第4話 お前は俺だ

 迷宮災害ダンジョン・ディザスター発生エリアのマップが、ブリーフィングルームのスクリーン一面に広がっていた。


 赤く塗られた円が、シティの外れを大きくなぞっている。

 郊外の物流センターとアウトレットモール、周囲の道路ごと飲み込んだ、でかいフラクチャーだった。


「危険度判定、ランクSマイナス」


 前方の壇上で、課長クラスらしいスーツの男が淡々と読み上げる。


上級外獣エリートエネミークラスが複数混じっていると推定。

 これよりダンジョン災害対策局DPAダンジョン対策室所属、減速支援隊スロー全班総出での制圧に移行する」


 ブリーフィングルームの椅子に並んで座る隊員たちの空気が、わずかに重くなった。


 蓮も、その中の一人だ。


 前回の初陣から、まだ日が浅い。

 あのモールでの巻き戻りの感覚は、いまだにうまく言葉にできないまま、頭の奥に棘みたいに残っている。


 それでも、任務は進む。


「もう一つ、重要な情報がある」


 スーツの男がリモコンを押すと、マップが切り替わった。


 暗いフロアの監視カメラ映像。

 血飛沫と、砕けた外骨格。


 その中心に、黒い影が立っていた。


 人の形をしている。


 だが、人ではない。


 全身を黒い外骨格に覆われた、人型のエネミー。

 腕からは、生物的なブレードが伸びている。


「アンノウンクラス外獣・シャドウブリンガー」


 男の声色が、わずかに硬くなる。


「通称、ゴーストランナー。

 当該大型ダンジョン周辺区域で、複数回の目撃情報とログ記録が上がっている」


 蓮の隣で、ダッシュが小さく息を呑む。


「マジか、シャドウブリンガー直轄案件」


「嬉しそうに言うな。ろくでもないだろうが」


 反対側のウォールが、低くうなる。


 壇上では、淡々と説明が続く。


「行動パターンはアンノウン。

 外獣を狩る行動が多数確認されている一方で、減速支援隊スロー、および装甲戦士アーマード・ヒーローへの積極的攻撃も複数例」


 スクリーンが切り替わり、別のログ映像が映る。


 スロー部隊の誰かが展開した減速フィールドの中を、黒い影が平然と駆け抜ける。

 その背後で、外獣の首がまとめて飛ぶ。


「味方とは規定できない。

 かといって、他の外獣と同列の敵とも言い切れない。

 本件における扱いは、遭遇した場合、最優先は回避。攻撃を受けた場合のみ応戦可とする」


 ざわ、と小さなざわめき。


 スーツの男は、さらに一枚スライドを送った。


 今度は、見覚えのあるシルエットが映る。


「なお、今回の現場には、装甲戦士ヒーローライノ隊が別ルートから突入予定だ。

 中枢制圧については、彼らとの協調行動を前提とする」


 画面には、厚い装甲と巨大なシールドを構えた、重量級のヒーローが映っていた。


 蓮は、思わず息を呑む。


 前話で見たヒーローPVの一コマ。

 ビルの壁をぶち抜き、外獣の突進を正面から叩き止めるライノ。


 映像の中では、派手なエフェクトと音楽に彩られた正義の戦士だった。


「最後に、第三班前衛要員、新堂蓮」


 名前を呼ばれ、蓮は立ち上がる。


「今回も前衛登録を継続。

 Speed2・Shield2相当として、合金ソードおよびハンドガン、高速戦闘外装スピードスーツの前線運用を承認する」


 スクリーン上に、自分の名前と簡単な武装シルエットが表示される。


 背中に視線を感じる。


 羨望と、不安と、「数字だけのエリート」に向ける刺々しさ。

 ごちゃ混ぜになった視線だ。


 壇下で腕を組んでいた神崎が、短く言う。


「……いいか新堂。前に出るのはお前の仕事だが、撃っていいのは『敵』だけだ。

 味方に当てたら、俺が殺す」


「物騒だな隊長」


 ダッシュが小声で笑う。


 だが神崎の目は、本気だった。


「了解」


 蓮は、喉の奥の渇きを押し込んで答えた。


 スクリーンの中のライノとシャドウブリンガーと、自分の名前が、どこかで重なって見えた。


◇ ◇ ◇


 出動準備エリアは、エンジン音と油の匂いに満ちていた。


