第2話:彼女の名前は如月飛鳥

「おい、くつろぎすぎだぞ」

「いいじゃないっすか。明日は祝日っすよ。あ、そだ、お風呂借りていいっすか? 結構汗かきました」

「お前まじか」


 なんて警戒心のない女なんだ。ソファで足をバタつかせるちかげちゃんに溜め息が溢れる。


「安心してください、このポーチに下着入ってるんで」

「どこに安心する要素があるんだ」

「カップが小さくて助かることがあるとは……」

「もうやめてくれ、この手の話は苦手なんだ」

「おや、意外っすね。数々の女性を手篭めしてきたものだと思ってましたが」

「金目当てであって体目当てじゃないよ」

「そうっすか。じゃあ安心してお風呂入れるっすね」


 そういうんじゃないだろ。

 こっちの気も知らないで、ポーチから下着を取り出すちかげちゃんから急いで目を逸らす。

 後ろを向いて固まっていると足元に手帳サイズのノートのようなものが転がってくた。


「なんだこれ」


 生徒手帳だ。写真も貼られているし、これはちかげちゃんの物だろう──如月飛鳥きさらぎ あすか

 知らない名前に困惑する。確かに今まさに下着を広げている彼女のものなのは間違いないが、「ちかげ」というのは偽名だったのか。

 まぁ、本名でやってる俺の方が異端か。


「飛鳥」

「? どうしたんすか」

「これ、落ちたぞ」


 ヒラヒラと後ろ向きながら生徒手帳を掲げると、うげっと潰れたカエルのような悲鳴が聞こえてくる。


「こんなところで住所と本名がバレるとは」

「これで俺もお前の弱みを握ったな」

「あぁ、いえ、弱みじゃないっすよ。本名はあとで言おうと思ってたので」

「住所は流石に秘匿情報だろうが」

「私、ここに住むんで」

「……は?」


 聞いてないぞそんな話。何いきなり決定事項みたいに言ってるんだ。

 こんなやかましく図々しい女はお断りだ。未成年だし。


「千秋くん一人暮らしですよね。ならいいじゃないっすか。私がいたところで変わらないでしょ?」

「いや、変わるが」

「着替えは今日いっぱい買ったんでしばらくは着まわせそうっすね。明日、制服とか足りないもの持ってくるんで。車出してくださいよ」

「……」


 従わないと何されるか分かったもんじゃないか。しばらくは言いなりになるか?


「タワマン暮らし、夢だったんすよね。うひゃー! 人がゴミのようっす!」

「人見えないでしょ。この暗さじゃ」

「まぁ。これからよろしくっす。千秋くん」

「変なことしないでくれよ」

「そこは信用して欲しいっすねー」


 どの口が言っているんだ。信用できる要素が今までにないだろ。


「じゃ、お風呂入ってきまーす」

「沸いてないから、シャワーだぞ」

「沸かしながら入りまーす」


 やかましい奴がお風呂場に行ったことで静寂がやってくる。

 いや待てよ、今更かもしれないが、こいつ風呂の場所も知ってるのか。


 今後どうしたものか。なんとかして彼女の言いなりから抜け出したいものだ。

 俺の持ってる手札の中で切れそうそうなカードといえばやっぱりあれしかないか?


「飛鳥を落とすか……?」


 俺のこと大好き人間にして彼女を籠絡させるか? いやでも犯罪では? 本当にどうしたらいいんだ。わからなすぎる。


「うひゃー! すげースケスケ! ガラス張り! お風呂! 裸! 見放題!」


 うるさいなあいつ。ここまで声が響いてくるのか。

 慣れるまでしばらく耐えなきゃな。



    ◇



「あぁ、いい湯だったぁ」

「そりゃよか──服着ろ! 服を!」

「いや、まだ買った服は袋から出してすらいないんで」

「なんで冷静なんだ、お前は」

「千秋くんはこんな貧相な体見て興奮するんすか? 私、ほぼ男子でしょうに」

「……もう嫌だこいつ」

「私は好きっすよ、ウブな千秋くん」


 下着姿で登場した飛鳥に頭を抱える。

 住んでいる世界が違うというか、倫理観の違いというか。よくもまぁ初対面の男に肌を晒せるものだな。


 俺は今までデートは数え切れないほどしたが、彼女ができたことがない。理由としては予定が拘束されることを嫌ったがためだ。まぁ、端的にいうとまだ俺はチェリーボーイということになる。だから、女性に対して性的な意味での免疫はない。


 こいつは違うのか?


