第6話 紅茶
フヨフヨと飛び去るガーゴイルたちを見送ったラニは、改めて当初の目的であった魔王城の除染作業へと集中した。
常に付き従うようにガイルが後ろをついてきていたが、意外にも荷物持ちとしては役立っていた。特に、年季の入った重厚な扉を開けるときなどはその腕力が頼もしく思える場面も多かった。
「ふう、やっと玄関ホールまで終わったぞ」
小さく息を吐いたラニの声に応じるように、どこからともなく現れたのは夢魔の爺やだった。
「お疲れ様でございます」
そう言って差し出された銀のトレイには、芳しい香りの立ち上る紅茶が乗っている。金の縁取りにバラの絵が描かれたカップとソーサーは、それだけで高級品と一目でわかる気品を放っていた。
「……どこから持ってきたのだ?」
次に爺やが亜空間収納から呼び出したのは、アカンサスの彫刻が燦然と輝く高背の椅子。ラニが腰を下ろすと、深紅のベルベットに覆われた座面がしっとりと体を受け止め、包み込むような柔らかさを伝えてきた。縁を飾る葡萄唐草文様の金糸が光の角度に応じて淡く煌めき、視線を奪う。
正に至れり尽くせり。瘴気の除染はラニにしか成し得ぬ大役であったが、それを当然のごとく支える爺やの徹底ぶりに、ラニは満足気に目を細める。そして、差し出された紅茶にそっと口をつけた。
香りは花の蜜を思わせ、舌の上ではまろやかな渋みが静かに広がり、余韻に甘やかな果実のような風味が残る。
「……なんと雅やかな」
驚きに目を見開くラニ。その反応を見て爺やは悪戯の成功を楽しむ子供のように口元を綻ばせ、種明かしを始める。
除染が進み、厨房の清浄化が完了したことで、前魔王が残した食器類も使用可能となった。そこで爺やは、魔王城を飛び出し、瘴気の森を抜けてその先の人族の街へと赴いたのだという。
当然、瘴気の森の広さは10キロ以上にも及び、そこを一気に飛び越えるのは並の存在には不可能に近い。しかし上位悪魔の彼にとっては造作もないことだった。
他国の貴族の使用人になりすまし、王族御用達の店で厳選された茶葉を入手。あわせて、新鮮な水も樽で購入して持ち帰ってきたのだという。
「……ぬかりないな」
その鮮やかな手際に、ラニは感嘆とも呆れともつかぬ小さな笑いを漏らした。
この地に湧く水は、長らく瘴気に侵されて毒水となっている。ラニ自身は魔王ゆえにそれを口にしても害はないが、せっかく上等な茶葉を用意したのならば水にもこだわるべきだ。爺やの心遣いは、その細やかさにおいても完璧だった。
金銭の工面については、実は何の心配もなかった。
魔王城の宝物庫には、前魔王が溜め込んだ金銀財宝が山のように残っていたのだ。まるで世界征服でも目論んでいたかのような量で、少々の高級茶葉の買い付けなど、針で突いた程度の出費に過ぎない。
他人の遺産と笑うなかれ。これは立派なリサイクルである。異論は認めない。
なお、ラニたちのような魔族や、彼女が創造した眷属たちの多くは、いわゆる「食事」という行為を必要としない。ラニ自身も、夢魔の爺やも、リビングアーマーのガイルたちも、さらにはガーゴイルたちに至るまで、栄養補給のための飲食は必要ではない。
しかし、睡眠すら必要としない存在も少なくないこの世界において、ラニだけは少し異なっていた。
「妾は……食べたいし、寝たい」
それは、彼女の中に宿る“私”の記憶、あるいは存在がそうさせるのだと、どこかで直感していた。
だからこそ、爺やが差し出した紅茶は心から嬉しかった。
爺やはラニのそういった感覚――必要ではないが、欲するもの――をよく理解していた。
それは、創造主と創造物という関係を超えた、深い理解と信頼に裏打ちされた絆だった。
丁寧に淹れられた紅茶は、香り立つ湯気の向こうにささやかな幸福を伴っていた。
金の縁取りとバラの絵が彩るカップは、いかにも前魔王らしい見栄っ張りな趣味を感じさせるものだったが、こと茶器に関してはその派手さがラニの心をくすぐった。
一流の茶器に、一級の腕前で淹れられた特級の茶葉。口に含めば、華やかな香りと深みのある味わいが広がり、体の芯から温まるようだった。
“私”の記憶が思わず歓喜するほどの味わいに、ラニはゆっくりと目を閉じた。
この城にも、ようやく穏やかな時間が流れ始めていた。
「次は地下か…」
華やかな紅茶を飲みながらラニは長いため息をつく。
「地下には何があるのやら…気が重いのぅ…」
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