 装甲車の列。

 その脇で、隊員たちがヘルメットを被り、最終チェックをしている。


 蓮も、スピードスーツの締め付けにまだ慣れない身体をねじ込みながら、ホルスターのハンドガンを確認していた。


 ふと、視界の端に、妙な重量感が入ってくる。


 振り向いた先にいたのは――映像で見慣れたシルエットだった。


 分厚い装甲。

 象徴的な角のついたヘルム。

 胸部には、公式マークと共に『RHINO』の文字。


 装甲戦士ライノが、そこにいた。


 PVで見たものと同じはずなのに、あまりにも違って見えた。


 ライトの反射ではなく、蛍光灯の白さに晒された装甲は、妙に生々しい。

 金属だけじゃない。内部で脈打つ何かが、装甲の隙間ごしにうっすら呼吸しているみたいだ。


 ヘルムの中の視線が、一瞬だけこちらをかすめた気がした。


「……新人か」


 低くくぐもった声。


 マイク越しなのか、生の声なのか分からない。


「新堂蓮です。スロー部隊の前衛で」


「ウワサのトリプルのエース、ってやつか。内部資料で見たぞ」


 ライノは、巨大なシールドを肩に担いだまま、蓮のスーツをざっと見回す。


 褒められたいわけじゃないのに、無性に背筋が伸びた。


「ヒーローPVで見るのと、印象違うか?」


 不意にそんなことを聞かれ、蓮は言葉に詰まる。


 映像の中のライノは、エフェクトと編集で頼れるタンクに仕上がっていた。

 目の前のライノは――生身の人間と、何か別のものの境界線みたいだった。


「……なんか、その。画面より、リアルですね」


「そりゃそうだ。編集で血と悲鳴はだいたい消される」


 ライノのヘルムの奥で、短く笑ったような気配がした。


「前に出るやつは、いつも足りねえ。

 死にたくないなら、スローの影から離れんな」


 そう言い残し、ライノは自分の部隊の方へ歩き去っていく。


 重い足音と、装甲が擦れる音。


 蓮はその背中を見送りながら、妙なざらつきを胸の奥に覚えていた。


 画面のヒーローは、カッコいい。

 今、目の前を歩いていったヒーローは――どう見ても「死ぬ覚悟を済ませた人間」にしか見えなかった。


◇ ◇ ◇


 大型ダンジョンの入口は、物流センターの巨大な搬入口だった。


 シャッターは半分吹き飛び、内部からは薄い黒霧が流れ出している。


 空気が重い。

 肌に刺さるような圧がある。


「第三班、進入開始」


 神崎の声と同時に、スロー三班の隊員たちが次々と内部へ消えていく。


 一班は左翼、二班は右翼。

 神崎班は、中央突破。


 ライノ隊は、別ルートから深層を叩きに行く。


 蓮は、合金ソードを腰に下げ、ハンドガンをホルスターに収めた状態で列の真ん中にいた。


 足元の床は、もともとコンクリートのはずなのに、ところどころ粘土みたいに柔らかい。

壁も、物流センターの壁とダンジョンの壁が入り混じって、現実感がぐしゃぐしゃだった。


「グロ系苦手な人、目伏せといてくださーい」


 インカム越しに、OW1《オーバーウォッチ》――水瀬柚希の軽い声が入る。


「これから深層フロアの映像共有するけど、ちょっと血まみれだから」


「今さらだろ」


 ウォールがぼそっと突っ込む。


 蓮のヘルメットバイザーにも、深層のライブ映像がオーバーレイ表示された。


 暗いフロア。


 貨物用のラックが歪んだ柱みたいに立ち並び、その合間を、獣と虫を合わせたような外獣群がうごめいている。


「上級クラス混じってる。スピードLv2+シールドLv2相当の反応あり。

 中枢はその先の吹き抜けだね。ライノ隊は反対側から向かってる」


「了解」


 神崎が短く答えた。


 耳鳴りのような感覚。


 減速フィールドが展開される。


 世界が少し、重くなった。


「いつも通りだ。

 ウォールは前衛のカバーと退路確保。

 ダッシュは救助と連絡、状況に応じて敵を釣れ。

 新堂は――前に出て暴れろ」


「言われなくても」


 蓮は笑ってみせた。


 笑っておかないと、手の震えがバレそうだった。


(……今回も、上手くやる)