「お前、処女か?」

「うわ、なんすかその質問」

「いや、ごめん。気になって」

「……ヴァージンっすよ。なんか悪いっすか」

「悪くないな」

「普通にキモイっす」


 こいつも俺と同じか。


 飛鳥は湿った足でぺたぺたと家の中を歩き回り冷蔵庫を漁って牛乳を飲む。

 俺はこいつから逃げるようにお風呂場へと急いだ。


「……何見てんだよ」

「別に減るもんじゃないしいいじゃないっすか。ガラス越しって動物園みたいで面白いっすね」


 なんでお風呂場について来てるんだよ。どこか行けよ。

 一枚のガラスがこんなに煩わしいのは初めてだ。今すぐこいつを掴んで放り投げたいところだが……後で覚えてろよ。


「なにがとは言いませんが大きいっすね。ナニがとは言いませんが」

「なぜ2回言った」


 いちいち見るな。あーもう、お風呂くらい一人で落ち着こうと思ったのになんでこんなに気を張らなきゃいけないんだ。


「体拭いてあげましょうか?」

「もうほっといてくれ」

「……」

「……何で俺に付き纏うんだ」

「別に、一方的に居候させてもらうから、何か手伝いたいとかないっすよ」


 なんだ。いきなりしおらしくなりやがって。調子狂うな。


「可愛いところあるじゃん。いつもそんな感じで頼む」

「千秋くんは私がこの家に住む理由、聞かないんすか」

「──誰にでも話しづらいことくらいあるだろ。俺も訳ありの人間だし」

「そういうところ好きっすよ」

「好き好き言わなくていいよ。満足するまでいていいから。そんなに機嫌を取ろうとするな。調子が狂う」

「えー、本心かもしれないっすよ」


 なんで俺がこいつに気を使うんだよ。本当に馬鹿らしい。


「そこどいてくれ、ドライヤー出せない」

「あ、すみません」


 背中に感じる視線にも慣れなきゃいけないな。気が散って仕方がない。



    ◇



「うわ、すごい通知の量、よく一人で捌いてますね」

「勝手に見るな。わかんなくなるから」


 俺の詐欺拠点である一室にて、膨大な量のスマホとパソコンを見て絶句する飛鳥。日頃から大量のメッセージと向き合っている俺からすると今日は少ない方だ。


「ここから来週の予定を考えるためにそれぞれ選別を行う。そして返信は日曜日に一斉に行うのが俺のやり方だ」

「へぇ、それはなぜっすか?」

「特別感を演出するためだ。週一のコミュニケーションにすることで、俺は平日忙しい人間であると相手に植え付ける。そしてその平日の限られた時間を割いてあげる。こうすることで、相手は俺との時間に必死になってくれるだろ?」

「女って単純っすね」


 実はこのメッセージの選別は意外と楽だったりする。培われた勘と今までの傾向から、羽振りの良さそうな出会える女を探すのが得意になっていたのだ。


「早いっすね、メッセージ見るの」

「疑問文で終わるメッセージは基本スルーしていい。こう言っちゃ悪いがそういう奴らはサクラか、頭が悪いか、羽振りがよくないか、俺の体目当てだからなロクなことない」

「へぇ、勉強になるっす」


 なにを根拠に、と思うかもしれないがこれは本当の話である。

 基本的にこの手のものには時間をかけたくない人が多い。メッセージに時間をかけるようなやつは出会い系など向いていないのだ。


「SNSは使わないんすか? 今だとZとかあるじゃないっすか」

「あれこそ体目的の象徴だろ。金落としてくれる奴なんていない。それに、何かあった時に逃げ切れない」

「……経験おありで?」

「ストーカー被害なら何度もあった。だから今はタワマンに住んでるんだけどな」


 アパートに住んでる時なんか酷かった。下着取られるわポストに気持ち悪いものを投函されるわ。たまったもんじゃない。


「暴力的なのはなかったんすか?」

「あったよ。歌舞伎町で何度も。目の上なんて何度切ったかわからない。歯が欠けないように口だけは必死に守ってたけどね」

「うぇ、よくやるっすね」

「ほら、お腹をよくみてみ、刺し傷あるだろ」

「えぇ! まじだ! 千秋くん大丈夫だったんすか?」

「全然ダメ、これ、男じゃなくて女につけられた傷だからもう不意打ち。なにが起こったかわからなかったわ」


 あの時は歩いて病院行ったっけ。俺の犯行がバレないように事故だと言ったけど、あの女、今どうしているのだろうか。ちょっと気になるな。


「やめたくならないんすか?」

「辞められねぇの。どうしても」

「それが訳ありってことすか」

「そう。もう行くとこまで来ちゃった」

「なら、私が連れ戻してあげますよ。それがここの家賃代ってことで」


 力強い眼差しで俺を見据える飛鳥に強い胸の高鳴りを感じた。


「だから千秋くんは明日の詐欺に集中してください」

「……さっき連れ戻してあげるとか言ってなかった?」

「いやいや、連れ戻し方には色々あるって事っすよ。それに、私も協力しますよ。飯田琴子さん。私のターゲットでもあるんで」

「は?」


 明日、火曜のロマンス詐欺の対象、琴子さん。

 なんで飛鳥はこの人の本名を知っているのかなんて疑問はもう湧かない。


「琴子さんが何かしたのか?」

「いや、彼女は被害者っすね。未来の」

「未来の?」

「私の見立てだと彼女は明日襲われるっす」

「まじで?」

「まじっす」


 なら明日の予定キャンセルするか。変なのに巻き込まれたくないし。


「今、明日行くのやめようとか考えましたね?」

「当たり前だろ」

「そこをなんとか。犯人が3年前のストーカー殺人事件の犯人かもしれないんです」

「もっと嫌になる情報をありがとう」

「この人懸賞金300万っす!」

「……ちゃんと協力するんだろうな?」

「私にバックアップは任せてください。犯人のSNSを特定してるんで、明日何か行動を起こすことは間違いないっす」


 金で揺らぐ俺の心。本当に嫌になるな。


「6:4でいいぞ」

「ダメっす、懸賞金は半分半分っす」

「俺が体張るのに?」

「私がここまで調べました」

「……まぁ、それでいいか」


 150万円か。何かあった時の治療費が高くならないことを祈ろう。

 そこから俺たちはやいのやいの騒ぎながら明日の計画を立てるのであった。

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