第2話 マジでやれるかもしれない

 ダンジョン災害対策局DPA本部のロビーは、冷たくて、広すぎた。


 白い壁。無駄に高い吹き抜け。

 磨き上げられた床は、歩くたびに自分の足音を増幅して返してくる。


 新堂蓮は、ビジターカードを首から下げたまま、その場違い感に肩をすくめた。


(完全に、来ちゃったな)


 昨日サインした同意書のことを思い出す。

 あのボールペンを置いた瞬間から、もう「やっぱやめます」は冗談にならなくなった。


「新堂蓮さん」


 名を呼ばれて、反射的に姿勢を正す。


 振り向くと、グレーのスーツを着た職員が立っていた。

 年齢は三十代前半くらい。表情は事務的で、特にこちらに興味はなさそうだ。


「ダンジョン対策室のブリーフィングルームへご案内します」


「あ、はい……お、お世話になりまーす」


 口が勝手にコンビニバイトモードで動いた。

 自分で言っておいて、思い切り後悔する。


 だが職員は特に反応せず、淡々とエレベーターへ向かって歩き出した。


◇ ◇ ◇


 会議室の空気は、ロビーよりさらに重かった。


 長机をロの字に並べた室内。

 前方のスクリーンには、蓮の顔写真と共に、棒グラフだらけの診断データが映し出されている。


 Speed:Lv2相当。

 Shield:Lv2相当。

 Other:判定不能。


 自分の名前の横で、緑や赤のバーが伸びているのは、どうにも落ち着かない。


 スクリーンの手前に、一人の男が立っていた。


 三十代半ばくらい。

 紺のジャケットにノーネクタイ。髪は整っているが、どこか寝不足のような陰りがある。


 目だけが、やたらとよく通っていた。


「新堂蓮だな」


 男はスクリーンから視線を外さずに言った。


「は、はい」


「神崎司。減速支援隊スローの隊長をやってる」


 ようやくこちらに顔を向ける。


 その視線が、一瞬で全身を測るように上下した。


「危なっかしい数値だな」


「えっと、それは……悪い、ってことですか」


「紙の上では優秀。現場から見ると、事故の匂いがする数字だ」


 言い切り方が淡々としているぶん、余計に刺さる。


「Speed2、Shield2。前に出れば誰より生き残りやすいスペックだ。

 そういう奴は、だいたい真っ先に無茶する」


「……それ、俺が悪いんすかね」


 思わずぼやくと、神崎はわずかに口の端を上げた。


「まだ何もしてないだろ。

 だから、これからどうするかを見に行く」


 リモコンを操作すると、スクリーンの映像が切り替わる。


 ビル街の航空写真。

 その中で、ひときわ暗い色になっている一棟のオフィスビルが赤枠で囲われていた。


「今日の訓練場だ。迷宮災害ダンジョン・ディザスター発生後、核を抜いたあとも構造が戻らず、廃ダンジョンとして封鎖されている」


 別アングルの写真。

 窓ガラスはほとんど砕け、外壁がねじれている。


「内部の迷宮核は奪取済みだが、残響と構造の歪みは残っている。

 残響核エコー・コアを使った本格テストにはちょうどいい」


 神崎はリモコンを机に置き、蓮をまっすぐ見た。


「新堂。お前は今日、その中で自分の数値が本物かどうか確かめる。

 嫌なら、ここで降りろ」


 ストレートな選択肢。


「……今日、ですよね」


「そうだ」


「もっとこう、説明会とか、オリエンとか挟んでからでも」


「紙にサインした時点で、説明会は終わってる」


 ぐうの音も出ない正論だった。


 しばらく黙ったあと、神崎は小さく息を吐く。


「怖いか」


「……正直、はい」


「それでいい。怖くない奴の方が危ない」


 その言い方には、妙な温度があった。


 経験者の、それも何度か痛い目を見た側の温度。


「怖いまま立って、それでも前に出られるかどうか。

 今日は、そこだけ見ておけばいい」


 言われてみれば、やることは単純だ。


 それができるかどうかは、単純じゃないだけで。


「……行きます」


 蓮は、椅子から立ち上がりながら答えた。


 膝が少し震えているのを誤魔化しつつ。


◇ ◇ ◇


 スロー部隊の車両はワンボックスだった。