 自分に言い聞かせるように、蓮は一歩目を踏み出した。


◇ ◇ ◇


 深層フロアは、もはや物流センターの面影を失っていた。


 天井は高く、どこからどこまでが室内なのか分からない。

 ラックだったものは捻じ曲がり、巨大な鉄の樹みたいに枝を伸ばしている。


 その枝の間を、外獣たちが走り回っていた。


 犬ほどの大きさの四足獣。

 人の腰ぐらいまである甲殻類。

 床から生えた触手のようなものが、ときどきぴくりと動く。


「うへえ、正面から見るとバイオハザード感すご」


 ダッシュの軽口が、かろうじて空気を軽くしてくれていた。


 神崎のフィールドが、その手前一帯を包み込む。


 外獣たちの動きが、一段階重くなる。


「第一班、前進。

 二班三班は両側から包むように進め。

 外縁に逃げた個体は通常戦力で拾う」


 神崎の指示が飛ぶ。


 蓮は、能力の出力を開く。


 世界の重さの中で、自分だけが軽くなる感覚。


 一体、二体。


 こちらを向いた外獣の首筋を斬り、突進をシールドでいなし、脚を払って心臓部を刺す。


 訓練より速いし、重い。

 だが、やれない速度じゃない。


「調子はどう、新堂くん」


 柚希の声が入る。


「全然行けます。むしろスローが効きすぎて暇なくらい」


「はい自信過多いただきました。記録しとこ」


「余計なログ残すな」


 神崎が静かに釘を刺す。


 その時だった。


 フロア全体の空気が、すっと冷えた。


 理由は分からない。


 ただ、迷わず分かる変化だった。


 外獣たちが、一斉に動きを止める。


 誰もいない方向を向いて、震えている。


「……何だ」


 ウォールが低く呟く。


 次の瞬間、闇が裂けた。


◇ ◇ ◇


 上から落ちてきた。


 そう錯覚するほど、唐突だった。


 黒い影が、天井付近の鉄骨から飛び降りてくる。


 着地と同時に、周囲の空間が一瞬歪んだ。


 スローの重さをものともしていない。


 黒い外骨格。


 生物的な装甲。

 顔の部分も、マスクではなく有機的な装甲に覆われている。


 胸部、肩、脚。

 全てが「走るため」に最適化されたようなラインだった。


 右腕から伸びた黒いブレードが、周囲の外獣をまとめて薙ぎ払う。


 刃が通った軌道に、赤黒い線が生まれる。


 上級クラスと思しき外獣たちが、一撃でバラバラになっていく。


「ログ映像と一致。

 クラスアンノウン―—シャドウブリンガーを確認」


 柚希の声が、ほんの少しだけ震えていた。


 フロア全体の視線が、黒い影に吸い寄せられる。


「外獣を狩ってる……」


 ダッシュが、思わず漏らす。


 シャドウブリンガーは、あきらかにスピードLv2以上の速度で動いていた。


 神崎のフィールドは間違いなく展開されている。

 だが、その中で黒い影だけが、別の時間を走っている。


 外獣の群れとスロー部隊、それから反対側から突入してきた装甲戦士アーマード・ヒーローライノ部隊の位置を、一瞬で把握し、危険度の高い個体から順番に潰していく。


 その立ち位置は、どちらかというと民間人や後方を守る側のそれだった。


 前線に出て敵の群れを削りつつ、仲間の死角に滑り込む。


 そんな戦い方を、神崎は知っている。


「……まさか」


 ヘルメットの下で、神崎の喉がかすかに鳴る。


「いや、あり得ない」


 外骨格の下にいるものが誰なのか。

 その仮説を、頭が勝手に組み立て、同時に全力で否定していた。


◇ ◇ ◇


 外獣が、ほとんどいなくなった。


 深層フロアに残っているのは、シャドウブリンガーと、スロー三班、装甲戦士ライノ隊、それから通常戦力の一部だけ。


 静かになった。


 だからこそ、その動きがはっきり見えた。


 黒い影が、ゆっくりとこちらに向き直る。


 赤い光が、仮面の奥で灯る。


