第11話
F支店に着いた私たちは早速社員を集める。顔を知っている者がほとんどだが、中には初顔合わせもいる。神川は咄嗟に上司の顔に戻る。
「ご苦労様。今回思いがけない事になったが、それは警察と医者に任せて我々は普段通りの仕事をしよう。支店長の代わりに今後私たちが指示は出す。安心して欲しい」
私はいつになく頼もしい上司を見やる。この摩訶不思議な状況が彼を奮い立たせていると思いたいが、生憎感心している暇はない。
「今差し迫っている現場はあるかい?」
私は訊く。
「まだ大丈夫です。ほとんどはルーティンの仕事ですから」
一番近くにいた藤川と云う痩せ男が応える。「でも再開発関連の方は完全に頓挫です。うちの支店はそれを見越して設備を一新したところですが」
それで私は、彼がもともと音響マンとして入ったスタッフであることを思い出す。
「分かるよ。会社もその辺のところは理解している。今はできるところからやっていこう」
それから私たちはその社員6人とさしあたっての打ち合わせをする。そして当面彼らだけでも業務が回せる目処が立つ。
私と上司は一旦帰路につきながら話をする。
「となると、後は今後再開発絡みをどう考えるか、という事になりますね」
「まあ、とにかく連中が自走できそうで安心したよ。再開発の方はこれから担当者と会って話をつけていくしかない。滝藤は今のところ当てにならんから」
神川の喋りはいつもの調子に戻っている。高速の外は雨だ。
「どうだ、河野。お前しばらくF支店の面倒見てみないか?」
やはりそうきたか…。私は前の車一台に追い越しをかける。運転手は高齢者のようで、前を真っ直ぐに見ているが走行がどうにも不安定だ。私たちの車はほどなくその前方に出る。それにしても、神川は結局私を単身赴任させることを諦めていなかったらしい。
「そうですね。帰って妻とも話してみないと」
私は応える。しかしそれはあくまで牽制だ。妻は反対しない。むしろ自分もついていくと言うだろう。
神川は助手席で寝に入る。全く身の回りでは訳の分からない事ばかり起きているが、この上司もどこか捉えどころの見えない感じが今更ながら否定できない。車窓の前方ではアスファルトの曲線が雨霧にやけにくっきりと浮かんでいる。
「何がどうなってるんだ?」
私は一人呟く。
私は例の少年の事が気になっている。もしかしたら彼が言っていたのは決してオカルト的なものではないのではないか。むしろ彼は私の運命めいたものを見透してしまったとは考えられないだろうか。私は自分のその妄想にも似た考えに囚われている。しかし同時にそれを確かめる手立てはもう既に私にはない。
「再開発自体に問題があるんじゃない?」と妻。
「どうして?」
「理由はないけど、でもここまで変な事が続けば普通そう思うよ」
確かに。この非常事態を認めたくないのは他でもない私自身なのかも知れない。
「まあな。しかしプロジェクトはもう大幅に動き出してるんだ。早々取り止めにはできないよ」
「それは分かるけど、起きてる事がみんな警告みたいに思えて」
「警告?じゃ、本当に怖い事はまた別にあるって事か?」
私たち夫婦は会社が用意したマンションの一室にいる。あれから一週間。妻が同意してくれた事で話はすぐに決まった(単身赴任ではなく)。もっとも今回は本格的な引っ越しと云うわけではなく、荷物も必要最小限にした。
本音を云えば私だってこんな現場には関わりたくない。しかし会社が請け負った以上締めまでは責任を取る必要がある。実際私たちの仕事は途中で立ち消えになることなんてしょっちゅうだ。慣れている。ただ、だからこそ最後まで見届ける責任は厳然としてある。それが仕事と云うものだ。
「私が心配してるのはあなたの体調。それだけは気をつけてね」
「分かってるさ…と言いたいところだが」
私は苦笑する。「まあ気をつけるよ。しばらくは出張もないし早く帰れる」
「そうね」
確かに支店の業務に集中できると云うのは有難い。移動が最低限で済む。
その夜、私たちは久し振りに交わる。どちらからともなく、まるで闇の中で彷徨うように相手を求める。そう云えば最後に彼女を抱いたのはいつの頃だったろう。彼女の少し切なげな声を聞きながら私は考える。
私の故郷は遠く九州の離島だ。実家には母親と闘病中の父親がいる。数年前までは何かと云うと「戻ってこい」とせがまれていたが、妻と結婚してからは気をつかってか言わなくなった。二人共まだなんとか元気なので私も暢気に構えているが、それも今後せいぜい10年ぐらいのものだろう。私には弟もいたが二十歳の頃事故で死んだ。頭が良く人当たりも申し分なかったが、私にはただの可愛い弟だった。弟の事を考えると今でも夢を見ているようだ。彼が死んだ事で、まるでその頃までの自分も一緒に消えてしまったかのような…。
私はハッとする。あの少年、どこかで見たことがあるような気がしていた。いや、今思えばそうだった。弟だ。まだ小学生の頃のアイツにどことなく似ている。どうして今頃になってそれに気がつくんだろう?