 ぱっと見は配送車に見えるが、ドアにはしっかり『DPA』のロゴ。

 フロントガラスの内側には、許可証らしきカードが数枚並べて差してある。


 後部座席に乗り込むと、すでに二人の隊員が座っていた。


 ひとりは、短く刈り込んだ黒髪に無精ひげ。

 黒い防護ベストの上から腕を組み、窓の外を見ている。


 もうひとりは、茶色がかった髪で、どこか人懐っこい笑みが似合う青年。

 同じように簡易防護ベストを着ているが、雰囲気はだいぶ柔らかい。


「お、新人くんだ」


 茶髪の方が、先に口を開いた。


「新堂蓮くんっすよね。ヒーロー候補の期待の星」


「あー……そういう話になってるらしいです」


 自分で言うと、ますます嘘くさく感じる。


「佐伯光太。コールサインはダッシュ。スピード系Lv1」


 茶髪――ダッシュが軽く手を上げた。


「で、そっちのむすっとしたのが」


「甲斐玲央。ウォール。シールド系Lv1」


 無精ひげの男が、視線だけこちらによこした。


「数字だけのエリートは嫌いだ」


「初手それ」


 思わず声が出る。


「まだ何もしてないですよ俺」


「だから嫌いだと言ってる。

 数字だけ見て舞い上がる新人を、何人も見てきた」


 ウォールの目には、軽蔑よりも「警戒」が強く浮かんでいた。


「まあまあ。ウォールは口悪いけど、悪人ではないんで」


 ダッシュが笑う。


「俺もスピードLv1のショボい方だからさ。気持ちは分かるんだよね。

 数字だけ高い奴が来ると、どうしても身構えちゃうというか」


「フォローになってるような、なってないような」


 蓮は頭をかいた。


 車は、シティ中心部から離れていく。

 高層ビルが少しずつ減り、再開発の波から取り残されたような雑居ビルや倉庫が増えていった。


「新堂くんは、怖い?」


 窓の外を眺めながら、ダッシュがふいに尋ねた。


「……そりゃ、怖いっすよ。

 でも、このままコンビニと工場のラインだけで人生終わるのも、まあまあ怖くて」


「分かるわ」


 ダッシュは即答した。


「俺も似たようなもんだったから。

 ここ、給料はそこそこだし、やりがいは……まあ、人にはよるかな」


「お前は楽しんでる方だろう」


 ウォールがぼそりと言う。


「だって、Speed1でも、スロー部隊にいればちゃんと役に立てるからさ」


 その言葉は、妙に素直に聞こえた。


「新堂」


 運転席から神崎の声が飛ぶ。


「怖いと思ったら、ちゃんと怖がれ。

 ただ、怖いからって止まってると、余計に巻き込まれる」


「……はい」


 返事をした瞬間、窓の外の風景が変わった。


 一棟だけ、空気の色が違うビルが見えた。


 ガラスは砕け、外壁は波打つように歪んでいる。

 その周囲だけ、光が一段暗く沈んでいるように見えた。


 フェンスとバリケードで完全に囲われた、そのビル。


「あれが、今日のダンジョンだ」


 神崎の言葉に、蓮はごくりと喉を鳴らした。


◇ ◇ ◇


 元オフィスビルの一階ロビーは、かろうじてロビーだと分かる程度に原形を留めていた。


 割れたガラス片が床を埋め、タイルはあちこちで盛り上がっている。

 天井のパネルは半分ほど落ちて、露出した配管が蛇のように垂れ下がっていた。


 歩くだけで、違和感がある。


 足を一歩出すたびに、重力の向きがほんの少しずれる。

 前に進んでいるはずなのに、身体が斜めに引っ張られる感覚。


 壁には、黒い何かが張り付いていた。


 乾いたゴムのような質感の塊が、溶けたキャンディみたいに垂れ下がっている。


外獣エネミーの外皮の残骸だ。中身はとっくに処理されてる」


 ウォールが、視線だけで説明する。


 そう聞いても、不快感は薄れない。


「ここから先、減速フィールドを薄くかける」


 先頭を行く神崎が、耳に装着したデバイスに触れた。


 目には見えない何かが、空気の中に広がっていくのが分かる。


 重力の揺らぎが、さっきより少しだけマシになった。


「外獣は基本いない想定だが、残りカスが暴れる可能性はある。油断するな」


 後方を固める通常隊員たちが、アサルトライフルを構え直す。


