第2話
「大盛り、こいめ、かため、脂少なめ、でよかったよね?」
「もちろん」
タッチパネルで注文すると、すぐに店員がやってきてライスと餃子が運ばれてきた。
「いただきます」
「どうぞー。召し上がれ。あ、私が作ったわけじゃないけどね」
ライスを片手に餃子を摘んでいると、メインのラーメンが届いた。はふはふ言いながら、啜り倒す。明日の胃もたれ待ったなし。
「美味しいねえ」
「ほんと」
関根さんも豪快に啜っている。瞬く間に麺がなくなると、スープをレンゲでちびちび飲みながら余韻を楽しむ。ふと、周りを見ると金曜日の夜だというのに自分たち以外誰もいなくなっていた。ちょうど入れ替えの時間なのか、少し時間が早いのか。店員の声が厨房から聞こえる。
「ふいー、食べたね」
「食べた食べた」
あとは風呂入って寝るだけだ。お腹をさすって水を飲んでいると視線を感じた。
「ね、八代くん」
そう言った関根さんに今までの明るさや元気さは微塵も感じなかった。
「…えーと、何…?」
「あのね。ひとつだけ、言いたいことがあって。いい?」
「もちろん」
俺が背筋を伸ばすと同時に、関根さんは小さく深呼吸をすると続ける。
「私、可哀想じゃないからね」
「え?」
このときの関根さんのセリフ、表情、空気の匂いまで、おそらく一生忘れることのない場面だと思った。
「いや、君は違うか。…羨ましいなんて思わないで、かな」
「…羨ましい……」
関根さんの病気を知った日。あの晩考えたことを言い当てられ、当時の感情が蘇る。
「
「…うん」
ごまかしても仕方がない。たまたま聞いてしまったことを正直に告げた。
「だよね。忘年会のときね、そんな感じがしたんだ」
「あの―――」
「あ、いいの。人の口に戸は立てられぬって言うじゃない?」
彼女は苦笑しながら言った。
「あのね。そうじゃなくて。私が言いたかったのは…あー、なんだろ。そうだなあ…。私のこと知った人はね、若いのに、かわいそうにって目をするの」
「……」
どこか遠いところの出来事のようにも感じる、他人事だからか。かわいそうにって。
「それが普通だと思う。でもね、君は何か違った」
それが何かなって、考えてわかったの。そう彼女は続けた。
「君はね、文学的には羨望の眼差しって言うのかな?そんな感じ」
初対面でそんな顔をしていた自分を殴りたくなる。
「その―――」
「あ、怒ってるわけじゃないの。でもね、いつ死ぬかわかるって、最後がわかるって、いいなんて。うらやましいなんて。そんなことないよ。もう、私は自分の意思で生きられない、どうしようもできないの。それだけ、言っておきたくて」
「……」
「…私もね、昔同じこと、思ったことがあるんだ」
「その…」
ごめんなさい、でもすみませんでもなく…この場に相応しい言葉が見つからない。
「…と、ラーメン屋さんでする話じゃないよね。ごめん。この話は終わり!…混んできたし、出よっか」
無言で支払いを終えて、外に出ると静かに関根さんの跡を追う。改札まで来ると、そこで彼女は振り返った。
「今日はありがとね」
「あ、こちらこそ。話せてよかったです。その……もしかして、今日」
「あ、さすがにばれたよね。うん、あなたを待ってたの」
やっぱり。
「何ていうんだろ、今年の心残りかな。ごめんね、勝手に」
「いえ、まったく」
「ありがと。…あ、私、地下鉄なの。八代くんは?」
「あ、JR」
「そっか。またね」
踵を返そうとした関根さん。このまま帰れるほど、落ち着いていられなかった。
「———関根さん、良いお年を」
口をついて出たのは年末の定型句。一瞬、間があってから関根さんはふっと表情を崩した。
「矢代くんも良いお年を。…と、ごめんね。でも私から言っといて何だけどさ、そんな顔しない!…オランダ、お土産待ってるから」
そう言ってバンバンと肩を叩かれた。うん、やっぱり年上みたいだ。
「…買えるだけ買ってくるよ」
「うん!」
今日は一生忘れられないことが何度も起きるらしい。帰っても、目を閉じても、そのときの関根さんの笑顔が目に焼き付いてはなれなかった。
◆◆◆◆
〈今日、時間ある?〉
年明け出社すると、待っていたとばかりに打刻もせず関根さんにチャットを送った。
