セピアの深愛

佳藤翠(かとうすい)

オープニング きみのうた

 森の奥に、小さな2階建てのログハウスがひっそりと建っていた。木々の隙間から差し込む柔らかでまあるい光が小さな家をすっぽりと包んでいる。

 ログハウスの中の空気は気味が悪いくらい穏やかで、どの時間の流れからも切り離され、起きているのに眠っているような不思議な感覚が引き起こされる。

 この感覚もそろそろおしまいか。いや、むしろ死んだらずっとこれが続くのか。

 男が柔らかなベッドの上でそんな答えのない問いをダラダラと続けていると、ドアの外にかすかな気配を感じた。

「ミノリ…?」

 呼びかけると、静かにドアが開いた。

「アム。起きていたのね。入ってもいい?」

「勿論。」

 アムと呼ばれた男は、先ほどの夢現はどこへやら、勢いよく起き上がり頬の赤らみを隠すことなく、恋人に手を伸ばした。

「こっちに来て。」

 ふにゃりと気の抜けた笑顔を向けられたミノリは、少し微笑んでベッドサイドの椅子に腰掛けた。そして、まじまじとアムを見つめる。

 ミルクティー色の長い髪、細い目の奥に隠されたサファイアの様な青い瞳。そして、自分が彼の瞳に映っている時だけ染まる、薔薇色の頬。

 つくづく不思議に思う。なぜこの男は自分に懸想をするのだろう。自分がアムに惚れるのは分かる。だが、自分が彼に惚れられる様な物を持ち合わせている自覚が、ミノリにはなかった。

 変な人。

 ぐるぐる考えて、結局いつもの結論に至る。

「ミノリ…?」

 ぼんやりとしているミノリをアムがじっと見つめていた。ここで目を逸らすのはなんだか癪に障って、ミノリは意地になってアムを見つめ返す。だが、次第に彼の瞳の中に赤らんでいく自分の頬を見つけた瞬間、ミノリはやっぱり目を逸らしてしまった。

「どうかしたのかい?」

 不思議そうな視線を送るアムにミノリは慌てて笑みを返す。

「何でもないの。ただ…アムは綺麗だなぁって思っただけよ。」

「そうかな。僕はミノリの方が綺麗だと思うけど。」

 またこれだ。この男は恥ずかしげもなく、歯の浮くようなセリフを吐く。そして、それが様になる。

 なんとか話題を逸らしたくてミノリがもじもじとしていると、不意にアムが視線を窓の外に向けた。まるで、何かに呼ばれたようだった。

「どうしたの?」

「いや、そろそろかなって。」

「…またそんな事言う…。」

「今度こそ、本当に。本当に…そろそろかな。」

 柔らかだが、覚悟を固めたような声にミノリの心が跳ねる。思わず、縋るようにアムの手を握った。

「もう行っちゃうの?」

「長く生きられたほうだよ。」

 「ごめんなさい…。わたしの…。」

 私のせいで。その言葉が出来上がる前に、細い指がミノリの唇を優しく押さえた。

「こら。」

 顔を上げると、わざとらしく険しい表情を作ったアムがいた。

「優しい人のごめんは、嫌いだよ。」

「そうね。ごめんなさいじゃなくて…ありがとう。」

「うん。その方が僕は嬉しい。」

「うん……。」

 唇を押さえていた指が、今度はミノリの目元に動く。止まらない涙を何度も何度も拭う。

「そんなに泣かないで。僕が望んでやったことだから。」

「でも…。」

「ミノリ。僕は君といられて幸せだったよ。」

「私も。」

「良かった。」

「…ねぇ、何かして欲しいことはない?」

「して欲しいこと?」

「ええ。最期くらいワガママを言って。」

「そうだね。じゃあお願いしようかな。」

「何でも言って。」

「歌を…歌って欲しい。」

「うん。君の、僕たちの歌を。君の声、好きなんだ。」

「いいよ。……アム、ありがとうね。」

「コチラこそありがとうね。ミノリ。…愛しているよ。」

 頬を包む手に、ミノリは自分の手を重ねた。

 震える声で、旋律を紡いでいく。

 どのくらい時間が経ったのだろう。目を開くと、アムは静かに眠っていた。ひゅうっと息を吐く音が聞こえる。

 その日の夜、枕元のアムネシアの最期の花弁が音もなく落ちた。

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セピアの深愛 佳藤翠(かとうすい) @renhikawa

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