 ウォールが振り返り、蓮に一本のスタンバトンを差し出した。


「新堂。これを貸す」


 金属製の棒の先端に、黒い発振部がついた武器。

 スイッチを入れると、先端に青白い火花が走った。


「最低限の装備だ。まだ銃は持たせられん」


「いや、銃とか怖いんで、これで全然……」


「怖いうちの方がマシだ」


 ウォールは、それ以上何も言わない。


 隊列は、神崎、ウォール、その後ろに蓮とダッシュ。

 両脇を通常戦力が固める形で、歪んだ廊下へと進んでいった。


 エレベーターホールだったはずの場所は、もはや別物だ。

 斜めに突き刺さった鉄骨とコンクリートが迷路のように入り組み、その隙間を通路が蛇行している。


「もともと何階だったとか、分かるんすかこれ」


 ダッシュが、半分冗談みたいに言う。


「知らん。今は一層目だ」


 神崎の答えは簡潔だった。


 元のフロアが何階だったかなんて、もう誰にとっても重要ではない。

 ここは、迷宮災害の「中」という事実だけが意味を持っている。


◇ ◇ ◇


 残響核エコー・コアは、かつて会議室か何かだったフロアの中央に固定されていた。


 透明カプセルの中で、黒と紫の光が脈打っている。

 イベント会場で見た試験用コアより、明らかに濃い。


 周囲にはモニタと計測器が並び、白衣の研究者たちが慌ただしく動き回っていた。


「新堂さん、よく来てくれました」


 イベントの時にも見た、眠たそうな目の研究者が顔を出す。


「ここが本番のエコー・コアです。

 先日のは、あくまで残響の残響。今日は、迷宮核により近いコアを使います」


「近いって、どれくらい近いんですか」


「訓練用として許可されたギリギリのラインです」


 安心なのかどうか、さっぱり分からない。


 蓮は思わず、横に立つ神崎の方を見る。


 神崎はモニタをちらっと確認すると、短くうなずいた。


「ここには俺たちがついている。

 何かあったら、スローを最大までかける。

 その前に倒れるなよ」


「プレッシャーのかけ方がおかしいんですよ隊長」


 ダッシュのぼやきが飛ぶが、神崎は無視した。


 研究者が、カプセルの表面を指さす。


「前回と同じように、ここに手を当ててください。

 周囲の環境が違うだけで、やることは変わりません」


 蓮は、スタンバトンを腰のホルダーに差し込み、カプセルの前に立った。


 透明な表面に掌を近づける。

 指先に触れた瞬間、冷たさと、ぞわりとした感触が同時に走った。


 心臓の鼓動が、大きくなる。


 どくん、どくん、と音だけが浮かび上がるように響く。


 黒と紫の光が、表面の向こうで渦を巻いている。


 頭の奥が焼けるように熱くなりかけた、その時。


 甲高い警告音が、空気を切り裂いた。


「反応跳ねました! 値が、前回の試験結果の比じゃ――」


 研究者の声と同時に、別の警報が重なる。


「何だこれは、残留エネミーが……」


 言葉の最後まで聞こえる前に、空間が軋んだ。


 会議室の天井と床の境目。

 ひしゃげた梁の影から、黒い何かが飛び出した。


 影だけでできた獣。


 四足とも二足ともつかない、不安定なシルエット。

 黒い皮だけが剥がれて動いているような躯体。


「小型エネミー反応!?」


 通常隊員の一人が叫ぶ。


 次の瞬間には、その体にぶつかっていた。


 装甲ごと弾き飛ばされ、隊員が壁に叩きつけられる。


「スピード特化型だと!? くそっ、スロー・フィールド最大展開」


 神崎の声が鋭く飛んだ。


 耳の奥で、何かがひっくり返るような感覚。


 世界の動きが、一段粘っこくなる。


 影の獣の動きが、目で追える速度になった。

 けれど、それでも十分に速い。


「右上、梁の影! 一体だけだがスピードが高い!」


 ウォールが叫び、シールドを展開する。

 目には見えないが、空気が押し返されるような圧が前に広がった。


 小型エネミーは、その圧を嫌うように軌道を変え、脇をすり抜ける。


 標的は、さっき壁に叩きつけられた隊員だ。


 まだ起き上がれていない人間に向かって、黒い影が滑っていく。


(間に合わない)