おじさん、見える人?
少年の目が私を射抜く。途端に私の中に小さな恐怖が生まれる。
「どうしたの?」
妻が暗闇で問いかける。私は再びハッとして、そして応える。
「何でもないよ。ちょっと胸がつかえたんだ。もう大丈夫」
「ホントに?気持ち悪くないの?」
「うん、平気だ」
私はわざと明るく応える。見ると外はもう白み始めている。時間が加速している?私は目をつぶり、束の間の眠りに身を任せる。
「とにかくご無事で何よりでしたね」
相手は穏やかな笑みを浮かべて言う。私は初対面の挨拶をして、自分がしばらく当支店の事業指揮を任されたことを告げる。ここはF県、宮前市役所の一室。
「そうですか。それはこちらとしても有難い。何しろ再開発の本番はこれからですからね」
「安川さん」
私は相手に呼び掛ける。「こんな事をお伺いするのは如何かとも思うのですが」
「何でしょう?」
「市役所(こちら)の方でも何か、不穏なことが起きていると云うのはないんですか?」
すると安川再開発室長は自身の眼鏡に手をやる。
「いろんなところから噂話は聞いておりますよ。しかし当件との関連については根も葉もないものばかりです。気にすることはありませんよ」
「…」
「お気持ちは分かりますがね。ここはあくまでビジネスとして考えましょう。とかく変化にはリスクは付き物ですよ、河野さん」
そう言う安川は仕立ての良い背広を着ている。或いは元々おしゃれに気を使う人間なのかも知れない。歳は40代初めぐらいか。
「分かりました。これからもどうぞよろしくお願いします」
私は挨拶をして早々に市役所庁舎を後にする。
「どうでした?」
例の音響マン、藤川が声を掛けてくる。
「なかなかのクセ者と見た」
私は笑いながら応える。「公務員と云うより優秀なビジネスマンといった感じだね」
「実際そうですよ。ただ…」
「?」
「裏ではあまり良い評判を聞かないのも事実で」
「そうなんだ。でもデキる人間ってのは往々にしてそうなんじゃないか」
「ん~、何て云いますか。ちょっと気味悪いんですよね」
隣りで聞いていた漆原と云う女子社員が応える。「目の奥がずっと冷めてるって感じで」
私は彼女の表情を観察する。こう云う時女性の感性は正確だ。引き続き安川には注意した方が良いと思う。
意外にも私はF支店での仕事に新鮮なものを感じている。元々規模的にも中程度の大きさだが、その分スタッフの結束は固い。何より皆それぞれが仕事にやりがいを感じている様子が窺える。思えば本店の方も私が入社した頃は同じような感じだった。従業員皆の顔が見えた。各自にアイデアがあった。
現場のアルバイトたちも個性豊かだ。近くに新設の大学があるせいか、演劇・音楽の素養のある者も多い。中には如何にも技術畑の人間も。そうか…。彼らと毎週現場を共にしながら私は思う。確かにこの街は変わりつつある。行く先は分からないが、街全体がそのうねりをはらんでいる。ここ、「宮前市」はそう云う場所なのだ。
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