第4話 お前は俺だ
赤く塗られた円が、シティの外れを大きくなぞっている。
郊外の物流センターとアウトレットモール、周囲の道路ごと飲み込んだ、でかいフラクチャーだった。
「危険度判定、ランクSマイナス」
前方の壇上で、課長クラスらしいスーツの男が淡々と読み上げる。
「
これよりダンジョン災害対策局DPAダンジョン対策室所属、
ブリーフィングルームの椅子に並んで座る隊員たちの空気が、わずかに重くなった。
蓮も、その中の一人だ。
前回の初陣から、まだ日が浅い。
あのモールでの巻き戻りの感覚は、いまだにうまく言葉にできないまま、頭の奥に棘みたいに残っている。
それでも、任務は進む。
「もう一つ、重要な情報がある」
スーツの男がリモコンを押すと、マップが切り替わった。
暗いフロアの監視カメラ映像。
血飛沫と、砕けた外骨格。
その中心に、黒い影が立っていた。
人の形をしている。
だが、人ではない。
全身を黒い外骨格に覆われた、人型のエネミー。
腕からは、生物的なブレードが伸びている。
「アンノウンクラス外獣・シャドウブリンガー」
男の声色が、わずかに硬くなる。
「通称、ゴーストランナー。
当該大型ダンジョン周辺区域で、複数回の目撃情報とログ記録が上がっている」
蓮の隣で、ダッシュが小さく息を呑む。
「マジか、シャドウブリンガー直轄案件」
「嬉しそうに言うな。ろくでもないだろうが」
反対側のウォールが、低くうなる。
壇上では、淡々と説明が続く。
「行動パターンはアンノウン。
外獣を狩る行動が多数確認されている一方で、
スクリーンが切り替わり、別のログ映像が映る。
スロー部隊の誰かが展開した減速フィールドの中を、黒い影が平然と駆け抜ける。
その背後で、外獣の首がまとめて飛ぶ。
「味方とは規定できない。
かといって、他の外獣と同列の敵とも言い切れない。
本件における扱いは、遭遇した場合、最優先は回避。攻撃を受けた場合のみ応戦可とする」
ざわ、と小さなざわめき。
スーツの男は、さらに一枚スライドを送った。
今度は、見覚えのあるシルエットが映る。
「なお、今回の現場には、
中枢制圧については、彼らとの協調行動を前提とする」
画面には、厚い装甲と巨大なシールドを構えた、重量級のヒーローが映っていた。
蓮は、思わず息を呑む。
前話で見たヒーローPVの一コマ。
ビルの壁をぶち抜き、外獣の突進を正面から叩き止めるライノ。
映像の中では、派手なエフェクトと音楽に彩られた正義の戦士だった。
「最後に、第三班前衛要員、新堂蓮」
名前を呼ばれ、蓮は立ち上がる。
「今回も前衛登録を継続。
Speed2・Shield2相当として、合金ソードおよびハンドガン、
スクリーン上に、自分の名前と簡単な武装シルエットが表示される。
背中に視線を感じる。
羨望と、不安と、「数字だけのエリート」に向ける刺々しさ。
ごちゃ混ぜになった視線だ。
壇下で腕を組んでいた神崎が、短く言う。
「……いいか新堂。前に出るのはお前の仕事だが、撃っていいのは『敵』だけだ。
味方に当てたら、俺が殺す」
「物騒だな隊長」
ダッシュが小声で笑う。
だが神崎の目は、本気だった。
「了解」
蓮は、喉の奥の渇きを押し込んで答えた。
スクリーンの中のライノとシャドウブリンガーと、自分の名前が、どこかで重なって見えた。
◇ ◇ ◇
出動準備エリアは、エンジン音と油の匂いに満ちていた。
装甲車の列。
その脇で、隊員たちがヘルメットを被り、最終チェックをしている。
蓮も、スピードスーツの締め付けにまだ慣れない身体をねじ込みながら、ホルスターのハンドガンを確認していた。
ふと、視界の端に、妙な重量感が入ってくる。
振り向いた先にいたのは――映像で見慣れたシルエットだった。
