遥かなるオパールへ

門間紅雨

***

 遠くからネモヤンのかけた集合の号令が聞こえたとき、隣で電磁石の展示を見ていたマリが急に振り返った。途端ににんまり顔になって、早口で「きてきてきて」と囁いた。

 またこいつは。すーぐ規定を破ろうとする。コミューンの問題児。私は半ば呆れつつ、先生たちに見つからないように駆けていくマリの背中を追った。まあ着いていく私も私だが。

 マリが飛び込んだ部屋は博物館の人気スポットだった。半球形の部屋でほぼ真っ暗闇の中に、ライトアップされたガラスケースが点々と並んでいる。さっきまではクラスの一軍女子たちが群がっていて近づけなかったエリアだ。マリは、先生に見つかるまで博物館見学の延長戦をするつもりらしかった。

 マリは手近なケースを覗き込むと感嘆の声を上げた。

「うわぁ……これめっちゃ綺麗やなぁ」

「なに?」

 そんな声を出されると、こっちだって気になる。マリの横から身を乗り出してケースを覗く。

 白いライトに照らされていろんな青色に輝く半透明の白いチョークみたいなものがそこにあった。

「宝石?」

「オパールやって。イカの軟骨が何年もかかってこれになったんやって」

「へぇ。化石ってこと? すごいな。骨もそんなんになれるんやな」

「ええやん。美晴も将来これになったら」

 そこで急に私の名前が出てきて驚く。思わず半笑いになってしまう。

「どういうこと? なんで私なん」

「だってめっちゃ綺麗やん。美晴も将来オパールになってここに展示されてや」

「なんでやねん。絶対嫌や。博物館のガラスケースに展示されるなんて」

 私は笑った。言いながら、やっぱり絶対嫌だなあと思った。死んだ後も自分の身体の一部が永遠にこの世に残るなんてゾッとする。

「私は死んだら海に散骨がええな。お墓もいらん」

「そうなん? なんも残らんでいいん?」

「残らん方がええな」

「そうかなぁ。あたしは何かしらこの世に残したいわ。あたしが生きていた証を」

 生きていた証、とマリは熱っぽく言った。今思いついたんじゃなくて、ずっと前から用意していた言葉みたいだった。

「それやったら、あんたの方がここに入れる確率高いんとちゃう?」

 私はそう言った。だってここは人類の文明の歴史を展示する場所、博物館だから。

 マリがこちらを振り向く。何十年もかけて研究され、開発されてきたその動作は完全に人間にしか見えないけど、彼女はロボットだ。この世界最後の人型ロボット。

 私が生まれるずっと前に始まった人型ロボットの社会参画は、彼らが物みたいに扱われていた時代から、人権を得て人間と同じように扱われるようになった時代を経て、数年前に完全に停止した。世界中のお偉いさんが集まって決めた世界の新しいルールだった。だから、公式には人型ロボットはもう生まれない。

 マリはその最後の世代だ。だから彼女が望めば、多分いつかは博物館にも入れるだろう。

 でも、マリは私を見てこれ見よがしにため息をついた。

「わかってへんな。そういうことちゃうねん」

「何が違うねん。せっかく私が気遣って言ってあげたのに」

「おい、気遣ったって言うなや。博物館に閉じ込められるなんてごめんやわ。誰がガラスケースに展示なんかされたいねん」

「お前が先に言うたんやんけ。なんで自分がされて嫌なこと人に勧めるねん。培養ポットからやり直せ」

「そういう作り方とちゃうねん」

 なはは、とマリは大口を開けて笑った。奥歯の人造乳歯が抜けた穴が見えた。さすが開発者たちの思いが託された最後の世代、十二歳のディテールがしっかりしてる。

 遠くでネモヤンが私たちを呼ぶ声がする。その声が切羽詰まってて、途端に申し訳なくなった。戻ろうよと促すようにマリを見ると、マリもそう思ったみたいだった。

「でもその前に、このガラスケース壊していこうかな。イカのオパールを解放してあげたいし」

「やめやめやめ。これ以上問題起こさんといて。もうはよ行くで」

 それに、どうせ近いうちにガラスは壊れるよ、とは心の中で言った。昨日、ついにこの町の東側にもミサイルが落ちた。この博物館だって時間の問題だろう。だから今日、危険を冒して急いで見に来たのだ。

「さっきの話やけど、博物館とか展示とかじゃなくて、この世に残りたかったってことなんよ」

 急にマリが分かるような分からないようなことを言った。あたしに向かって言ったんじゃなくて、独り言みたいな台詞だった。

「やし、やっぱ美晴があたしの代わりにオパールになってや。ポテンシャルあるんやから」

「せやけどなぁ」

「それに、オパールになった骨はもう美晴じゃないよ。ただのオパール。それだけ」

 マリはニッと笑って、それから先に駆け出していった。

 ただのオパール。

 私はしばらくその場に立ち尽くして、言葉の意味を考えていた。

 それなら、いいか。何か残っても、私じゃないなら。

 マリはきっとオパールになりたかったのだろう。でも骨を持たないマリはオパールになれることはない。そんなの可哀想だ。

 ふとオパールの隣のガラスケースに目をやると、琥珀が展示されていた。はちみつ色の宝石の中に虫が入っているのが見える。

 でも例えば、私がマリを抱き込んでオパールになったらどうだろう? 虫入り琥珀みたいに。例えば私の骨が、マリの一部をぎゅっと握り締めて、その骨がオパールになったら? 例えば人造乳歯。それを死ぬ間際に握り締めて、その骨がオパールになったら?

 マリを捕らえたらしいネモヤンの、泣き出しそうな声がここまで響いてくる。可哀想なコミューンの新人教師。子供たちに失われゆく教育の機会を与えたくて、軍に掛け合って、町はずれの博物館へ来る機会を用意してくれた。私はぱっと駆け出した。

 走りながら、想像した。

 ここからずっと遠い場所、氷河や砂漠や森を越えた、その先にある海。深い海底で眠るオパール。握りこぶしみたいな形をした、冷たく青く輝く半透明の石。海水越しに日光を受けてチラチラとミラーボールみたいに海底を照らす遊色。その中に別の化石が入ってる。遥か昔、どこかで生きていた、今は誰でもないオパール。

 マリにこの名案を伝えるため、私は勢いよく角を曲がった。

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