理由 (その後)
冬部 圭
理由 (その後)
結婚を前提にお付き合いしている涼子さんには、佳乃と言う名前の小学四年生の娘がいる。涼子さんから佳乃の「相談にのってあげて」とお願いされたので、先日僕は佳乃の悩みを聞いた。
話をしてみて学校に行きたくないと言う佳乃に僕は、学校に行かなくても良いと言う選択肢を与えた。そのことに後悔はないけれど少し思うところもある。
僕が佳乃に「学校に行きなさい」と言えなかったのは、今の学校が子供にとって本当に幸せをつかむための場所になっているかについて、迷いと言うか疑問と言うか。とにかく釈然としない気持ちを持っているからだと思う。
子供の幸せ。学校から子供の幸せが失われたような気がするのは何故だろう。僕が子供の頃には学校に幸せがあったような気がする。それとも僕が鈍かったから不幸に気が付かなかっただけなのだろうか。卒なくこなせる子には幸せだけど、要領の悪い子にとっては不幸な場所なのかもしれない。いや、僕は決して要領が良い子供ではなかったような気がするし、佳乃の方が余程いろいろなことを卒なくこなしそうな気がする。
「佳乃はどうしてる」
涼子さんにおそるおそる聞いてみる。
「少し気分が楽になったって言ってた。学校に行く理由を教えてくれたのかな」
涼子さんは少し僕を買いかぶりすぎだ。
「いや、あまりうまい説明はできなかった。ただ、思うことは正直に伝えたつもりだよ」
涼子さんが誤解しているようなのでこちらの株を下げないように気を付けつつ、謙遜したような体で事情を話す。
「でも、だいぶ楽になったって言ってたよ」
それは佳乃の資質によるものなのだろう。どんな話をしたのか涼子さんに聞かれたので大まかな中身を伝える。
「なるほどね」
涼子さんはなんとなく佳乃の気持ちを推し量ることができたみたいだ。親子だからか察しがいいからかは僕にはわからない。
「学校の建前と本音か。確かに学校運営にも本音があるよね。よくそんなので教師が務まるな。それとも教師だから学校の欺瞞に気付くのかな」
涼子さんは僕をからかう。目が笑っていないような気がすることには気づかないふりをする。
「学校の欺瞞の部分って確かにあるかもね。それが透けて見えているのにもっともらしいことを言って学校に行きなさいって言われるんじゃどんどん辛くなるかも。そう言うところは正直に言った方がいいのかな」
僕に尋ねたのか独白なのか判断が難しい涼子さんの呟きを聞いて少し思考が前に進む。
「今、建前と説明しないといけない所があってそれが嫌なんだったら、建前って言っていることが本音になるように学校を変えないといけないのかもしれない。学校を囲む環境も含めて」
不登校ってある意味サボタージュなわけで、それが増えているって言うのは子供たちの抗議の声が大きくなっているということになる。そう、子供たちは懸命に抗議している。こんな学校は嫌だ、こんな人間関係は嫌だ。だから子供たちの声、願いに真摯に向き合うのであれば社会だとか学校だとかが変わっていかないといけないんだろう。上辺だけの事象を捉えて子供たちがわがままになってきたからとか、保護者が子供のわがままを許すようになってきたから不登校が増えるっていうのは乱暴なのだろう。
「佳乃の学校行きたくないはわがままなんだと思ってた」
涼子さんがそんなことを呟く。今日の涼子さんは自信なさそうに呟いてばかりだ。
「言い換える言葉が思い当たらないから、『わがまま』で話をするけど、わがままって大切なことだと思う。ほら、僕らだって、『今日は仕事に行きたくないな』なんて日があるじゃない。『今日の会議、無くなればいいのに』ってことも。一緒に仕事をしている仲間も含めて全員がそんなことひとつもなく順風満帆の仕事ってあり得ないんじゃないかな。そうでなければやりがいブラックみたいにマインドコントロールを受けているか。あまりにひどい状況になったら、異動願を出すとかさらに進むとバーンと退職願を叩きつけるってことになるんだと思う。社内のコンプライアンス窓口とかメンタルヘルスケア窓口ってやつは信用できないらしいしね。大人は自分の仕事はそれで始末してもいいかもしれないけれど、子供は逃げ場が少ないような気がする。中学生とかになったらクラスにとけこめなかったら部活とかになるのかもしれないけれど小学生だとそれもないし。ちょっとしたわがままにだって理由はあるんだ。それを頭ごなしに押し込められるんじゃ堪ったもんじゃない」
いろいろうまく順序だてて説明できないから、頭に思い浮かぶことを次々に口にする。
「ちょっとしたわがままか。確かに仕事だっていつも何らかのストレスを抱えているところをなんとかやりくりして回しているかも」
涼子さんにも思い当たる節があるみたいだ。
