断頭台にて、

豆坂田

第1話 少年の仕事

 切り立った崖の先端で処刑人の少年が罪人の首を斬り落とそうとしている。 


「殺さないでく――」


 命乞いをする罪人の首を少年が断ち切った。

 断崖にて、今日も今日とて少年は罪人の首を斬る。

 自らの体躯には見合わぬほどに巨大な断頭のつるぎを持ってして、いかなる巨漢であろうとも一振りにて断頭する。

 その切断面には一切の凹凸が無く滑らか。

 体は斬られたことに気がつかず頭部が数秒遅れて落ちるほど。

 血は噴き出ず緩やかに流れ出て岩肌を伝い、土に沁み込むか谷底へと落ちていく。

 切り立った崖に飛び出た巨岩の縁にて、少年は今日も罪人の首を落とした。


「……」


 無言で地面に転がった罪人の頭部を拾い、布に包む。

 役人への報告は頭部さえあれば十分、残った罪人の体は谷底へと蹴り落とされる。

 岩肌に数回ぶつかりながら底すら見えぬ谷に投棄された死体は、今や谷底で積み重なっていることだろう。


「……」


 数十秒後に死体が谷底へと衝突し、生暖かい音と風が地底から湧きあがる。

 風は断頭の礼服を身にまとい、フードを被っていた少年を叩きながら空へと消えていく。

 その衝撃で被っていたフードが外れ、少年は軽く息を吐いた。

 夕暮れの光に照らされた少年の黒髪はどこか薄汚れていて、粗い手入れしかされていないということが分かる。

 分厚い礼服を身に包んだ少年は細すぎず、かといって逞しさを誇示するでもない体躯をしていた。その表情と顔は声をかけるには一瞬ためらいを覚えるような、一度踏み止まって言葉を選ばなければならないような、どこか現実離れした空気を纏っている。  

 誰かの記憶にそっと忍び込んで、ふとした瞬間に思い出される——そんな不思議な余韻を残していた。


「はあ……」


 吐き出した息は白く、ゆっくりと空へと舞い上がって消えていく。

 今年も冬が来た。

 永遠と首を狩り続ける変わらない毎日を過ごしながらも四季は移り行く。

 振り向いてみると鬱蒼と生い茂った森の木々は葉を散らせて、やせ細っていた。

 断崖の先に谷を挟んで見える光景もまた、夏や春とは違った風景を見せている。

 

「薪を……切らないと」


 布に包まれた罪人の頭部を持ちながら少年はゆっくりと歩き出した。


 ◆


「早く燃えてください……」


 少年が暖炉の前で椅子に座りながら手をさすっていた。

 目の前の暖炉には今くべられたであろうたきぎがパチパチと静かに火の粉を散らしながら燃えている。

 昨日の雨のせいか、それとも今日突然降って来た雪のせいか、湿っているせいで薪があまり燃えてくれない。


「うぅ……寒い」


 少年の住む小さな家屋は薄い木の板を張り付けてできただけのハリボテで、断熱効果は一切ない。それどころか劣化で木と木の間に隙間が空いて外の冷たい空気が入って来る始末。


「直さないとな……」


 ボロボロの壁を見て少年はため息をく。

 薪の用意もしなくてはいけないのに、家の補修用にも木材がいる。

 木を一本切り倒して薪や木の板に加工するのだけでも大変なのに、この冬を乗り越えるにはそれらが多く必要だ。

 もっと事前に家の補修や薪の準備をしていればこんなことにはならなかっただろうに、自らの無能さを呪いたい。


「もっと……いや、無いものねだりかな」


 もし魔術でも使えたらすぐに火を強くすることができるのに――生憎、少年には魔術を扱える教養は無かった。 

 少年は地道に火打ち石を使ってどうにか着火させることしかできない。

 後は薪の位置を調整したり、空気を送り込んだりして早く燃えてくれるよう祈ることしかできないのが現実だ。


「……よし」


 どうせ明日も罪人が運ばれてきて、切らなければならない。 

 剣の手入れは必要だ。


 吐く息が白くなくなってきて部屋が少しだけ温まると、少年はギィギィとなる椅子から立ち上がった。


 ◆


 少年の仕事は罪人の首を斬り落とすこと。

 基本的に罪人の首を斬り落とさなくてもいい日には食糧を調達したり、家の補修をしたり、備蓄用に食料の加工などを行っている。 

 家は人里離れた場所にあるので、近くの村や町に買い出しに行くことは出来ず、行けたとしても金銭の一つも持っていない少年には何も買えない。給料が出ない処刑人の仕事を隔離されたような場所で永遠を続けることしかできないのだ。

 今日は朝早いということもあって寒く、動くのが億劫に感じるダラダラ日和びよりではあるが、怠慢に生きてしまうと少年はすぐに餓死してしまう。森が豊かではない冬は気を引き締めて毎日頑張るしかないのだ。


