第3話 理想の世界はそう長く続かない

「あ、おはよ〜!朝ごはんもうちょっとで出来るからちょっと待っててね」


これは夢だろうか?昨日出会ったばかりの幼馴染が朝から自宅にご飯を作りに来てくれている。


これは記憶を失う前の調月光に感謝せねばなるまい。


「それで今日は学校に行けそう?」


出来上がった朝ごはんを口にしていると彼女がそう問いかけてきた。


「うん。体調はバッチリだし行けそう。記憶は相変わらず戻らないけど」


そう少し茶化しながら朝食の目玉焼きの黄身の部分に箸で切れ目を入れる。すると中からトロリとした黄身が流れ出てくる。


それを白身で包み込んで口に入れると黄身の旨みが口の中で広がる。こんな朝食を毎日食べていた前の俺は幸せだったんだろうと勝手に妄想する。


「一応記憶が無くなったってやつ、病院から学校に伝わってるはずだからとりあえず最初は職員室行った方が良いかもね。担任の先生分からないだろうから私も付いていくし」


「ありがとう!」


何から何まで至れり尽くせり。そして片付けを終えて身支度を整えて登校する流れになったのだが


「じゃあ行こっか!こっちだよ」


どうやらと言うか、案の定というか一緒に登校する流れになった。


朝から国道沿いの渋滞に巻き込まれているサラリーマンを尻目に、他愛のない話をしながら登校する。


「それでさ、この前お姉ちゃんが〜」


今の会話は大学生になった國崎の姉が間違えて自分のゲーム機を持って帰ってしまったため暫く遊べなくなるという愚痴を聞いている。


「まあ私も普段から全然触ってなかったら良いんだけど、いざ遊べないって言われたらなんか無性にやりたくなるんだよね」」


ちなみにゲーム機の中には梨鉄というパーティーゲームのソフトが入っていたため、現在姉の家で宅飲みする時に友人と遊んでいるらしいという補足情報が入った。どうやらしばらく返してくれない雰囲気らしい。


本当は聞きたいことが山ほどある。俺の家族の話、國崎の家族の話、それに先ほど居ると判明した姉の話。


なぜお互いの家に両親が居ないのか、記憶を無くしたばかりで分からないことが多すぎる。


幹線道路を外れ、側道に入ると先ほどの渋滞の喧騒とは程遠い絵に描いた田舎道が広がっていた。隣の田畑はまだ作付けされておらず、茶色の土が広がっている。そして奥の山々の頂上にある風車は春風に煽られて忙しなく回転している。


まさにのどかな景色だ。そんな爽やかな朝から重たい話を振り出せるわけがなく学校に到着した。


教室に向かうため、階段を登る生徒とは逆方向に職員室に向かうとすれ違う生徒からの視線を感じる。


そんな人目を気にしていない風を装い淡々と歩を進める。


職員室前に到着し、彼女の先導の元扉を開く。


「失礼します。二年五組の國崎莉々菜です。井沢先生に用があって来ました」


ただ入室するだけかと思いきや、どうやら学年と名前を名乗らないと入れないらしい。


先に入った國崎を追いかけるように、慌ててドアに手を掛ける


「し、失礼します!二年五組の調月光です」


ここで問題発生。担任の先生の名前を忘れてしまった。さっき國崎は「い」何ちゃら先生と言っていたことまでは覚えている。しかしまさか担任の先生の名前を言わないと入れない謎制度に驚き、名前をすっかり忘れてしまったのだ。


一番確率の高いいから始まる苗字は、井上もしくは石川だろう。しかし確か発音が濁っていた気がする。クソ、思い出せない。


ここまでの試行時間、0.6秒。そして調月光はこの一瞬の思考の中である最適解を導き出す。


「いぁざぁ先生に用があって来ました!」


〇〇先生の部分を別の意味で濁らし、誤魔化す。我ながらいいアイデアだと思いながら堂々と入室すると、待っていた國崎が口を押さえてプルプル震えながら立っていた。


「な、なにさっきの濁らし方」


職員室なので、一応周りに気を遣って笑わないようにしているのだが、相当面白かったのだろうか、体を小刻みに震わせながらめちゃくちゃ笑っている。


「俺の名前は井沢だ。井沢翔太。話は聞いているぞ」


急に背後から声を掛けられ、ピクッとした。どうやら本物の井沢先生のようだ。そしてさっき驚いてピクッとしたのを見てか、彼女は更に体を震わせながら笑っている。ダメだ完全にゾーンに入ってやがる。


ふぅっと一息付いてから先生の席に移動する。朝からいろんな先生がコーヒーを飲んでいるからか、職員室はコーヒーの匂いに包まれている。先生の机の上にも可愛らしい猫の絵が描かれてあるマグカップにコーヒーが注がれていた。


そしてそれを一口飲んでから話を始める。


「改めて、俺が担任の井沢翔太だ。って光に自己紹介するのもなんだか変だな」


「私も最初は苦労しましたよ〜」


ハッハッハ〜と笑い合う二人、どうやら記憶喪失者と話すのはやっぱり難しいらしい。


「とりあえず國崎は教室戻っていいぞ。色々話があるからな」


「りょーかいです!じゃあまた後でね」


そう別れを告げ、一人職員室に残る。一息付く暇もなく別室に案内され、色々記憶を失ったことに関して配慮は必要かなどの話を聞かれる。


「とりあえず、特に体調に異常があるわけではないので大丈夫です」


ここまで気にかけてくれるということは良い先生なのだろう。感謝を伝えつつ配慮に関しては必要ないと断った。


そしてHRの時間に合わせて、先生と共に教室に向かうこととなった。

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