 頭がそう判断した瞬間、身体は勝手に動いていた。


 蓮は、床を蹴った。


 さっきまで味わったことのない加速が、脚から背骨まで一気に駆け上がる。


 視界の端で、世界が伸びる。


 廊下の歪んだ壁、研究者たちの驚愕した顔、倒れている隊員。

 それらが線になって流れていく。


 自分だけ、別の速度で動いているみたいだった。


 倒れた隊員と、小型エネミーの間に滑り込む。


 腕が勝手に前に出た。


 その瞬間、目の前に透明な壁のようなものが現れる感覚があった。


「……っ」


 小型エネミーが、その見えない壁にぶつかる。


 骨ごと叩かれるような衝撃が腕から肩に突き抜けた。


 だが、今度は吹き飛ばされない。


 壁は、そのまま敵の突進を受け止め、わずかに押し返した。


 シールド。


 理解より先に、身体が反応する。


 敵が僅かにたじろいだ瞬間、蓮はさらに踏み込んだ。


 腰からスタンバトンを抜き放つ。


 放電の唸りが、握った手の中で暴れる。


「うおおおおおっ」


 半分以上、勢いで叫んだ。


 振り抜いたスタンバトンの先端が、小型エネミーの首にあたる部分に叩き込まれる。


 白い閃光。


 黒い影の体が痙攣し、そのまま床に崩れ落ちた。


 皮だけの袋みたいに、しぼんでいく。

 最後には、焦げたゴム片みたいな残骸だけが残った。


 スローのフィールドが、少しずつ薄れていくのが分かる。


 音と動きが、一気に現実に戻ってきた。


「……はっ、はぁ、はぁ……」


 肺が悲鳴を上げている。

 心臓が暴走している。


 自分の手が震えているのを見て、ようやく「今、戦ったんだ」と認識した。


「大丈夫か、新堂!」


 ダッシュの声が背中から飛んでくる。


「う、うん……たぶん」


 答えながら、倒れていた隊員の方を見る。


 スーツは一部ひしゃげているが、ヘルメットの中の意識はまだあるようだ。

 ウォールが素早くチェックし、救護班へのコールを飛ばしている。


「勝手に前に出るな」


 ウォールが、こちらを睨んだ。


「今のはたまたま間に合っただけだ。次も同じように行くとは限らん」


「……すみません」


 素直に頭が下がる。


 ただ、その視線には、さっきまでの警戒だけではない何かが混ざっていた。


「でも、助かった。スロー展開が間に合っても、あの距離だと俺のシールドじゃ届かなかった」


 横から、神崎の声。


 彼は淡々と周囲の状況を確認しながら、短く言った。


「Speed2、Shield2だったな。数字だけじゃなく、実際に動けたようだな」


 その一言が、蓮の胸に重く落ちてきた。


 数字。


 画面の向こうのヒーローたちにくっついていた、ゲームみたいなパラメータ。


 それが今、自分の脚と腕に直結している。


(……俺、マジで)


「やれるかもしれない」


 そんな高揚が、恐怖と一緒に胸の奥でぶつかり合っていた。


◇ ◇ ◇


 訓練を切り上げてDPA本部に戻るころには、蓮の全身は鉛みたいに重くなっていた。


 簡易オペレーションルームの椅子に座り、紙コップの水を両手で包み込む。

 まだ、指先がかすかに震えている。


「では、ログを見てみましょう」


 研究者がモニタの操作を始める。


 廃ダンジョン内部の映像と、能力値の推移グラフが並んで表示される。


 小型エネミーが発生した瞬間。


 Speedの数値が跳ね上がり、Shieldのバーも一気に伸びていた。


「ここですね。外獣エネミーの小型個体が暴発したタイミングで、減速フィールドと同時に、新堂さんの出力が急激に上がっています」


 画面上では、神崎のスロー展開と蓮の数値変化が、ほぼ同じ瞬間に記録されていた。


「Speed2、Shield2。少なくとも潜在値としては、これで確定と言っていいでしょう」


 研究者が満足そうにうなずく。


「それと……ここです」


 別のグラフを指さす。


「減速フィールドをかけた状態なのに、新堂さんだけが“相対的に速く動いている”ように見える区間がある。

 スローの中で動ける方が、現場ではありがたいですね」


 神崎が腕を組んだまま、画面を眺める。


「スローに対する相性がいいってことか」


「そう解釈できます。少なくとも、フィールドと拒絶反応を起こすタイプではないです」


 蓮は、自分の膝の上で握った拳を見る。


 さっき、確かに感じた。


 世界全体が重くなった中で、自分の身体だけが、ぎりぎり動けるラインに引き上げられていた感覚。


 それが、自分の力なのか、スローとの噛み合わせなのかは分からない。


 ただひとつだけ、はっきりしていることがある。


 もう、画面の向こうだけの話ではない。


 自分のスピードとシールドが、本物の外獣を止めた。

 誰かが死ぬかもしれなかった場所に割り込んで、結果として守った。


 その事実だけが、じわじわと重くなっていく。


「新堂」


 神崎が、モニタから視線を外さずに言った。


「今日はここまでだ。

 覚えとけ。今日は訓練だが、たまたまでも一人は助けた。

 それと、エネミーの襲撃は俺の落ち度だ。礼を言う」


 短い言葉だった。


 それでも、蓮の背中をじわりと押すには十分だった。


(……次は、たまたまじゃないって思えるくらい、動けるようになんねえとな)


 震える指先を握りしめながら、蓮はそう心の中でかみしめた。

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