分厚い装甲。
象徴的な角のついたヘルム。
胸部には、公式マークと共に『RHINO』の文字。
装甲戦士ライノが、そこにいた。
PVで見たものと同じはずなのに、あまりにも違って見えた。
ライトの反射ではなく、蛍光灯の白さに晒された装甲は、妙に生々しい。
金属だけじゃない。内部で脈打つ何かが、装甲の隙間ごしにうっすら呼吸しているみたいだ。
ヘルムの中の視線が、一瞬だけこちらをかすめた気がした。
「……新人か」
低くくぐもった声。
マイク越しなのか、生の声なのか分からない。
「新堂蓮です。スロー部隊の前衛で」
「ウワサのトリプルのエース、ってやつか。内部資料で見たぞ」
ライノは、巨大なシールドを肩に担いだまま、蓮のスーツをざっと見回す。
褒められたいわけじゃないのに、無性に背筋が伸びた。
「ヒーローPVで見るのと、印象違うか?」
不意にそんなことを聞かれ、蓮は言葉に詰まる。
映像の中のライノは、エフェクトと編集で頼れるタンクに仕上がっていた。
目の前のライノは――生身の人間と、何か別のものの境界線みたいだった。
「……なんか、その。画面より、リアルですね」
「そりゃそうだ。編集で血と悲鳴はだいたい消される」
ライノのヘルムの奥で、短く笑ったような気配がした。
「前に出るやつは、いつも足りねえ。
死にたくないなら、スローの影から離れんな」
そう言い残し、ライノは自分の部隊の方へ歩き去っていく。
重い足音と、装甲が擦れる音。
蓮はその背中を見送りながら、妙なざらつきを胸の奥に覚えていた。
画面のヒーローは、カッコいい。
今、目の前を歩いていったヒーローは――どう見ても「死ぬ覚悟を済ませた人間」にしか見えなかった。
◇ ◇ ◇
大型ダンジョンの入口は、物流センターの巨大な搬入口だった。
シャッターは半分吹き飛び、内部からは薄い黒霧が流れ出している。
空気が重い。
肌に刺さるような圧がある。
「第三班、進入開始」
神崎の声と同時に、スロー三班の隊員たちが次々と内部へ消えていく。
一班は左翼、二班は右翼。
神崎班は、中央突破。
ライノ隊は、別ルートから深層を叩きに行く。
蓮は、合金ソードを腰に下げ、ハンドガンをホルスターに収めた状態で列の真ん中にいた。
足元の床は、もともとコンクリートのはずなのに、ところどころ粘土みたいに柔らかい。
壁も、物流センターの壁とダンジョンの壁が入り混じって、現実感がぐしゃぐしゃだった。
「グロ系苦手な人、目伏せといてくださーい」
インカム越しに、OW1《オーバーウォッチ》――水瀬柚希の軽い声が入る。
「これから深層フロアの映像共有するけど、ちょっと血まみれだから」
「今さらだろ」
ウォールがぼそっと突っ込む。
蓮のヘルメットバイザーにも、深層のライブ映像がオーバーレイ表示された。
暗いフロア。
貨物用のラックが歪んだ柱みたいに立ち並び、その合間を、獣と虫を合わせたような外獣群がうごめいている。
「上級クラス混じってる。スピードLv2+シールドLv2相当の反応あり。
中枢はその先の吹き抜けだね。ライノ隊は反対側から向かってる」
「了解」
神崎が短く答えた。
耳鳴りのような感覚。
減速フィールドが展開される。
世界が少し、重くなった。
「いつも通りだ。
ウォールは前衛のカバーと退路確保。
ダッシュは救助と連絡、状況に応じて敵を釣れ。
新堂は――前に出て暴れろ」
「言われなくても」
蓮は笑ってみせた。
笑っておかないと、手の震えがバレそうだった。
(……今回も、上手くやる)
自分に言い聞かせるように、蓮は一歩目を踏み出した。
◇ ◇ ◇
深層フロアは、もはや物流センターの面影を失っていた。
天井は高く、どこからどこまでが室内なのか分からない。