 その視線が、一度スロー部隊を舐めるように走り――やがて、反対側の重装甲に止まった。


「……来るぞ」


 ライノのくぐもった声が、全体回線に乗る。


 巨大なシールドが、前面にせり出す。


 シャドウブリンガーは、一瞬だけ間合いを測るように立ち止まり、それから一気に距離を詰めた。


 スロー全開でも、視線で追い切れない速さ。


 黒いブレードと、ライノのシールドが正面でぶつかる。


 鈍い衝撃音。


 ライノの足元の床が、めり込んだ。


「おいおい、どんだけのスペックなんだ―—ゴーストランナーは……」


 誰かが息を呑む。


 シャドウブリンガーは、真正面からの押し合いを一瞬だけ楽しんだように見えた。


 次の瞬間、軌道をずらす。


 シールドの縁を滑り、死角に潜り込み、そのまま胴体の装甲の隙間へブレードをねじ込んだ。


「っが――」


 ライノの声が途切れる。


 分厚い装甲越しに、赤い液体が噴き出した。


 重い身体が、ゆっくりと膝をつき、その場に崩れ落ちる。


 スーツのステータスウィンドウが、蓮のバイザーにポップアップした。


 ライノ:バイタル反応消失。


 その文字列が、あまりにもあっさりと表示される。


「ライノ、反応途絶。……心拍ゼロ。

 現場判断で、殉職とみなす」


 柚希の声が、絞り出すように告げた。


 ブリーフィングで見たヒーローPVの「頼れるタンク」が、現場では一撃で倒れる。


 編集もBGMも、ここにはない。


 死んだヒーローの装甲は、ただの重いガラクタみたいに、床に転がっていた。


 シャドウブリンガーがこちらに視線を向けた。


「やっぱ来るか」


 ウォールが、盾を前に出す。


 シャドウブリンガーの赤い目が、今度は完全に、スロー部隊の方へ向き直った。


 神崎が即座に声を飛ばす。


「全班、後退態勢。

 シャドウブリンガーとの交戦は推奨されていない。

 距離を取りつつ退路を確保しろ」


 だが、黒い影は待たなかった。


 今度は、蓮たちの前から消えた。


◇ ◇ ◇


 一度目。


 気付いた時には、目の前にいた。


 シャドウブリンガーのブレードが、真正面から振り下ろされる。


 Speed2の反応速度で、ギリギリ腕を上げる。


 シールドが、悲鳴みたいな音を立てた。


 耐えられない。


 バリアが砕け、その余波が胸部のスピードスーツごと蓮の身体を裂いた。


「がっ――」


 視界が、赤で塗りつぶされる。


 肺から空気が全部抜けていく。


 床が近づく。


(あ、またか)


 モールと同じ感覚。


 そこまで思ったところで、世界がブチッと切れた。


◇ ◇ ◇


 深層フロア。


 ラックの林。

 赤い警告表示。


 さっきと同じ光景が、音もなく立ち上がる。


 息が苦しい。


 だが、胸は裂けていない。


「第三班、後退態勢。

 シャドウブリンガーとの交戦は推奨されていない。

 距離を取りつつ退路を確保しろ」


 神崎の声が、もう一度繰り返される。


「……マジかよ」


 喉から勝手に零れた。


 今度は、分かる。


 この後、シャドウブリンガーがどう動くか。


 真正面に来る。


 それを、真正面で受けたら死ぬ。


 だったら――


 蓮は、半歩だけ横にずれた。


 シャドウブリンガーが、やはり視界から消える。


 今度は、さっきよりわずかに遅れて現れた。


 斜めからの一閃。


 蓮はそれを読んでいた。


 シールドを斜めに構え、軌道を外す。


 ブレードがバリアを滑り、肩口をかすめる。


 その瞬間、左脚に鋭い痛みが走った。


 遅れて飛び出してきた尾か、蹴りか。


 とにかく、何かが膝から下を持っていった。


「っぎ……!」


 視界がぐらつく。


 床に倒れ込んだ瞬間、赤い影が上から覆いかぶさってくるのが見えた。


 ブレードが振り下ろされる。


 今度は頭だ。


(二回目)


