第9話「災厄の足音と領主の依頼」

 ダリオの妨害を乗り越え、アイカワ商会は以前にも増して繁盛した。俺たちのポーションの品質と、俺自身の誠実な人柄は、今や街の誰もが知るところとなっていた。

 俺はもう、ただの商人ではなかった。街の有力者の一人として、多くの人々から信頼を寄せられる存在になっていたのだ。

 そんなある日、一人の使者が店を訪れた。それは、このリーブの街を治める領主、アルフォード辺境伯からのものだった。


「アイカワ・ケイ殿ですな。我が主、アルフォード様が至急お会いしたいと申しております」

 領主様からの呼び出し。断るわけにはいかない。俺はエマとゴードンに店を任せ、使者の案内で壮麗な領主の館へと向かった。

 謁見の間で待っていたのは、まだ若いが鋭い知性を感じさせる目をした青年だった。彼が、この地の領主アルフォード辺境伯。


「君が、アイカワ・ケイ君か。噂はかねがね聞いているよ」

 アルフォード卿は穏やかな口調でそう言った。しかし、その表情はどこか曇っている。


「本日は、君に頼みたいことがあって来てもらった。実は、この街に未曾有の危機が迫っている」

 彼の口から語られたのは、衝撃的な内容だった。

 この地方に数十年周期で発生するという、モンスターの異常繁殖期――通称『厄災の刻(スタンピード)』が、目前に迫っているというのだ。


「数日中に、数千規模のモンスターの群れがこの街に殺到するだろう。我々は総力を挙げて防衛にあたるが、正直なところ、厳しい戦いになる」

 アルフォード卿は、机に広げられた地図を指さしながら深刻な表情で言った。

 街の防衛戦力である騎士団と冒険者ギルド。そのどちらもが、万全の状態とは言えなかった。特に、冒険者ギルドの戦力低下は著しいという。


「君も知っているだろうが、ギルド『紅蓮の牙』は例の粗悪ポーション問題で、多くの有能な冒険者を失った。残っている者たちも士気は低い。正直、防衛の主力としては期待できん」

 その言葉に、俺は思わず唇を噛んだ。ダリオの愚かな行いが、街全体の危機を招いている。皮肉な話だ。


「そこで、君に頼みたい。君の作る高品質なポーションを、防衛戦のために可能な限り供給してはもらえないだろうか。もちろん、代金は国から支払う。言い値で構わない」

 領主直々の、ポーションの大量納入依頼。それは、アイカワ商会がこの街の防衛の要として正式に認められたことを意味していた。


「……分かりました。この街は、俺にとっても大切な場所です。俺にできることなら、何でも協力します」

 俺は、迷わずその依頼を引き受けた。金のためじゃない。俺を信じ、支えてくれたこの街の人々を守りたい。その一心だった。


「そうか、引き受けてくれるか! 感謝する、ケイ君!」

 アルフォード卿は、心から安堵したように顔をほころばせた。

 店に戻った俺は、エマとゴードンに事の次第を説明した。


「大変です! 師匠!」


「街がモンスターに襲われるだと……!?」

 二人は驚きながらも、すぐに覚悟を決めた顔になった。


「やるべきことは分かっていますね、師匠! ポーションをとにかくたくさん作りましょう!」


「うむ。店の守りは俺に任せろ。生産に集中してくれ」

 頼もしい仲間たちの言葉に、俺は力強くうなずく。

 その日から、アイカワ商会は戦時体制に入った。店の通常営業は停止し、全ての機能をポーションの量産に切り替える。俺たちは文字通り、寝る間も惜しんで作業に没頭した。

 材料の採取、調合、瓶詰め。単純な作業の繰り返しだが、この一本一本が誰かの命を救うことになる。そう思うと、不思議と疲れは感じなかった。

 街は日に日に緊張感を増していく。壁の補強工事が進められ、騎士団が慌ただしく行き交う。市民たちは、不安な表情で空を見上げていた。

 そして、依頼から五日後の早朝。

 街の外れにある見張り台から、けたたましい警鐘が鳴り響いた。

 地平線の向こうから、黒い津波のようなものが押し寄せてくるのが見えた。ゴブリン、オーク、オーガ……様々なモンスターが入り混じった巨大な群れ。

 その数、まさに数千。地響きが、ここまで伝わってくる。

『厄災の刻』が、ついに始まったのだ。


「ゴードンさん、これをみんなに!」

 俺は、完成したばかりのポーションが詰められた箱をゴードンに手渡した。彼の背後には、これから城壁の上で戦う冒険者たちが集まっている。


「おう、任せとけ! てめえら、ありがたく使わせてもらうぞ!」

 ゴードンの号令で、冒険者たちが一斉にポーションを受け取っていく。

 城壁の上では、アルフォード卿自らが剣を抜き、騎士たちを鼓舞していた。


「リーブの民よ、恐れるな! 我々の力を見せてやるときだ! 全員、迎撃用意!」

 雄叫びと共に、街の防衛戦の火蓋が切られた。

 俺にできる戦いは、ここからだ。仲間たちと共に、一人でも多くの命を救うためのポーションを作り続ける。

 店の奥の作業場で、俺は再び鍋に火をかけた。街の運命は、今、この一滴のポーションに託されていた。

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