ラックだったものは捻じ曲がり、巨大な鉄の樹みたいに枝を伸ばしている。
その枝の間を、外獣たちが走り回っていた。
犬ほどの大きさの四足獣。
人の腰ぐらいまである甲殻類。
床から生えた触手のようなものが、ときどきぴくりと動く。
「うへえ、正面から見るとバイオハザード感すご」
ダッシュの軽口が、かろうじて空気を軽くしてくれていた。
神崎のフィールドが、その手前一帯を包み込む。
外獣たちの動きが、一段階重くなる。
「第一班、前進。
二班三班は両側から包むように進め。
外縁に逃げた個体は通常戦力で拾う」
神崎の指示が飛ぶ。
蓮は、能力の出力を開く。
世界の重さの中で、自分だけが軽くなる感覚。
一体、二体。
こちらを向いた外獣の首筋を斬り、突進をシールドでいなし、脚を払って心臓部を刺す。
訓練より速いし、重い。
だが、やれない速度じゃない。
「調子はどう、新堂くん」
柚希の声が入る。
「全然行けます。むしろスローが効きすぎて暇なくらい」
「はい自信過多いただきました。記録しとこ」
「余計なログ残すな」
神崎が静かに釘を刺す。
その時だった。
フロア全体の空気が、すっと冷えた。
理由は分からない。
ただ、迷わず分かる変化だった。
外獣たちが、一斉に動きを止める。
誰もいない方向を向いて、震えている。
「……何だ」
ウォールが低く呟く。
次の瞬間、闇が裂けた。
◇ ◇ ◇
上から落ちてきた。
そう錯覚するほど、唐突だった。
黒い影が、天井付近の鉄骨から飛び降りてくる。
着地と同時に、周囲の空間が一瞬歪んだ。
スローの重さをものともしていない。
黒い外骨格。
生物的な装甲。
顔の部分も、マスクではなく有機的な装甲に覆われている。
胸部、肩、脚。
全てが「走るため」に最適化されたようなラインだった。
右腕から伸びた黒いブレードが、周囲の外獣をまとめて薙ぎ払う。
刃が通った軌道に、赤黒い線が生まれる。
上級クラスと思しき外獣たちが、一撃でバラバラになっていく。
「ログ映像と一致。
クラスアンノウン―—シャドウブリンガーを確認」
柚希の声が、ほんの少しだけ震えていた。
フロア全体の視線が、黒い影に吸い寄せられる。
「外獣を狩ってる……」
ダッシュが、思わず漏らす。
シャドウブリンガーは、あきらかにスピードLv2以上の速度で動いていた。
神崎のフィールドは間違いなく展開されている。
だが、その中で黒い影だけが、別の時間を走っている。
外獣の群れとスロー部隊、それから反対側から突入してきた
その立ち位置は、どちらかというと民間人や後方を守る側のそれだった。
前線に出て敵の群れを削りつつ、仲間の死角に滑り込む。
そんな戦い方を、神崎は知っている。
「……まさか」
ヘルメットの下で、神崎の喉がかすかに鳴る。
「いや、あり得ない」
外骨格の下にいるものが誰なのか。
その仮説を、頭が勝手に組み立て、同時に全力で否定していた。
◇ ◇ ◇
外獣が、ほとんどいなくなった。
深層フロアに残っているのは、シャドウブリンガーと、スロー三班、装甲戦士ライノ隊、それから通常戦力の一部だけ。
静かになった。
だからこそ、その動きがはっきり見えた。
黒い影が、ゆっくりとこちらに向き直る。
赤い光が、仮面の奥で灯る。
その視線が、一度スロー部隊を舐めるように走り――やがて、反対側の重装甲に止まった。
「……来るぞ」
ライノのくぐもった声が、全体回線に乗る。
巨大なシールドが、前面にせり出す。
シャドウブリンガーは、一瞬だけ間合いを測るように立ち止まり、それから一気に距離を詰めた。
スロー全開でも、視線で追い切れない速さ。
黒いブレードと、ライノのシールドが正面でぶつかる。
鈍い衝撃音。
ライノの足元の床が、めり込んだ。