「他人を傷つけたいとか言うのは困るけれど誰かに迷惑を掛けない範囲でどうにかストレスを解消しないとね」
悪戯っぽく涼子さんが笑う。少し気分が紛れてきたみたいだ。
「置かれている環境全てに満足するなんてことは無いからちょっとした不満足をどうにか解消しようとする。その時に誰かの手を煩わせてしまうとわがままと言われてしまうのかもしれないね。でも子供に母親の手を煩わせてはいけないと思わせてしまったら少し辛いかも」
自嘲気味に涼子さんが言う。残念ながら僕はその辛さもそれを軽減する術もわかならない。
「気が利く子、気が付く人っているからね。それは佳乃の優しさであり、強さなのかもしれないよ。やせ我慢しがちなことを頭に入れておいた方がいいかもね」
自分のふがいなさを誤魔化すために気休めにしかならない助言をする。
「職場だと同僚と協力したり上司に掛け合ったり組合に相談したりして少しでも仕事をしやすくするみたいに、あの子もいろいろ考えているんだと思う。でもきっとどうにもならないことが多いんじゃないかな。だから『絶対に学校へ行け』なんて言わなかったのは良かったと思うし助かったよ。後は行き詰った時に手を差し伸べることができれば何とかなるような気がしてきた」
涼子さんは吹っ切れたようだ。
「ひとりひとりの個性を尊重しようなんて言いつつ、学校は教師たちの理想の子供像を押し付ける場になっているからね。子供にだって人権はあります。ひとりの人間として尊重しますって言ってるからたちが悪い。教師側もわかっていないんだよね。自分が尊重されない環境で教育を受けてきたわけだから。子供もひとりの人間として認める世の中になったってことは分かるんだけどどうしたらいいのかみんなで考えないといけないんじゃないかな」
頭は回らないけれど口は回る。脈絡のないとりとめのない話をしている自覚はある。だけど、今は沈黙に耐えられない。
「昔は子供は大人の言うことを聞いておきなさい、大人に逆らってはいけませんみたいな価値観と言うか社会だったから、大人って理不尽でうるさいことを言う人たちだなくらいの感覚だったけれど、今は『あなたにも人権があってひとりの人間として私たちはあなたのことを認めているんですよ』みたいなことを言いつつやっていることが同じだから混乱するのかもしれない」
昔だって子供を支配しようとする理不尽な大人は一部だったのかもしれないけれど子供を委縮させるにはひとりいれば十分だ。今だって、混乱させる大人はひとりいれば子供たちは困惑してしまうだろう。
「自分自身が蔑ろにされている実感が尊重された実感を上回っているのかもしれないね。虐げられた記憶の方が強いから相手をひとりの人格として認めて対等に話をするってことができない。どっちが目上でどっちが格下かなんて考えながら強い人には媚び諂い弱い人には居丈高にふるまう。序列社会の中でしか生きてきていないから序列のない状態が居心地が悪く感じてしまうってところじゃないかな。だから格下に見える子供相手にフラットな立場で接することがとても難しいことになっちゃってる」
涼子さんは僕の胡乱な話から何らかの答えを出そうとしているみたいだ。
「要は人と人の関係で、まずは相手を認めてその意見を尊重するってことを今までそんなにやってきていないから苦手なんだ。すぐに自分の意見を押し付けたり逆に引っ込めて相手の言いなりになったりする。そこから抜け出すには」
涼子さんはそこまで言って黙り込む。僕に尋ねているのだろうか。
「練習しかないと思う。自分の意見を持つこと、相手の意見を理解すること、意見を違えた時に折り合いをつける方法。相手をリスペクトすることを忘れずに。一対一の関係の時だけじゃなく、家族の間でも学校のクラスでも職員会議の場でも」
少し考えて僕なりの答えが出る。お互いが尊重しあえる人間関係をどんな単位でも作ること。それが学校に限らず居心地の良い人間関係を作る基礎になるんじゃないだろうか。佳乃とどう接すればいいんだろう、佳乃はどうすればいいんだろうって考えて生じていたもやもやは、僕が佳乃とお互いを尊重しあう関係を築くこと、それから佳乃の周りの人々に佳乃を尊重してくれるように働きかけること、佳乃にも周りの人々を尊重してもらうことなんかが求められていると結論付けることで解消された。佳乃の「周り」をどこまでで捉えるかによっては長く険しい道だけど千里の道も一歩から。まずは足を踏み出そう。
涼子さんから及第点がもらえる回答だろうかと考えたところでまだまだ上下関係の呪縛から逃れられていないことに気付いて苦笑いした。
理由 (その後) 冬部 圭 @kay_fuyube
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