〈お、どしたの?〉
〈お土産渡そうと思って〉
〈ほんとに買ってきてくれたの?〉
〈うん〉
チャットからも驚きが伝わってくる。月初にも関わらず、無理を言って終業後に合流すると、机が広いからという理由だけで居酒屋ではなく、ちょっといいファミレスに入った。
「これ全部?」
「もちろん」
「多くない?」
大きな紙袋をドンと机に置くと、関根さんからは驚きの声が漏れた。目を丸くしている。
「たくさん買ってくるって言ったじゃん」
「言ってたけどさあ…まさかほんとに買うとは思わないし」
「スーツケース半分はお土産に使ったから」
「…八代くんに冗談は危険だってわかった」
呆れたように言う関根さんだったが、言葉とは裏腹に表情は優しかった。
「これ、なあに?」
「これはストループワッフルで———」
買ってきたものを紹介しながら、ひとつずつ手渡す。時折、質問を挟みながらお土産披露大会は盛況のうちに終了した。
「あとは食べ切れるかってことね」
自分の横に置いた紙袋を見ながら、関根さんは言った。小柄な彼女との対比が面白い。
「まあ賞味期限は先だし、誰かにあげてもいいし」
「食べる。せっかく買ってきてくれたんだしね」
ダメだったら、実家に持ってくらしい。
「ありがとね」
「どういたしまして」
これにて、お土産は終了だ。ようやく一仕事終えて、落ち着いたような気持になった。
「あ、風車見た?」
「見た見た。あれさ――――」
◆◆◆◆
「気を遣わないでほしいの」
ひとしきり話し込んだ帰り道。そんなことを関根さんが言った。
「気を?」
「そそ。矢代くんになら頼めるかなって。いや君しか頼めないかな」
こんな感じ、と渡した大量のお土産を掲げて見せる。
「お土産?」
「うん、仮にも病人にさ、こんなに買ってこないでしょ?」
「…たしかに」
すっかりその辺は頭から抜け落ちていた。もしかしなくても俺は結構なやばいやつだ。
「あ、もちろん一般論だよ?私はうれしかったから。あのね。その……気を遣ってもらうのがちょっとキツくて。だから一人くらい、普通に喋って馬鹿なこと言って、笑ってられる人がいるといいなって」
「……俺でよければ」
断る理由なんてなかった。
「ありがと。私はね、わがままなの」
「わがまま?」
まだ関根さんのことをよく知らない。でも、縁遠いイメージがあった。
「そ。わがまま。自分のことを棚にあげて。気を遣うなって、何言ってんだ、遣ってもらえるだけありがたいだろって。もちろんそう。なんだけど…」
「なんだけど?」
申し訳なさそうに彼女は続けた。
「あのね、例えば…そう!ラーメンくらい気軽に食べたいんだ」
「ラーメン?」
「そ、ラーメン。年末に一緒に行ったでしょ?あの前さ、
気を遣われることが辛い。
「だから嬉しかったんだ。あっさりついてきてくれて、かため、こいめだよ?あ、油はもともと少な目派だからね」
「それ、俺が何も考えてないだけじゃない?」
聞けば聞くほど間抜け過ぎる。
「いいの。私にはそれくらいが」
少しは気を遣いなさいよ!いつか言われた昔の彼女からの別れ際の言葉。
「悪いとこだと思うけど」
わかってないなあと言うように、チッチッチと古典的なフリで指を出す関根さん。
「いいこと?八代くん。誰かには短所に見えてもね、他の誰かには長所に見えることがあるんだよ」
「………え?」
「私にとって君の短所は長所なの。……お、どしたの?」
立ち止まった俺におどけて見せる彼女。
「いや、あの、ありがとう。わかったよ」
「ん?え?何が?」
「あ、いやこっちの話。これからよろしく。…とりあえず連絡先教えて?」
「うん!」
何となく会社に行き、休日を何もせずに過ごし、目的もなく、死にたくないから生きている。それは今日まで。今からは彼女のためにできることをしたい。
——誰かには短所に見えてもね、他の誰かには長所に見えることがあるんだよ。私には君の短所は長所なの——
連絡先に追加された彼女の名前をなぞりながら、俺は自分の中で何かが芽生えたのを感じた。
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