。今日の彼女は仕事ではないせいか、少し違って見える。
「人の事は云えないけど、こういう時こそ為政者の実力が丸分かりになるんだ。やはりこの国にはリーダーはいない。優秀な官僚がいるだけだ。その時を待つしかない」
「その時?」
「そう。この国のリーダーは危機に直面しないと現れない。いつも遅刻するんだ」
「何だか、これまで見てきたみたいですね」
「…」
言われてハッとする。確かにそうだ。どうやら余計なお喋りをしたらしい。
「河野さん、森川って県会議員知ってます?」
「いや。県の方とはあまり顔を合わせないからね」
「じゃあ、名前ぐらい知っておいた方がいいですよ。森川遼太郎。案外真っ当な政治家です」
「知り合いなのか?」
「ええ、まあ」
私は事務仕事に飽きると街をあてどもなく歩き回る。或いは車で海辺や山までの一人ドライブ。周囲では皆がマスクを奪い合うように買い占め、そしてお互いをけん制し合うかのように「社会的距離(ソーシャルディスタンス)」と云うヤツを測っている。それは私にとってはむしろ好都合だ。もともと人付き合いがそんなに得意ではない。仕事以外では、いや、仕事でも必要最低限の付き合いで済ませてきた感がある。そしてそれで良いと決め込んでもきた。
人間関係や人脈はあればあるほど良い、と言う人もいるが私はそうは思わない。確かに人間は社会的な生き物だが、それぞれ必要としている社会には個人差がある。私の場合直接的なそれは極めて狭い。逆を云えばそれで十分なのだ。
森川遼太郎。どうやら地元の名家出身らしい。元は中央官庁の官僚で、三十を目前に地元県議会議員候補として活動、その後めでたく故郷に錦を飾ったらしい。画像で見た限りは潰しの効かなそうな朴訥とした印象だが、案外こういう手合に限って小利口な立ち振る舞いが得意なのだろう。
どうしたのか、私は微妙にいら立っている。森川遼太郎というこの街出身の青年政治家が私にはどうにも虫が好かない。私は自分を元来正直な人間だと思う。同時に理由なく人を嫌ったりする人間ではないとも思う。しかし今のこの気持ちは率直なものだ。何故なのだろう?漆原はこの男の事を「真っ当な政治家」と言った。そのことが自分の中で引っかっているのだろうか。
今自分が抱えている懸案を地元政治家がどれだけ感じ取っているか、それは甚だ疑わしい。そして私自身もそれを相手に訴える術も確証もない。それなのに、どうしてこの男はこんなに整然としていられるのか。
携帯電話が鳴った。
「はい」
「あのう、河野さんですか?」若い男の声。
「ええ」
「自分、辰宮と云います。取材協力をお願いしたんですが」
「取材?」
「ええ。宮前市界隈で起きている、一連の失踪事件のことで」
ああ…。やはりこう云う連中が出てきたか。
「失踪事件?私は只のイベント屋ですよ。警察にでも聞かれた方が良いのでは?」
「河野さん、今暇でしょう?」
「ん?」
「いや失礼。でも今ある仕事は市の再開発関連ぐらいですよね。私も同様なんです。ああ、自分はフリーのライターなんですけど、なにせフリーなんで自分で飯のタネを探すしかないわけです」
「はあ」
何だ、今時こんな不躾な取材をする人間がいるのか?こいつは一体この街から何を調べ上げようとしているのか?「雑誌か何かですか?失踪事件が続いているのは知ってますけどね、特に大掛かりな事件性があるわけではありませんよ」
「それは自分が調べます。河野さん、自分としばらく付き合って下さいませんか?」
「付き合うって、何をするんです?」
「段取りはこちらで用意しますよ」
男はそう云うと手前勝手に電話を切った。何なんだ、一体。私は職場に戻りインターネットで「失踪事件」と検索をかけてみる。このコロナ禍の世の中で一地方都市の話題がどれだけまことしややかに囁かれているのか。もしそれが本当だとしたらとんだ酔狂だ。私はネット検索に掛かった、ほぼオカルトジャンルの情報を俯瞰する。
馬鹿かお前ら…。私は思わず呟く。もっと他に気をつけなければならないこと、心配しなければならないこと、たくさんあるだろう。こんな現地の人間ですら掴みかねてる状況を外から暢気に面白がっててどうする?下手したらコロナに罹患して生命の危険性さえあると云う事態なのに。私はこの実態にこそ或る種のオカルト性を感じる。
…いや、違う。私は森川千尋の話を思い出す。彼女はこれを「日本人の魂」の問題だと言っていた。そしてそれはこの街から周囲に伝播していくとも。
先ほどのフリーライター、彼もその伝播の一役を果たす存在なのか。ならば私自身は?
私はもう一度ネット画面に見入る。そしてとある統計資料を見つける。日本の失踪登録件数。昭和30年代からまとめられたそれは、若干の増減は認められるものの想像するほどには変化していない(勿論少子高齢化による人口割合は考慮すべきだろう)。因みに現時点で一番多い事例要因は高齢者の病気に関するものだ。やはり認知症関連ということか。
「既に県内全域でもこの不思議な失踪事例が発生してるみたいですね」
電話越しに森川千尋は言う。「それに警察へ連絡が為されないまま、SNS上で確認される例も多いです。所謂連絡が急に取れなくなったパターンですね」
「その全員があなたの云う青いチケットと関係しているわけですか?」
「もちろんそうとは云えません。ただ私にはそれらが全くの偶然とも思えないということです。だから調べます。統計では見えないこともありますから」
彼女の返答を私は頭の中で反芻する。にわか雨の後の忘れられた水溜まりを思い出す。
「あなたはあなたで既に掴んでいる事実があると云うことですね。でもまだそれを公表するには抵抗、ためらいがある」
「個人的な事情もあります」
千尋は言う。「それに所詮始まったら私たちには止められない。どうすることもできないんです」
「何故ですか?」始まる?一体何が始まると云うんだ?