「おいおい、どんだけのスペックなんだ―—ゴーストランナーは……」
誰かが息を呑む。
シャドウブリンガーは、真正面からの押し合いを一瞬だけ楽しんだように見えた。
次の瞬間、軌道をずらす。
シールドの縁を滑り、死角に潜り込み、そのまま胴体の装甲の隙間へブレードをねじ込んだ。
「っが――」
ライノの声が途切れる。
分厚い装甲越しに、赤い液体が噴き出した。
重い身体が、ゆっくりと膝をつき、その場に崩れ落ちる。
スーツのステータスウィンドウが、蓮のバイザーにポップアップした。
ライノ:バイタル反応消失。
その文字列が、あまりにもあっさりと表示される。
「ライノ、反応途絶。……心拍ゼロ。
現場判断で、殉職とみなす」
柚希の声が、絞り出すように告げた。
ブリーフィングで見たヒーローPVの「頼れるタンク」が、現場では一撃で倒れる。
編集もBGMも、ここにはない。
死んだヒーローの装甲は、ただの重いガラクタみたいに、床に転がっていた。
シャドウブリンガーがこちらに視線を向けた。
「やっぱ来るか」
ウォールが、盾を前に出す。
シャドウブリンガーの赤い目が、今度は完全に、スロー部隊の方へ向き直った。
神崎が即座に声を飛ばす。
「全班、後退態勢。
シャドウブリンガーとの交戦は推奨されていない。
距離を取りつつ退路を確保しろ」
だが、黒い影は待たなかった。
今度は、蓮たちの前から消えた。
◇ ◇ ◇
一度目。
気付いた時には、目の前にいた。
シャドウブリンガーのブレードが、真正面から振り下ろされる。
Speed2の反応速度で、ギリギリ腕を上げる。
シールドが、悲鳴みたいな音を立てた。
耐えられない。
バリアが砕け、その余波が胸部のスピードスーツごと蓮の身体を裂いた。
「がっ――」
視界が、赤で塗りつぶされる。
肺から空気が全部抜けていく。
床が近づく。
(あ、またか)
モールと同じ感覚。
そこまで思ったところで、世界がブチッと切れた。
◇ ◇ ◇
深層フロア。
ラックの林。
赤い警告表示。
さっきと同じ光景が、音もなく立ち上がる。
息が苦しい。
だが、胸は裂けていない。
「第三班、後退態勢。
シャドウブリンガーとの交戦は推奨されていない。
距離を取りつつ退路を確保しろ」
神崎の声が、もう一度繰り返される。
「……マジかよ」
喉から勝手に零れた。
今度は、分かる。
この後、シャドウブリンガーがどう動くか。
真正面に来る。
それを、真正面で受けたら死ぬ。
だったら――
蓮は、半歩だけ横にずれた。
シャドウブリンガーが、やはり視界から消える。
今度は、さっきよりわずかに遅れて現れた。
斜めからの一閃。
蓮はそれを読んでいた。
シールドを斜めに構え、軌道を外す。
ブレードがバリアを滑り、肩口をかすめる。
その瞬間、左脚に鋭い痛みが走った。
遅れて飛び出してきた尾か、蹴りか。
とにかく、何かが膝から下を持っていった。
「っぎ……!」
視界がぐらつく。
床に倒れ込んだ瞬間、赤い影が上から覆いかぶさってくるのが見えた。
ブレードが振り下ろされる。
今度は頭だ。
(二回目)
そこまで思ったところで、また世界が切れた。
◇ ◇ ◇
三度目。
喉の奥が焼けるような息苦しさと、脚を失った感覚と、胸を貫かれた痛み。
全部、残っている。
身体は、元通り。
深層フロア。
ラック。
スローの重さ。
シャドウブリンガーは、まだライノの残骸の方を向いている。
神崎の声が、三度目の指示を始めようとしていた。
「第三班、後退態勢――」
「隊長、前に出ます」
蓮は遮った。
自分でも驚くほど、声が低かった。
「アイツ、絶対こっち来る。
だったら、最初から俺が正面取った方がマシです」
一瞬、通信が静かになる。
次の瞬間、神崎が短く言った。
「……死ぬな」