 裏庭の畑も雪で覆われてしまっているし、川で魚を獲るか森で鹿などの野生生物を仕留めるか。


「うまくいかないなぁ……」


 朝早くから起きて苦節三時間。 

 成果ナシ。

 

「腹減ったよ~減った~」


 とぼとぼと雪の上を歩きながらうわごとのように呟く。

 もうお腹が空きすぎてまともに動けなさそうだ。

 まだ家には備蓄用の食料が残っているのでそれを食べればいいだけ。


「はあ……」


 吐いた息は昨日より一層白くなっている。

 気がつけば辺り一面が銀世界。

 まだ薄く降り積もっているだけだが、例年通りであればあと数週間もすれば、いよいよ冬という感じだ。


「……」


 少年が家に帰ると一台の馬車が止まっているのが見えた。

 

(あれ……)


 内心で疑問に思いつつ、少年は急いで馬車に駆け寄っていく。

 すると馬車の先頭部分で手綱を握っていたダンタリオンという役人が、少年の姿を見るなり降りてきた。


「な、何の御用でしょうか。今日は予定では……」

「急遽一人罪人を連れてくることになった。それより、いつ私が来てもいいよう家の中で待機しておけ」

「も、申し訳ありません……」

「ったく」


 このダンタリオンという役人は少年の住む辺鄙な山奥に罪人を連れてくる仕事をしている。

 今は冬ということもあって車輪や馬の脚が雪に足を取られるからと、来ないはずであった。もし来ると分かっていたのならば少年はちゃんと朝早くから起きて出迎えている。


「牢屋に入れておいた。これが今年最後の罪人だ」

「わか、りました。わざわざ申し訳ありません」


 冬の間は馬車が雪に阻まれて通れないということもあって、罪人は運ばれてこない。

 だから冬は辛いけれど処刑人の仕事に急かされず好きな季節だった。

 しかし、連れてこられたのならば仕方ない。

 また処刑人として首を断ち切ればならないだろう。


「ただ、死刑執行は未定だ。次、私が来た時に伝える」

「え……」


 いつもならば牢屋に入れた次の日に断頭する。

 例外はほとんどなかったはず。

 それも今回は死刑執行が『未定』。

 もう一度ダンタリオンが来るまで、だ。


「理由を伺ってもよろしいでしょうか……」

「お前なんかが知ってどうする」

「申し訳ありません……」


 複雑な事情が絡んでいるということだけは分かる。

 しかし、その事情を詮索できるだけの権限を少年は持たない。


「食事も世話もすべてお前がやれ。絶対に殺すなよ」

「分かりました……」

「それでいい。従順でいろ。お前も死刑執行対象なんだからな」

「はい……」

「ったく」


 ダンタリオンは用件だけ述べるとすぐにまた手綱を握って去っていく。

 少年は馬車の姿が見えなくなるまでその場で立って見送った。

 

「……」


 馬車が見えなくなると振り返って歩き出す。

 牢屋があるのは家の地下で、裏に入り口がある。


「はぁ……」


 ため息交じりに面倒なことを押し付けられてしまったなと思いながら、罪人の姿かたちを思い浮かべる。

 何やら面倒そうな事情が絡んでいるようだし相当な犯罪者かもしれない。それか判決を後回しにしなければならないような権力者か。どのような人物なのだろうと頭で予測しながら牢屋へと続く階段を下った。

 すでに蝋燭に火がつけられ僅かに暖かく、明るい地下室。

 そこに並べられた幾つかの牢屋に目を通すと一人の男が鎖に繋がれた状態でいるのが分かった。


「???」


 その姿を見て少年は顔を変える。

 男の恰好は今まで見てきた罪人とはまるで違う。

 使い古された仕立ての良いローブを着て、先がくるりと反り返った尖がり靴を履いている。頭には、つばの長い帽子。

 布切れ一枚の貧しい服装で牢屋に入れられていたいつもの罪人とはまるで違う素っ頓狂な恰好。

 場に似つかわしくない、吟遊詩人の姿をしていた。 

 ただ、少年がまず思ったのは違うことだった。


(寒くない?)


 秋や春ならば十分な恰好だが冬だと寒い恰好だ。

 内心で少年がそんなことを呟くと、それまで牢屋の冷たい地面を見つめていた男が前を見た。


「……寒いよ」


 少年の心の中の呟きに答えるように、声を震わせてどこか情けない口調で男が述べた。

 心の中の呟きに返答されたことに驚きつつ、少年はため息交じりに対応しようとする。

 だが、先に口を開いたのは男の方だった。


「君、名前は」

「え……え、あ……せ、セトです」


 たじろぎつつ少年——セトが答えると男も自己紹介をする。


「僕はアベル。見ての通りの吟遊詩人さ」


 それが処刑人の少年と不思議な吟遊詩人との初めての出会いだった。

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