 そこまで思ったところで、また世界が切れた。


◇ ◇ ◇


 三度目。


 喉の奥が焼けるような息苦しさと、脚を失った感覚と、胸を貫かれた痛み。


 全部、残っている。


 身体は、元通り。


 深層フロア。

 ラック。

 スローの重さ。


 シャドウブリンガーは、まだライノの残骸の方を向いている。


 神崎の声が、三度目の指示を始めようとしていた。


「第三班、後退態勢――」


「隊長、前に出ます」


 蓮は遮った。


 自分でも驚くほど、声が低かった。


「アイツ、絶対こっち来る。

 だったら、最初から俺が正面取った方がマシです」


 一瞬、通信が静かになる。


 次の瞬間、神崎が短く言った。


「……死ぬな」


「はい」


 蓮は、深く息を吸った。


 正面からは受けない。

 斜めからも受けない。


 二度の死で学んだのは、シャドウブリンガーの癖だった。


 真正面から入って、最後だけ少し軌道をずらす。

 相手の防御を削って、別角度から致命傷を狙う。


 だったら、そのズレに自分から乗る。


 蓮は、ほんの少しだけ前に出た。


 シールドを構える位置を、わざとわずかに低くする。


 切り返しの軌道を、スピードスーツの補助とSpeed2の出力で先に動くことで外す。


 シャドウブリンガーの視線が、またこちらに向いた。


 赤い光。


 次の瞬間、黒い影が消える。


 読める。


 真正面。


 蓮は一歩だけ前に踏み込み、同時に身体を左に滑らせた。


 地面を蹴った瞬間、スーツが脚を押し出す。


 視界の端を、黒いブレードがかすめる。


 シールドに触れた瞬間、腕全体が痺れる。


 だが、砕けない。


ギリギリで軌道の外側に逃がした。



 シャドウブリンガーの胸部装甲が、目の前に来る。


 わずかな隙。


「っらぁあああっ!!」


 蓮は、合金ソードを全力で振り抜いた。


 刃が、黒い外骨格を浅く裂く。


 手応えは薄い。


 それでも、今まで傷ひとつ付かなかった存在に、人間の攻撃が通った瞬間だった。


 シャドウブリンガーの身体が、わずかに揺れる。


 時間が、止まったように感じた。


◇ ◇ ◇


 赤い目が、真正面から蓮を捉えていた。


 仮面の奥。

 人間の顔は見えない。


 それでも、見られていると分かる。


 何かを測られている。


「―—お前は俺だ」


 声は、意外なほど低く、掠れていた。


 ヘルメット越しに聞こえるのに、耳ではなく脳に直接響く感じがある。


 蓮の頭の中に、第1話で見たヒーローPVがフラッシュバックする。


 ビルの屋上に立つ装甲戦士アーマード・ヒーロー

 ライノの雄姿。

 そのシルエットに、自分の姿を重ねていたあの瞬間。


 そして、ステータス画面。Speed2/Shield2/Other:???


 何度も見返して、ニヤついていた数値。


『数字だけエリートは、だいたい先に壊れる』


 ウォールの言葉が、なぜか今になって刺さる。



「――その可能性ポテンシャルに食い殺されるぞ」


 シャドウブリンガーの声が、さらに低く沈んだ。


 その言葉の意味を、蓮はまだ全部は理解できない。


 ただ、本能だけは反応していた。


(嫌だ)


 喉の奥で、何かが焼ける。


(俺は、あんたみたいになりたくない)


 人間の形を捨てて、黒い外骨格に身を包み、誰かを守っているのか壊しているのか分からない存在に。


 それでも。


 シャドウブリンガーを見ていると、目をそらせない。


 その足運びと、身体の使い方が、どこかで自分の目指していた「ヒーロー像」と重なってしまうから。


 赤い目が、ほんの少しだけ細くなった気がした。


 嘲笑か、哀れみか、それとも別の何かか。


 蓮には分からない。


 次の瞬間、シャドウブリンガーは視線を外した。


 逃げ残っていた外獣が数体、フロアの端で震えている。


 そちらへ向けて一歩踏み出し、まとめて斬り捨てる。


 そのまま、深層へと駆けていった。


 黒い影は、あっという間に霧の向こうへ消えた。


◇ ◇ ◇


「……生きてるか、新堂」


 ウォールの声で、蓮は我に返った。


 全身が汗でぐっしょりだった。


 身体的には、大きな傷はない。


 シールドの外周にひびが入っているくらいだ。


 代わりに、頭の芯がズキズキと痛む。


「……たぶん、ギリギリ」


 蓮は、震える手で合金ソードを鞘に戻した。


 スロー部隊は、どうにか全員生きていた。


 だが、ライノは戻ってこない。通常戦力にも負傷者数名。


 床に横たわる装甲の塊は、さっき出動準備エリアで見たヒーローと、同じもののはずなのに、別物にしか見えなかった。


「第三班、撤退開始。

 これ以上の追撃は行わない。

 シャドウブリンガーは深層に消失。追跡禁止」


 柚希の声が、無理やり落ち着きを保っていた。


 蓮は、一歩踏み出したところで足を止めた。


 膝が笑っていた。


 吐き気が込み上げる。


(俺が、もっと上手くやれてたら)