「はい」
蓮は、深く息を吸った。
正面からは受けない。
斜めからも受けない。
二度の死で学んだのは、シャドウブリンガーの癖だった。
真正面から入って、最後だけ少し軌道をずらす。
相手の防御を削って、別角度から致命傷を狙う。
だったら、そのズレに自分から乗る。
蓮は、ほんの少しだけ前に出た。
シールドを構える位置を、わざとわずかに低くする。
切り返しの軌道を、スピードスーツの補助とSpeed2の出力で先に動くことで外す。
シャドウブリンガーの視線が、またこちらに向いた。
赤い光。
次の瞬間、黒い影が消える。
読める。
真正面。
蓮は一歩だけ前に踏み込み、同時に身体を左に滑らせた。
地面を蹴った瞬間、スーツが脚を押し出す。
視界の端を、黒いブレードがかすめる。
シールドに触れた瞬間、腕全体が痺れる。
だが、砕けない。
ギリギリで軌道の外側に逃がした。
シャドウブリンガーの胸部装甲が、目の前に来る。
わずかな隙。
「っらぁあああっ!!」
蓮は、合金ソードを全力で振り抜いた。
刃が、黒い外骨格を浅く裂く。
手応えは薄い。
それでも、今まで傷ひとつ付かなかった存在に、人間の攻撃が通った瞬間だった。
シャドウブリンガーの身体が、わずかに揺れる。
時間が、止まったように感じた。
◇ ◇ ◇
赤い目が、真正面から蓮を捉えていた。
仮面の奥。
人間の顔は見えない。
それでも、見られていると分かる。
何かを測られている。
「―—お前は俺だ」
声は、意外なほど低く、掠れていた。
ヘルメット越しに聞こえるのに、耳ではなく脳に直接響く感じがある。
蓮の頭の中に、第1話で見たヒーローPVがフラッシュバックする。
ビルの屋上に立つ
ライノの雄姿。
そのシルエットに、自分の姿を重ねていたあの瞬間。
そして、ステータス画面。Speed2/Shield2/Other:???
何度も見返して、ニヤついていた数値。
『数字だけエリートは、だいたい先に壊れる』
ウォールの言葉が、なぜか今になって刺さる。
「――その
シャドウブリンガーの声が、さらに低く沈んだ。
その言葉の意味を、蓮はまだ全部は理解できない。
ただ、本能だけは反応していた。
(嫌だ)
喉の奥で、何かが焼ける。
(俺は、あんたみたいになりたくない)
人間の形を捨てて、黒い外骨格に身を包み、誰かを守っているのか壊しているのか分からない存在に。
それでも。
シャドウブリンガーを見ていると、目をそらせない。
その足運びと、身体の使い方が、どこかで自分の目指していた「ヒーロー像」と重なってしまうから。
赤い目が、ほんの少しだけ細くなった気がした。
嘲笑か、哀れみか、それとも別の何かか。
蓮には分からない。
次の瞬間、シャドウブリンガーは視線を外した。
逃げ残っていた外獣が数体、フロアの端で震えている。
そちらへ向けて一歩踏み出し、まとめて斬り捨てる。
そのまま、深層へと駆けていった。
黒い影は、あっという間に霧の向こうへ消えた。
◇ ◇ ◇
「……生きてるか、新堂」
ウォールの声で、蓮は我に返った。
全身が汗でぐっしょりだった。
身体的には、大きな傷はない。
シールドの外周にひびが入っているくらいだ。
代わりに、頭の芯がズキズキと痛む。
「……たぶん、ギリギリ」
蓮は、震える手で合金ソードを鞘に戻した。
スロー部隊は、どうにか全員生きていた。
だが、ライノは戻ってこない。通常戦力にも負傷者数名。
床に横たわる装甲の塊は、さっき出動準備エリアで見たヒーローと、同じもののはずなのに、別物にしか見えなかった。
「第三班、撤退開始。
これ以上の追撃は行わない。
シャドウブリンガーは深層に消失。追跡禁止」
柚希の声が、無理やり落ち着きを保っていた。