「何故…。歴史とはそう云うものだから。違いますか?」
どうやら今日の彼女は少しナイーブなようだ。
「実はつい先ほど、フリーライターを名乗る男から連絡があったんです。ご存じですか?」
「いえ。でもそろそろ気づく人も出てくるだろうとは思ってました」
「調査に協力して欲しいと言われました。どうしたもんでしょうね?」
「その人に会ってみないことには」
千尋は応える。「大事なのはその人が何を望んでいるかです。もしただ単に記事になる内容を探しているのなら、遅かれ早かれその人は失望するか文章を売るために脚色せざるを得ないでしょう」
「つまり今この街を中心に起きていることは少なくとも面白がる類のものではない、と?」
「はい。もちろん興味深くはあります。でもその人がそう感じる人かどうかは分かりません。それに…」
「それに?」
「むしろ良くない方向に利用される可能性もあります」
ん?
「どういうことですか?」
「私たちは再開発というトピックに踊らされているということです」
「ちょっと待ってください。それは?」
今まで出てこなかった話題だ。
「その裏でもう一つ、看過できない事態が進んでいるんです」
私はだんだんじれったくなってくる。
「だから、それは一体何なんですか?」
「生命の優劣判断です」
私は思わず黙る。再開発の裏で生命の優劣判断?この女は一体何の話をしているんだ。
「よく分かりませんね。私にはテーマが飛躍しすぎてて」
「これは一時マスコミに身を置いていた者としての勘です。必然か偶然かは判断しかねますが、今この街ではそう云う事態も裏では進行していると云うことです」
「あなたは安川と云う人間を知っていますか?」私は敢えて尋ねる。
「ええ、勿論です」
「その安川との関連は?」
「あります」
「はっきり仰るんですね」
「嘘やごまかしを言っても始まりませんから。でもそこに踏み込むことは危険です。多分極めて」
「どうしてそこは明確に?」
「鷺谷さんから聞かれてませんか?」
「いえ」
「でしたら私もこれ以上を申し上げるわけにはいきません。あなた自身が彼に感じていらっしゃる事以上のことは」
「私が安川室長に感じていること?」
「あるいは関わった人たちが何かしら心の奥底で感じていること」
私は千尋の言葉を半ば持て余しながらも、これまでの安川をはじめとする各担当者たちとの会合を思い出す。正直彼らとは仕事以外での付き合いはほとんどないが、それでも安川が彼らに与えている正負交えた影響力は容易に見て取れていた。ソフトな物腰でありながら有無を言わさない迫力。会議室から出た後は一様に皆肩から力が解放され、半ば放心するようだった。それを当初安川が持つリーダーシップの力だと素朴に感じていた私は、或る意味楽観的過ぎたのかも知れない。
もうしばらく安川には会っていない。時折建設(ハコ)モノの進捗状況がメールで知らされてくるが、今のところ計画の具体的な変更等はない。つまり安川が狙っていた通りの進展を続けていると云うことだ。悪い事じゃない。それでなくても市役所はこのコロナ禍への対応で七転八倒している。もちろん住民もだ。県のトップなどは国からの現実無視のスローガンと地元の旧態圧力に挟まれ戦々恐々としているのに。
なにせ長期プロジェクトだ。おそらく安川は時間をかけ、地道に計画を積み上げてきたはずだ。そしてそれは我々業者が想像している以上の規模なのかも知れない。表に出ていないものを含めて。
「安川室長には他の目当てがあるとでも?」
私は問うてみる。しかし受話器の先からは無言しか届かない。だがそのことで私はかえって確信を深める。「分かりました。どのみちコロナが落ち着かない限り時間を持て余すんです。私もそれとなく探ってみますよ」
「河野さんは意地悪な方ですね」
「意地悪?私がですか」
「警察の鷺谷さんや私が、どうして思うように動けないか分かろうとはされないんですね」
「危険だと云うことですか?でも、まさか安川が暴力団を飼ってるなんて話じゃないんでしょう?」
「もしそうだったとしても、やはりそれは瑣末なことだと私は思います」
森川はぽつりと言う。「人は外からの力だけでダメになるわけじゃない。あの人はそれをよく知ってるんです」
「孤独が人をダメにするとでも?」
「或いは、そうです」
「森川さん、あなた自身が今、既に危険な状況におられるんじゃないでしょうね」
「気になりますか?」
「鷺谷さんは多分あなたを心配なさってるんだと思います」
あの刑事、これを狙ってたんだな…。言った後で私は思う。全くとんだ食わせ者だ。
「私はあなたとは事情が違います。元々此処が地元であり生まれ故郷です。家だって古くからこの土地を守ることを課されてきた家系なんです」
ああ、そう云うことか。道理で時折育ちの良さが鼻につく。で、この女はどうしたいんだ?
「で、森川さんは敢えてその危険に踏み込まれると?」
「あなたがそれを見届けてくれますか?」
「何です?」
この女、人をおちょくってるのか?
「どうかしたんですか?今日は何だか森川さんらしくありませんね」
「私は無力です。その事が私はつくづく嫌になったんです」
「人間は皆無力に近いですよ。でも僅かに残る力を出し合うことで社会は成り立ってきた」私は言う。「柄にも無いことを言うようですが、あなたは一人で抱え込み過ぎてる。もっと周りを信用してもよろしいのでは」
「…」
「よろしかったらこれから会いませんか?」
私は何気に言う。そして窓の外の様子を眺める。今日は少し風が出ているみたいだ。相手からの返答はない。
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