 三度死んで、やっと一太刀入れただけ。


 その間に、ヒーローが一人、殉職した。


 自分が経験した三つの死と、ライノの一度きりの死が、妙に鮮明に、頭の裏側でリピートされていた。


◇ ◇ ◇


 医療室の天井は、白かった。


 前話と同じような感想が、ぼんやりと浮かぶ。


 蓮はベッドに寝かされ、点滴を繋がれていた。


 身体に直接の致命傷はない。

 だが、脳波と自律神経の値がめちゃくちゃだったらしい。


 悪夢を見ては飛び起き、また眠らされる。


 夢の中で、何度もブレードに斬られ、脚を飛ばされ、胸を貫かれた。


 そのたびに、赤い目と、ライノが崩れ落ちる瞬間がセットで現れる。


『お前は俺だ』


 あの声だけが、頭蓋骨の内側にこびりついている。


◇ ◇ ◇


 一方その頃、オペレーションルーム。


 モニタには、第三班のヘルメットカメラや生体ログが並んでいた。


「……やっぱり、おかしい」


 柚希が、眉間にシワを寄せる。


 研究班の白衣たちも、彼女の後ろに集まっていた。


「どの辺りが?」


「ここ。シャドウブリンガーとの初接触時」


 蓮のカメラログを再生する。


 シャドウブリンガーが消え、次のフレームで目の前に現れる。

 ブレードが振り下ろされる直前でフレームが止まる。


「この直後――」


 柚希がタイムラインをなぞる。


「一回目のログでは、胸部装甲が破壊されて、心拍数がゼロになってる」


 別ウィンドウに、生体ログのグラフが開く。


 心拍数、血中酸素、その他色々なデータ。


 確かに、一瞬だけ「終わって」いる。


「なのに、現実の新堂蓮には、その致命傷が存在しない」


 別の白衣が、困惑を隠せない声で言う。


「機器の誤作動では? スローとシャドウブリンガーの干渉で何か……」


「だったら、二回も三回も同じように記録されないでしょ」


 柚希は、二度目・三度目のログを順に呼び出した。


 脚が吹き飛ぶデータ。

 頭部への致命打。


 どれも、数秒後には「なかったこと」になっている。


 カメラ位置も、生体データも、ほんの数秒前の状態に戻っているのに、「死んだ」体験だけがログの痕跡として残っていた。


「三回だ。

 致命的被弾が、三度分」


 柚希は、まとめたメモをスクリーン下部に打ち込んだ。


『新堂蓮:致命傷ログ三回分/現実の致命傷ゼロ。

 本人視点タイムラインのみ巻き戻しが発生している可能性』


 白衣の一人が、冗談めかして言う。


「三度だけやり直せるってことか。ゲームのセーブデータみたいに」


「笑い事じゃないよ」


 柚希は睨みつけるように言った。


「これ、使い方次第では誰かを何度も殺すし、間違えれば本人の頭が壊れるやつだから」


 それでも、呼び名は必要だ。


 研究班の一人が、画面端に小さく書き込む。


『仮称:過去再行トリトライ


 その文字列が、システム内でひっそりとタグとして登録された。


◇ ◇ ◇


 少し離れた個室で、神崎は一人モニタを見つめていた。


 シャドウブリンガーのログ映像と、新堂蓮のログ。


 三度分の死と、生。


 ライノの殉職記録。


 赤い目と、黒い生物的な装甲。


 重ねてはいけないものが、頭の中で勝手に重なっていく。


「……やはり、あいつなのか」


 誰にも聞こえない声で、そう呟いた。


 外骨格の下にいるあいつの姿と、ベッドでうなされている新堂蓮の姿が、一本の線で繋がってしまうのを、否定しきれなかった。


 スロー部隊の前線に、もう一人、人間をやめる可能性がある奴が増えた。


 その事実だけが、静かに、じわじわと部隊の足元を侵食し始めていた。

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