蓮は、一歩踏み出したところで足を止めた。
膝が笑っていた。
吐き気が込み上げる。
(俺が、もっと上手くやれてたら)
三度死んで、やっと一太刀入れただけ。
その間に、ヒーローが一人、殉職した。
自分が経験した三つの死と、ライノの一度きりの死が、妙に鮮明に、頭の裏側でリピートされていた。
◇ ◇ ◇
医療室の天井は、白かった。
前話と同じような感想が、ぼんやりと浮かぶ。
蓮はベッドに寝かされ、点滴を繋がれていた。
身体に直接の致命傷はない。
だが、脳波と自律神経の値がめちゃくちゃだったらしい。
悪夢を見ては飛び起き、また眠らされる。
夢の中で、何度もブレードに斬られ、脚を飛ばされ、胸を貫かれた。
そのたびに、赤い目と、ライノが崩れ落ちる瞬間がセットで現れる。
『お前は俺だ』
あの声だけが、頭蓋骨の内側にこびりついている。
◇ ◇ ◇
一方その頃、オペレーションルーム。
モニタには、第三班のヘルメットカメラや生体ログが並んでいた。
「……やっぱり、おかしい」
柚希が、眉間にシワを寄せる。
研究班の白衣たちも、彼女の後ろに集まっていた。
「どの辺りが?」
「ここ。シャドウブリンガーとの初接触時」
蓮のカメラログを再生する。
シャドウブリンガーが消え、次のフレームで目の前に現れる。
ブレードが振り下ろされる直前でフレームが止まる。
「この直後――」
柚希がタイムラインをなぞる。
「一回目のログでは、胸部装甲が破壊されて、心拍数がゼロになってる」
別ウィンドウに、生体ログのグラフが開く。
心拍数、血中酸素、その他色々なデータ。
確かに、一瞬だけ「終わって」いる。
「なのに、現実の新堂蓮には、その致命傷が存在しない」
別の白衣が、困惑を隠せない声で言う。
「機器の誤作動では? スローとシャドウブリンガーの干渉で何か……」
「だったら、二回も三回も同じように記録されないでしょ」
柚希は、二度目・三度目のログを順に呼び出した。
脚が吹き飛ぶデータ。
頭部への致命打。
どれも、数秒後には「なかったこと」になっている。
カメラ位置も、生体データも、ほんの数秒前の状態に戻っているのに、「死んだ」体験だけがログの痕跡として残っていた。
「三回だ。
致命的被弾が、三度分」
柚希は、まとめたメモをスクリーン下部に打ち込んだ。
『新堂蓮:致命傷ログ三回分/現実の致命傷ゼロ。
本人視点タイムラインのみ巻き戻しが発生している可能性』
白衣の一人が、冗談めかして言う。
「三度だけやり直せるってことか。ゲームのセーブデータみたいに」
「笑い事じゃないよ」
柚希は睨みつけるように言った。
「これ、使い方次第では誰かを何度も殺すし、間違えれば本人の頭が壊れるやつだから」
それでも、呼び名は必要だ。
研究班の一人が、画面端に小さく書き込む。
『仮称:
その文字列が、システム内でひっそりとタグとして登録された。
◇ ◇ ◇
少し離れた個室で、神崎は一人モニタを見つめていた。
シャドウブリンガーのログ映像と、新堂蓮のログ。
三度分の死と、生。
ライノの殉職記録。
赤い目と、黒い生物的な装甲。
重ねてはいけないものが、頭の中で勝手に重なっていく。
「……やはり、あいつなのか」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
外骨格の下にいるあいつの姿と、ベッドでうなされている新堂蓮の姿が、一本の線で繋がってしまうのを、否定しきれなかった。
スロー部隊の前線に、もう一人、人間をやめる可能性がある奴が増えた。
その事実だけが、静かに、じわじわと部隊の足元を侵食し始めていた。
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